見出し画像

男子玩具の変遷と価値転換 ~take-shit インタビュー②~

ソフビ、格闘技、音楽の共通項


ーーーソフビ、音楽、格闘技、この僕の好きな3つの物を全部take-shitさんが実践されているのがとても興味深くて。この3つに共通するものって何なんでしょうね。

まずレコードとソフビに関しては、大人になった今の自分達に共通しているなぁと思えるのが、「カラー色変えレコード」や「マーブル成形」です。

80年代のハードコア・バンドが自主製作でレコードプレス工場とやりとりする中で、小ロットでレコードプレスするからこその、プレス毎のカラービニールの色変えや、沢山の色を使用して、グニャグニャな色彩を再現するマーブルビニールレコードという概念が出来て、それが現代の自主製作ソフビ怪獣のカラーバリエーション1期、2期、3期の色変え、2色3色使いのマーブル成形色と概念が似ているんです。

そして、ソフトビニール人形と言えば、厚紙製のヘッダーカードですが、レコードに置き換えれば、厚紙製のジャケットです。ここにも、沢山の類似点を探し出せることができます。白い余白に、手書きのナンバリングや、使用した紙の材質などで、発売時期の特定が可能です。

かつての1980年代に活動していた、オリジナルラインナップでのミスフィッツのシングルレコードが、毎回毎回色変えで、小ロットで生産されて、いつ生産の製品なのか、選別がつきやすくなり、それが後々とんでもない
希少価値を生みました。グレン・ダンジグが自分で工場を探して色々製作し、その他のバンドや、その関係者達が、彼の行動力から学び、そしてその作業工程、販売方法を真似ていったんです。

ーーーソフビと格闘技に関してはいかがでしょう。

ソフトビニール人形は日本発祥の玩具文化です。総合格闘技も、ある意味では日本発祥のモノです。

元々は何処のプロレス団体の練習道場にもあったものではあるけれど、新日本プロレスの合宿所で、とある選手達数名の間だけで行われていたガチの極め合いから発生していったUWFやシューティング(修斗)があり、日本発祥の柔道・柔術がブラジルでJIU-JITSUになって、そのJIU-JITSUをグレイシーファミリーが北米に持って行き、UFC大会という物を作りあげ、現代のMMAという物に繋がるという。

そんなソフビと格闘技・プロレスのクロスオーバーは「タイガーマスク」です。まぁ中嶋製作所のマスク脱着式タイガーマスク人形と言った方がよいかな。この「マスク取れ人形でリアルタイムで遊んだ原体験が有るか無いか」、ここがポイントだと思うのです。

take-shit2歳10か月

第一次怪獣ブーム(1966-1968、マルサン怪獣人形ブーム)って、妖怪ブームを挟んで、スポ根(スポーツ根性)漫画ブーム(あしたのジョー、巨人の星など)にとどめを刺されて終わったんです。ちなみに、自分は、生まれて間も無い為、第一次怪獣ブームは経験していません。スポ根マンガの第一人者である梶原一騎の作り出した『タイガーマスク』の漫画(1968-1971)、テレビアニメ(1969-1971)が大ブームとなって、中嶋製作所の発売した、マスクの取れるタイガーマスク人形が大ヒットしました。

中嶋製作所のタイガーマスク・シリーズ

そこから地続きで、仮面ライダーからの変身ブーム到来で、タイガーマスク人形と同じ脱着式を採用した、旧バンダイ製仮面ライダーと怪人達が大ヒットし、そしてスペクトルマン、帰ってきたウルトラマン放映開始と共に第二次怪獣ブームが起こります。

マスダヤは、少年誌展開のみだった時期から、漫画版のタイガーマスク人形を発売してはいましたが(マスク脱着式では無い)、スペクトルマン怪獣も発売していきます。マルサンの後継となるブルマァクも、それまではウルトラマン〜セブンら旧作の怪獣達の再生産のみだった製品展開を、一気に、帰りマン怪獣をほぼほぼカバーしながら発売して、一大ブームになります。

しかし番組が、エース〜タロウになるにしたがって、一つの番組に一つのヒーローの玩具展開という観念を壊し、シリーズを通して、ウルトラ兄弟・ウルトラファミリーという商品展開にシフトチェンジさせ、ヒーローには、マスク脱着という中嶋製作所のギミックのおこぼれを頂戴して、商品はなるべくロングランで引っ張っていくようになります。

