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【新城マガジン】若者が自分らしく前向きに生きられる“故郷”-川崎若者就労・生活自立支援センター ブリュッケ

【自己紹介】人の話をちゃんと聞くことの大切さ

三瓶 三絵みかめ みえと申します。川崎若者就労・生活自立支援センター ブリュッケでセンター長を勤めています。

育ったのは溝の口ですが、武蔵新城で生まれたと聞いています。武蔵新城での活動は偶然でしたが、まさか自分がこの街で居場所を運営するとは思いませんでした。

趣味はありますか?

小説を読むのが昔から好きで、今でもよく読みます。
また、最近では若者たちと触れ合う中で、ガチャガチャやゲームに夢中になり、『MOTHER』』というRPGにもハマっています。

きっと小説と同じで、物語があるものが好きなんだと思います。ゲームの中にも深い物語があって、若者たちはそこから感受性を働かせているんですよね。

ブリュッケで働き始めるまでどんなことをしていたんですか?

大学で文学を専攻し、国語の先生を目指していましたが、就職氷河期でさまざまな仕事を転々としました。特に印象に残っているのは、千葉の大学病院でのアイバンクコーディネーターです。角膜提供の承諾をご遺族に得る際、どう声をかけて良いのか分からず、心身ともに消耗してしまいました。最終的に燃え尽きて辞めることになりました。

その後も接客業などを経験し、いろいろな方と関わる中で気づいたのは、「人の話をちゃんと聞くことの大切さ」でした。

私は本質的に人が好きなんだと思います。それは、もしかしたら小説が好きで、そこから人間の物語に興味を持ったのかもしれません。

それがきっかけで、より人と深く関わるために、産業カウンセラーの資格を取り、働く人たちのメンタルヘルス支援の仕事にも携わりました。

その後、障害者の就労支援センターに7年間勤務し、ソーシャルワーカーの資格や公認心理師の資格も取得しました。こうして、福祉の世界にどんどん深く関わっていったんです。

【ブリュッケとの出会い】自分がそのままでいられる居場所を求めて

福祉の仕事をする中で、何か気づいたことはありますか?

障害者・就業生活支援センターで働いている時、雇用率達成のために障害者を採用する企業が多かったんです。企業のための雇用が多くて、ただ仕事につなげるだけではうまくいかないと感じました。だからこそ、もっとひとりひとりに寄り添った支援が必要だと思うようになりました。

また、就労支援の現場で気づいたのは、仕事が続く人と続かない人の違いです。支援して見つけた仕事は、本人が本当に納得していないと長続きしないんです。でも、仕事が長続きする人は、単に仕事に適応する力があるだけでなく、さらにもう一つ重要な要素がありました。
それは「故郷ふるさとを持っているかどうか」です。

職場でもなく、家庭でもなく、成果や評価を求められない、自分がそのままでいられる居場所を持っている人は、何度失敗してもまた立ち上がる強さがあります。

ブリュッケを知ったきっかけは何でしたか?

ある時、就労支援の現場でひとりの男の子が、「たまりばのえんは大好きだった。差別がなかった」と話してくれたんです。それがきっかけで、西野さんの『居場所のちから』という本に出会い、読んでみたら、この世界に行っ
てみたいと思ったんです。

それでブリュッケについて調べていたら、ちょうど求人が出ていて、これは運命だと思い応募しました。

【ブリュッケの取り組み】自立支援の新しい居場所

ここ「ブリュッケ」の特徴はどんなところですか?

ブリュッケの最大の特徴は、福祉施設らしくない雰囲気が、若者たちの心を開くきっかけを与えているところだと思います。
通常、福祉事務所のケースワーカーさんに無理やり連れて来られる若者たちは、最初から心を閉ざしています。

普通の施設ならどこか暗い作業所のような雰囲気があることが多いですが、この場所はカフェのようなオシャレな空間が特徴です。
この雰囲気が若者たちの心に自然に響いていると感じます。

ブリュッケだからこそできていることはありますか?

