多店舗経営の挑戦から「共に生きる」居酒屋へ-酒肴とんかもん
大手の安定を捨てて、夢の料理の世界へ
料理の世界に入ったきっかけを教えてください
旦那さん:料理を好きになったのは、学生時代にバイトしていた『味の民芸』といううどん屋がきっかけです。そこで「料理って楽しいな」って思うようになりました。
そのまま料理の道に進みたい気持ちもありましたが、大学卒業後はサラリーマン家庭で育ったこともあり、大手のSE(システムエンジニア)会社に入社し、営業職に就きました。月収40万~50万円と安定した生活を送っていましたが、学生時代の料理の楽しい記憶が忘れられず、思い切って会社を辞める決断をして料理人の道へ進みました。
最初は、日本料理店で修行をしていましたが本当に大変な生活でした。月収8万円、朝から深夜まで働き詰めという生活でしたが、独立して多店舗経営を夢見ていたのでやり切ることができました。その後、居酒屋チェーンで経営や人材マネジメントを学びながら資金を貯め、30歳で東京・神保町に自分のお店をオープンしました。
当時のことを振り返っていかがですか?
奥さん:彼と出会ったのが、ちょうど日本料理屋で修行をしていた時でしたね。そして、結婚したのは、彼が月収8万円の時でした。私の親も最初は驚いていましたね。私の父はサラリーマンを全うした人でしたが、自営への憧れもあったので、『やりたいことをやりなさい』と応援してくれました。結婚して子供ができてからも彼は一生懸命働いてくれていたので、周りからは『シングルマザーみたいだね』なんて冗談を言われたこともありますね。
2店舗経営の挑戦と武蔵新城への一本化
神保町の次に武蔵新城に出店したのはどうしてですか?
旦那さん:神保町でお店が軌道に乗った後、地元の武蔵新城にも新しい店舗を構えたいと思いました。元々、多店舗経営に挑戦するのが目標だったのもあり、地元に出店をすることにしました。しかし、2店舗体制の運営は想像以上に難しかったですね。
奥さん:神保町のお店は黒字でしたが、武蔵新城の店舗は、上手くいかずずっと赤字が続きました。2店舗を経営し続ける負担はかなり大変でしたね。
旦那さん:武蔵新城のお店を続けるか、それとも神保町に絞るか、非常に悩みました。地元である武蔵新城のお店を諦めたくなかったし、ここは僕が生まれ育った街であり、家族や友人もいる場所。地元を残したい気持ちが強かったですね。夫婦で話し合いを重ねた結果、武蔵新城に一本化する決断をしました。
奥さん:私も武蔵新城に絞る方が自分たちらしい営業ができると思いました。2店舗の営業では、一方を店長を雇って人に任せなければならず、自分が手伝えることが限られていました。武蔵新城なら近いし、自分も手伝えると思い、この街でやることにしました。
新城の街で飲食をやる大変さ
武蔵新城でお店をするのには、どのような課題がありましたか?
奥さん:武蔵新城でお店を始めた当初は、本当に大変でした。地元の方に『10年営業してたら認めてやる』と言われたことを今でも覚えています。最初は『なんて厳しい街なんだろう』と思いましたが、実際にやってみて、そう言われた意味がよく分かりました。
最初の内装は東京のお店と似せて作ったので、うす暗い洞窟のような雰囲気で「ブランド豚を使った豚料理の専門店」というコンセプトでやっていました。しかし、これが地域には合わず、「敷居が高い」「入りづらい」と思われてしまったのです。また、店名も当初は「豚火門(とんかもん)」という漢字を使った名前でしたが、これも焼肉屋と誤解されることもありました。
そのため、店名を「創作ダイニングTonkamon」に変え、最終的には現在の「酒肴とんかもん」とひらがなにしました。ひらがなにしたのは、固定観念をなくして、料理のジャンルにとらわれず、柔軟なメニューを提供できることからですね。
多店舗経営から縮小へ―夫婦が選んだ新たな目標
多店舗経営から縮小に切り替えた理由は?
旦那さん:神保町との二店舗経営では、どうしても一方を他の人に任せざるを得ない部分がありました。でも、武蔵新城のお店一本に絞ってからは、夫婦二人で直接お客様と向き合えるようになったんです。それが今のスタイルにつながっています。
また、これまでがむしゃらに働いてきましたが、自分の目の前に来てくれるお客さんを大切にしたいという思いが強くなっていったんですよね。友達が来て、楽しく営業していけるようしたいというようになっていきました。
奥さん:最初はキッチンと客席に壁があって、キッチンスペースは見えないようになっていたんです。友達が来たときに、せっかく会いに来たのに、「話せないの?」って言われることがあって、それなら開けちゃおうっていうことで壁に穴を開けて、キッチンにいても話せるようにしたんですよ。
武蔵新城で営業することはどうですか?
奥さん:武蔵新城の1000beroがきっかけで地域のことを知る機会がありました。最初は「うちの住所は新城じゃなくて上小田中なので、『新城じゃないから…』と遠慮していました。でも、イベントの主催者の方が『働いているならみんな新城の一員ですよ』と言ってくれて、その言葉がすごくうれしかったんです。それで、地域の輪に入れてもらえた気がしました。
このイベントをきっかけに、地域全体で支え合いながら飲食店を盛り上げる姿勢を学びました。「共に生きる」というテーマが、自分の中で大切だと気づきました。
コロナ禍でペットフレンドリーなお店にした理由は?
奥さん:コロナ禍になり、宴会や大人数での利用がほとんどなくなってしまって、この広い店内をどう使うか考えました。そんな時「共に生きる」というテーマと武蔵新城の地域のことを思ったときに、ペットと一緒に食事ができるお店があったらいいなと思ったんです。私たちも犬を飼っているし、広い店内ならペットも可能なんじゃないかと思いました。
ペット連れの方もそうでない方も、みんなが気持ちよく過ごせる場所を目指して、店内をリフォームしました。座敷をなくしてテーブル席を入れたり、ペットエリアと一般エリアを分けたりして、どちらのお客様も快適に過ごせるようにしました。
こうしたことで、地域の横のつながりも増えたんですよね。同じようにペット入店可能なお店とつながったり、同じ川崎の登戸から来てくれるお客さんともつながったりしましたね。こういうように、みんなと共に過ごせるというのが大事だなと改めて気づきましたね。
地域と共に歩むとんかもんのこれから
これからのお店で大切にしたいことを教えてください。
旦那さん:お客さんが求められるものにちゃんと答えられるようにして、いきたいですね。
常連さんが同級生を連れてきてくれることが多いんですけど、そういうときに『おまかせで』って頼まれることがあります。その人が何を好きか、何を苦手かを考えながら料理を作るのが楽しいんですよね。例えば、痛風の人には魚卵を避けたり(笑)。冗談ですが、お客さんの顔やどんな人がわかるからこそできる、その人に合わせたご飯を出せる店が理想ですね。
奥さん:大きく儲けるというよりも、自分たちらしく、無理なく続けられる営業をしていきたいです。常連さんたちが新しい人を連れてきてくれるときに、『ここなら安心して楽しめるよ』と思ってもらえるお店でありたいですね。
旦那さん:メニューがないお店って、チェーン店ではなかなかできないことだと思うんです。お客様の顔を見て、その人に合った料理を出せるのが、個人店の強み。地域の方々にもっと特別な体験を提供できる店を目指したいですね。
そして、帰られるときに、「このお店に来てよかった」って思われること。
それって料理だけじゃないし、サービスや接客もあるし、そういうお店がこれからもできれば一番幸せだろうなと思いますね。