第二次怪獣ブーム終焉まで、そのスタイルは崩しませんでした。実際には、第三次怪獣ブームという物もあって、僕らよりも、もう少し下の世代はこのブーム直撃世代ですよね。ポピーキングザウルスや怪獣消しゴムに熱中した世代。その怪獣ブームを通過したガキが思春期になって、実際のプロレス会場に現れたタイガーマスクに再び熱狂し(自分は1981年4月蔵前国技館でタイガーマスク対ダイナマイトキッド生観戦しています)、UWFという新しい戦いに驚き、タイガーマスクの中の人(佐山聡)がその後に作り出すシューティング構想(総合格闘技)や、修斗がブラジルから招聘するヒクソングレイシー(柔術)にまた衝撃を受ける、という流れがあるんです。

ソフビ玩具、格闘技、 に関しては、元々日本発祥の文化 が、更に現在進行形で、世界各国でどんどん進化している為、その進化を、生きているかぎりは見届けていきたい、という感情があります。

ーーーめちゃめちゃ面白いです! タイガーマスクのソフビって、ウルトラマンや仮面ライダーのマスク取れソフビより前に発売されてたんですね。あのギミックって中島製作所の発明だったんですね。

ソフビのマスクの後ろの切れ目のちょうど真ん中に、切れないように丸があるじゃないですか。想像ですが、あのパテントは中島製作所だと思うんです。

で、ブルマァクは真ん中ではなく、ちょっと横につけてるのは、たぶんパテント逃れでやっているのでは?と思うんです。だから中島製作所が製品名にやたら「ウルトラ」をつけるのは、対抗というか、マスク取れのことがあるから文句言えないだろという関係だったんじゃないですかね? これは、あくまで、自分の想像上の話なのですが。

だって、「海のトリトン」の怪獣達にまで、いちいち「ウルトラ怪獣」と付けていたんですよ。お互いの会社間、何かよほどの事があったのでは?と勘ぐってしまいますよ。

ーーー確かに中島製作所ってアストロミューとかに「ウルトラアクションボーイ」とか名前つけてましたね。

ターガーマスクの人形はおそらくマスダヤが先に発売していたんですけど、マスクは取り外せない仕様だったんです。だからマスク取れギミックは中嶋が元祖だったと思います。

パチ怪獣ブームはどのように起きたのか


ーーーいま、日本だけでなく中国や台湾、タイ、アメリカなど海外も含めて、クリエイターが小ロットで作るオリジナルのソフビ人形がブームで、二次流通で高額で取引されていたりします。村上隆さんによると、このブームの源流は1990年代の原宿で巻き起こったアメトイ(アメリカントイ)ブームだと語っています。でも、僕はそれよりも、2000年前後の日本のパチ怪獣ブームのほうが影響が大きいと思っているんです。

※村上隆が現在の世界的ソフビ・ブームに関して語る対談が収録された雑誌『熱風』2019年5月号

人それぞれ、考え方あると思いますが、自分が思うに、まず古物玩具業界の節目節目の変化の境目っていうものに着目していく事が、鍵だと思いまして。

80年代だったら、大きめな出版社が出す若者向けカルチャー/ファッション誌などでの玩具特集ページや、特撮雑誌の趣味範囲の特集くらいな感じが、ある程度若干、市場価格が変わってしまうキッカケだったと思うのです。

それが、雑誌という媒体を超えて、民放テレビ番組の、ほぼゴールデンタイムに放送されているお宝発掘・お宝鑑定的な内容の番組が1994年に始まり、その番組は「古いものイコールお宝」というスローガンを掲げているんです。そして、その番組内容はすっかり一般市民権を得ていき、世の中のお年寄り世代にまでそのスローガンは伝わりました。

それまでの古物玩具店は、玩具価値を分かっている、店に出入りしているマニア/常連客からは誠実な査定で買い取りや交換していたかもしれないけれど、古道具屋、骨董屋が、フラッと訪れて「うちの買い取りで入荷したけれど(ブリキ製品以降の)玩具関連だから、価値わからんからここに持ってきた」とか、一般の方々の、フラッと訪れて「押入れから、こんなん出てきたんですけどお金になります?」的な感じで買い取りする玩具に関しては、今までなら、ほぼほぼ店主の言い値で、買い叩いてきたんです。

それが、お宝鑑定番組放送以降は、それができなくなったんです。そんなわけで、 古物玩具業界で取り扱う金額が、桁を超えて、大きく様変わりして
しまいました。

やっぱりマニアの手に渡った後の玩具ではなくて、一般の方々の押入れや倉庫から出てきた、当時そのままの品物って、どこのお店も欲しいものなので、置いていって欲しいので、多めに金額言われてもそのまま金額払ってしまうんです。

古い玩具(1960年代~1970・1980年代初頭くらいまでの生産)が、現代に再び、外の日の目を浴びるという事。それは、お年寄り達が若いころ(1960~1970年代)に手に入れた、仕入れた物が、倉庫や押入れから埃まみれのダンボール箱ごと、古物玩具店舗まで持ちこまれるという事。

