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それは「ボカロ文化」へのラブソング〜『劇場版プロセカ 壊れたセカイと歌えないミク』〜

1ヶ月書くチャレンジ 9日目
「最近泣いたこと」

いしかわゆきさん『書く習慣』より

発表されてからずっと楽しみにしていた、『劇場版プロジェクトセカイ 壊れたセカイと歌えないミク』。

居ても立っても居られなくて、先月、公開初日に見に行きました。

私は、あまり映画やドラマで泣かないタイプなのですが……クライマックスでは、視界が滲まないようにするのが大変でした。(映画が終わった後に見たら下瞼のアイシャドウがちょっとなくなってたので、たぶんちゃんと泣いてました。)

安易に言葉を重ねたくないくらい感無量だったのですが、あえてひと言でまとめてしまうと、めちゃくちゃ希望をもらえました。一度でも「ボカロに救われた」という経験があるなら見てほしい、素敵な映画です。

『劇場版プロジェクトセカイ 壊れたセカイと歌えないミク』は、想いと希望にあふれた映画

今回映画化されたのは、ゲーム内ストーリーでは語られていない、ユーザーがまだ知らない物語。

いくら歌っても「想いの持ち主」たちに歌声が届かないと言う「歌えないミク」が、『プロセカ』オリジナルキャラクターである星乃一歌を始めとした高校生たちから、「歌」についてのヒントを探していきます。

これまで、バーチャルシンガーたちにアドバイスをもらったり助けられたりしていた一歌を始めとするみんなが、今度は「歌えないミク」を救う側に立つというストーリーに、胸がいっぱいになりました。

そして、あの映画の中に、誰一人として「頑張っていない人」がいなかったところに、私はとてつもない勇気をもらいました。

誰かの想いから生まれて、誰かの想いを支えて、時に誰かの想いを救い、守るもの。
それが「歌」であり、「ボカロ」であり、ボカロが繋ぐ「創作の輪」であること。

そんなことを、鮮やかに、真っ直ぐに描いている作品です。

この映画は、初音ミクへの「ラブソング」

絶対に音程を外さないし、どんなに時が経っても変わらず思い出の「あの場所」で歌ってくれていて、いつも真っ直ぐな笑顔を向けてくれる、完全無欠の永遠の歌姫。それが、初音ミクであると思います。

そして、もちろん聴き手の数、作り手の数だけ「初音ミク」という存在があります。

その「初音ミク」の中には、忘れ去られて古い機械の中で歌わずに眠っているミクもいるだろうし、誰かの記憶の奥底でいつまでも思い出されることなく沈んでいるミクもきっといるはず。

歌を届けようとしているのに届けられないミクを描くことで、この映画は、「初音ミク」というのがいかに私たち「人間」に依存する存在かということを教えてくれました。

ミクをミクとして歌を教える方がいて、私たちがその歌声を聴いて、私たちがその姿を見ることで、「初音ミク」はようやく「初音ミク」になれる。

電子の海の中で、直向きに歌を届けようとする、そう在るべきとして生み出された「彼女」と、初めてつながれる。

初音ミクを「初音ミク」たらしめるのはその声を受け取る私たち。

今まで、『プロセカ』のゲームストーリーでは、登場人物たちがそれぞれの「想い」を大切にして、それを届けようと奮闘する姿がたくさん描かれていましたが、映画では、「初音ミク」の存在にプラスして、「想いを受け取る側」にもフォーカスされていたように思います。

誰かから「想い」を向けられていることをきちんと分かって、その「想い」があちこちに溢れていることにちゃんと気づいて、「想い」を受け取ろうとすることの大切さを、私はこの映画を見て痛いくらい感じました。

ミクの歌声を、そこに込められた想いを、その優しさと温かさを、差し出される手を、私たち聴き手が受け取ろうとすることで、それは「音楽」になって「音色」になるんじゃないかな、と。

私はいつも『プロセカ』というゲームを、「ボカロへの愛に溢れている」と形容するのですが、それは、今回の映画でも強く感じました。

ボカロを愛する人たちが、ミクをはじめとするバーチャルシンガーに贈る「みんなの声を、想いを、私たちはちゃんと受け取っていくよ」というメッセージが、温かく胸に広がっていくような。

そんな充足感で、エンドロールを見終えました。

書いていてまた思い出し泣きしそうです。本当に素敵な映画だったし、あわよくばもう1回見に行きたい。

映画の音楽についてと、まとめにかえて

今回、オープニング主題歌、エンディング主題歌、そして劇中歌含め、非常に豪華な制作陣で曲が書き下ろされました。

私のお気に入りは、Vivid BAD SQUADの「ファイアダンス」と、25時、ナイトコードで。の「そこに在る、光。」の2曲。

改めて書き下ろされた曲たちを見渡して、「DECO*27さんは、やっぱり27人いるのかもしれない……」などと考えながら、ここ最近はずっと映画の余韻の尾を追いかけています。

また、劇中には、Ayaseさんの「幽霊東京」や、じんさんの「NEO」が登場したりと、既存のボカロ曲にも抜かりなく触れられていて、さすが『プロセカ』です。

ボカロは、創る人、聴く人がいて、創作の連鎖の輪が絶えず続いていくことで成り立っている文化。

創り手だけでなく、聴き手もそのピースのひとつを担っているということも忘れず、これからもボカロ曲を、ミクたちの歌声を、大切に聴いていきたいです。

今回お借りした見出し画像は、キラキラと光る扉のイラストです。映画をご覧になった方なら、何のイメージかお分かりだと思います。どこまでも広がっていく「想い」に、そこから生まれる歌に、願いと愛を込めて。

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桜小路いをり
最後までお読みいただき、ありがとうございました。 私の記事が、皆さんの心にほんのひと欠片でも残っていたら、とても嬉しいです。 皆さんのもとにも、素敵なことがたくさん舞い込んで来ますように。