若者の主体性を尊重した支援ができていることです。自立支援には就労率の向上が重要ですが、ただ与えられた仕事をこなすだけでは長続きしません。本当の自立支援ではないのです。

ある時、ここに来た若者が「就労支援してくれるんでしょ」と聞いてきました。私は思い切って「就労支援はしないよ」と宣言したんです。ただ、一方的にそう言っただけではなく、みんなと話す時間を持ちました。

その中で「どうしたらいいの?」という声が出てきたので、私はブリュッケの現状を正直に伝えました。「このブリュッケの運営は、市からの予算で成り立っていている。この場所でやり続けるには、ぶっちゃけ就労率なんだよね」という現実を伝えたんです。それを聞いた若者たちは唖然としてました。

それを聞いた若者たちは「ブリュッケがなくなるのは困る」と感じ、アルバイト探しを始めました。そこからアルバイト探しがブームになり、次々と挑戦するようになったんです。全く働く気のなかった子が、カフェで仕事を始めた例もあります。

すごい変化ですね!そこまで若者たちが挑戦できる理由は何ですか?

ブリュッケは、若者にとって評価や成果を求められない「故郷」のような居場所になってきたからだと思います。家庭や職場で感じるプレッシャーから解放され、失敗しても、自分のペースで再挑戦できる環境が整っているため、安心して挑戦できるのです。

アルバイトに採用されて1日で辞めてしまった子もいましたが、その結果、アルバイトに挑戦するハードルが下がり、他の若者たちも次々とアルバイトを始めるようになりました。「辞めてもまた挑戦できる」という安心感が、若者たちにとって重要だったんです。

また、生活保護を受けた若者も「また戻ればいい」と考えられるようになり、生活保護から抜け出すハードルも下がっています。

こうした環境が、若者たちが成長するための大きな支えになっています。職員とのつながりから始まり、仲間同士の支え合いによって、彼らは安心して成長していくのです。これが、ブリュッケという「居場所」の本当の力です。

【街の魅力】「共に生きる居場所」としての地域の力

この街で活動してよかったことはありますか?

本当に武蔵新城でやっていてよかったなって思います。まず、この地域のつながりがすごく温かいんです。

若者たちが地域の清掃をしていると、『ご苦労様』って声をかけてくれるし、お祭りに参加した時も地域の大人たちが自然に『おい、担いでみろよ』って声をかけてくれたり。そんな風に、私たちスタッフからは言えないような言葉を地域の人が自然にかけてくれる。それが若者たちにとって大切な支えになっています。

あとは、特別養護老人ホームで出張カフェをやったり、商店街と一緒に地域のイベントに参加したりと、いろんな形で若者たちが地域と繋がって、社会に参加する機会が得られるのは、この武蔵新城だからこそだと思いますね。地域の人たちも若者たちを見守ってくれて、ここでの活動が単なる福祉の枠を超えて、地域の一部として成り立っているんです。

やっぱり、こうやって地域に支えられて、若者たちが少しずつ社会に出て行ける環境があるっていうのは、すごくありがたいことですよね。支援というより、地域の中で自然に繋がっていける雰囲気があり、ここで活動できてよかったと感じます。
地域が若者たちの共に生きる居場所になっているのです。

取材当日は商店街の夜市「にぎどん」出店の日でした

最後に

三瓶さんの今後のビジョンについて教えてください

居場所は「生物なまもの」のように常に変化します。だからこそ、変化を恐れずに受け入れていきたいです。みんなが自分らしく前向きに生きられる“故郷”になれる場所をみんなで目指していきたいと思っています。

それから、時には助けられ、時には誰かを助ける、そんなつながりを若者たちが持ってくれるといいなと思っています。昨年立ち上げた『かわさきTSネットワーク』という団体では、地域に暮らす人みんなに「トラブルシューター」を目指してもらえる取り組みです。人と人とのつながりがお互いを支え合っていく人垣支援の中に若者たちも自然と入っていけるようになったら、きっとこの社会ももっと良くなると思うんですよ。

そして、進学や就職だけが自立の道ではないことを伝えていきたい。若者たちとともに「参画する居場所」を目指し、オンラインでも学べる場や、自分で何かを作り出せる場所を作るのが私の夢です。

カメラマン:Sugiyama Takanobu
ライター:Sugiyama Takanobu

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