この時代は、玩具問屋からカートンで仕入れないといけなかったので、余った物は倉庫で保管。これがデフォルト。80年代中期以降は問屋も小口販売をしていた関係で、余り物が残っている、という事例はだいぶ減ったと思う。

90年代初頭に創刊された個人売買誌『クアント』の出現や、ヤフーオークションもそれなりに、影響はあったと思うけれど(ヤフオクは、もうすべての個人売買関連の金銭価値観を変えてしまう物でしたが)、それらはせいぜいティーン世代から40~50代くらいの、パソコンを弄る事が苦では無い層限定です。それらは、民放で全国規模でゴールデンタイムに放送されているお宝鑑定番組の影響には遠く及ばないと思っています。ネットを見ないお年寄り達にまで、深く浸透していた、って事実が本当にデカイんです。

少し長くなりすぎたけど、要するに、古物玩具業界に入荷する物の、すべての金額が底上げしてしまいました。

でもそれは、テレビ放映のあったキャラクターや大手玩具会社が企画生産していた玩具限定という話です。ブリキ時代の物は除きます。

古物玩具のマニアやコレクターって、店の店主、スタッフ、店の取り巻き、そして常連数名、これらの中でそのヒエラルキーに準じた順番で、入荷する由緒正しいキャラクター玩具は分配されていくんですが、そのウブ出し荷物(玩具)を最初に搾取できる、コミュニティの中でもお店の宣伝にも繋がる高額出品できるキャラクター玩具を、お店に並べる前に取らないっていうことは、暗黙のルールでもあったりしますよね。

で、大量に持ち込まれるようになった古い玩具の中に混ざっていた、価値が無いとされていた非キャラクター玩具、つまり今でいうパチ怪獣、パチヒーロー人形をあえて選んでいた人達がいたんですが、、、そんな人、人達?! 数名の影響力の賜物(タマモノ)が、現在の、そのソフビ・ブームの源流かな。

「パチ怪獣」と呼ばれる昭和のソフトビニール人形

ーーー確かに、パチもののソフビって、以前はヴィンテージ価値が無いものとされていて、値段がつかずに捨てられていたっていいますよね。

うまい例えでは無いかもしれないけれど、ウブ出し古玩具の塊が、食肉産業で言うところの一頭買いだとしたら、テレビキャラクター玩具がヒレ肉/ロース肉にあたり、タン/内臓/スジ肉/などが、パチモノにあたる感じ?

今でこそ、タン/内臓(ホルモン)/スジ肉などなど、皆んなありがたがって 食べているけれど、かつては廃棄されていた部位。そこを各自、工夫して美味しくいただいている感じ。内臓(ホルモン)なんて、「放るもの」捨てるもの が「ホルモン」になったんですし。

パチモノにいちいち名前付けて楽しんだり、そんな、古玩具屋コミュニティ内まかない飯・B級グルメ的なものが「パチ怪獣」。

パチ怪獣特集を掲載した記念碑的ムック『デス・オモチャ2000年』(2000年、徳間書店)。当時はまだザゴラ(大協)や宇宙原人(米澤玩具)の名前は判明していなかったことがわかる。

ーーー1990年代半ばから2000年ごろにかけて、ヴィンテージのキャラクター玩具が市場価値が高騰し再発掘されたという大きな流れがあり、その中でカウンターとして「発見」されたのがパチ怪獣やパチソフビだったんですね。

はい、そうですね。あとパチ怪獣に関して補足させて欲しい事があって。それは、立体では無く、紙に印刷された、二次元上で展開されていた、パチ怪獣の五円引きブロマイドの存在。

これも、紙モノ、カードマニア/コレクター達から、昔から追求されていたジャンルで、有識者達が新宿ロフトプラスワンなどで定期的に、それらカードに描かれた架空の怪獣達を検証していくイヴェントを行ったり、そのカード
のデザインそのまま、ソフトビニールで立体化させていたり、、、と、決して無視できない動きがあったことを補足させてください。

ーーー唐沢なをきさんやアマプロの喜井竜児さんが2000年代に主宰していた「パチ怪獣サミット」ですね。僕も何回か見に行きました。トークイベントの後にはパチ怪獣ソフビの販売会も行われていたのを覚えています。

1990年代の北米玩具ブームとcocobat


ーーー北米玩具にも造詣が深いTAKE-SHITさんから見て、1990年代のアメトイの盛り上がりって、どう映っていたんですか?

