お金で買えたら、苦労しない
こんにちは。桜小路いをりです。
私の中で、歌詞によく「お金」が出てくるな、と思うアーティストさんがいます。
それが、ヨルシカさんです。
いくつか例を挙げてみると、
「目」はお金では買えません。
でも、もし買えたら、一生懸命に本を読んで色んな人の「視点」を得ようとしなくていい。
「歪んでいる」と感じたら、すぐに取り替えられる。
「心」はお金と引き換えに売ることはできません。
でも、もし売ることができたら、押し売りをしてでも、値下げをしてタダ同然で売り付けてでも、誰かに「自分の心」を持っていてもらえる。
誰かの中に自分の心があるということは、「愛されている」ということになるのではないか。どんな形でもいいから、愛されたい。
「愛」や「美しいもの」は、必ずしもお金では買えません。
買えるものはあったとしても、それは所詮、うわべだけ。「愛だ」と思っても、「美しい」と感じても、そこにお金が絡む限り、打算や下心など、黒い感情とは切り離せない。
でも、無償のもの、なんてこの世に本当に少ないと思います。
ましてや、見返りを求めないもの、なんて微々たるものです。
「お金」は、どうしても私欲と切り離すことはできなくて、だからこそ「人間らしさ」が溢れているものだと思います。
「お金」に惑わされて、人生を狂わせてしまうような人もいて。
「お金」がなくても、それなりに幸せな人がいて。
「お金」があるとか、ないとか、関係なくいつも笑っている人がいて。
「お金」を稼ぐことだけを必要としている人がいて。
「お金」そのもの(古い紙幣や記念硬貨など)に価値を見出す人がいて。
「お金」に困ったことはないように見えるのに、実際は切実な問題を抱えている人がいて。
「お金」が何よりも大切、と言って、ずっと貯め込んでいる人がいて。
「お金」があるに越したことはない、と思う人がいて。
すごく色んな人がいて、十人十色な価値観の在り方を作り出しているモノのひとつが、「お金」ではないでしょうか。
もちろん、「才能」や「愛」や、「自信」や「知識」が、お金で買えたらどんなに良いかと思うこともあります。
逆に、自分の「経験」や「思い出」を売ることができたら、と思うことも。
それでも、それらが「お金で買えない」からこそ、この世界はすごく面白いものだとも思っています。
お金を積めば、どんな綺麗な絵も描けて、どんな美しい文章も書けて、どんな素敵な音楽も作れるなんて、すごくつまらないのではないでしょうか。
そうやって手に入れた才能を使って創った作品に、果たして価値はあるのか。作者の想いや、魂や、心を震わせるような感動は、宿るのでしょうか。
「お金」が生む人間らしさと、「お金」が絡むからこその無情さ。
偶数みたいに綺麗さっぱり割り切れるものではないし、「お金」という文化すら特殊なものであると思うけれど、こうやって考える余地があることが、「お金」のすごさであると思います。
最後に、まだ未熟な私ではありますが、密かに大切にしていることを書いておきます。
それは、「お金に使われないこと」です。
もちろん、お金は生きていくうえで必要不可欠ではあるけれど、お金のために自分の人生を棒に振ったり、自分の作品を大きく曲げることはしたくない。そう思っています。
そんなことは、ヨルシカさんの「だから僕は音楽を辞めた」などの曲にも表れていたように思います。
なんだか、思っていることを思うまま綴る記事になってしまいましたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
この記事が、みなさんの小さな気づきに繋がれば幸いです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。 私の記事が、皆さんの心にほんのひと欠片でも残っていたら、とても嬉しいです。 皆さんのもとにも、素敵なことがたくさん舞い込んで来ますように。