1993年初頭、自分のバンドのcocobatとSOBが渋谷クアトロでライブをやった時、そのスペシャルレポートといった感じで、スーパー写真塾の紙面上でカラー記事でライブレポ特集してもらった事があるんですが、その前後で白夜書房/コアマガジンの中の人と繋がりが出来たんです。

ちなみに、そのスーパー写真塾は1993年6月号なんですが、ボアダムズの山塚eye、電気グルーヴのカラーの連載ページがあり、パイディア、ルインズ、YBO2、etcのスーパードラマー吉田達也ロングインタビューがあったり、非常階段のJoJo広重氏のトレーディングカード紹介のページも有り~の、、と下手な音楽誌なんかに負けない内容で読み物欄が充実していて、表向きはエロ雑誌の皮を被ってはいましたが、非常に攻めている内容だったんです。

で、白夜書房/コアマガジンの違う部署の中に、飯田氏が居たんです。僕に色々聞きたい事がある、というので話を聞くと、彼は、個人的には北米のローブローアーティストの描くイラスト、コミックスが好きなんですよね。で、彼の友人でバンドマン(ジャッキー&ザ・セドリックス)/イラストレーターのロッキン・ジェリービーンの才能をもっと開花させたい、と。彼のディレクションのエロ本の中では、ちょくちょくジェリービーンのイラストは使われていて、でも、そんなところで燻っている玉じゃ無いと。

なので彼のイラストを全面的に押し出し、北米のローブローアーティストの情報が分かったり、その頃、じわじわ市民権を得てきたブリスターカードに入った北米コミックキャラクター玩具を全面フューチャーした雑誌を作りたいと。で、僕はこんな人達ど~ですか?と、何人か紹介しました。で、数年後1996年白夜書房から創刊されたのが『アメイジングキャラクターズ』ですね。

『アメイジングキャラクターズ』(1996年、白夜書房)創刊号。3号まで発刊された。

その季刊誌は、さっき言った内容プラスさらにドメスティクな部分、国内のショップ紹介や、バウンティハンター・オリジナルキャラクターのソフトビニール人形(キッドハンター)原型製作の過程なんかを紙面で紹介したり、と。この辺の新しいオープンマインドを持った編集者/クリエイター達が、雑誌という媒体を使って、よりマスに出ていく感じ。これ、結構、今までと、何かが違う、何かが始まろうとしている分岐点だと思っています。

出版業界も、雑誌の製作にMacを使ったDTP(デスク・トップ・パブリッシング)が導入されて、本の紙面製作に、よりアイデアを直感的に詰め込む事が可能になった、これが本当にデカイですよ。

ーーーいわゆるお宝鑑定団的な昭和の日本キャラクター玩具の中古市場が盛り上がる一方で、北米玩具がストリート系の若者を中心に盛り上がっていたということですよね。take-shitさんが1990年代から世に出してきた玩具たちは、その両方をまたぐ存在だったと思うんです。

自分の(cocobat)玩具の流れをサラッと説明していくと、1994年の「posi-traction」というアルバムで、joeという曲があり、そのもじりでcocobat joeという架空の玩具を誕生させたんです。

最初は、Tシャツのデザインだけでしたが、次に、そのイメージイラストを『アメイジングキャラクターズvol.1』に登場させました。それから渋谷のZaap!という米国玩具専門店別注という形態で、メディコムトイからcocobat joeを発売しました。1996年に出した「Return of Grasshopper」のジャケットに登場するココバッタ(イナゴ)のソフトビニール製アウトフィットを身に纏った形態で箱に入れて販売しました。

それが、中々好評だったので、今度は「posi-traction」というアルバムのジャケットのイラストRace to Hellの玩具を渋谷のZaap!から出すのですが、車の形をした玩具なので、プルバック形式のブリキ部分はブリキの車玩具の老舗と言われているイチコー社の物をベース車両として使用しました。

posi-traction TIN-CAR(1996)

そして、1998年に出すミニアルバム「Tsukiookami」という作品の販促品という名目で、Race to Hellの頭部ソフビ部分を差し変えて「finkShit TIN-CAR」という物を制作しました。架空キャラの「finkShit(フィンクシット)」とは、自分の生涯フィヴァリットキャラクターであるRat Fink(ディズニー社ミッキーマウスに対するCounterキャラクターの様な存在?)を自分なりに、己のイメージをミックスして造り出しました。

で、そのfinkShitの頭の着いたブリキの車はcocobatの新作CDの購入者に抽選でプレゼントしました。で、今度はFink Shitの身体も新たに造ってしまおう、ということで、あの三頭身のソフトビニール人形「finkShit」が出来るんです。

そして、1999年~2000年にアルバム「ivsi」に出てくる鰐風の怪物cocoCrocというキャラがアルバムジャケットに出てくるのですが、その怪物のソフトビニール怪獣なんかも作りました。

「finkShit」「cocoCroc」は、Hiorta Saigansho製(その後のHxS)です。まぁその後の2000年以降も、鰐風の怪物アウトフィットを着たcocobat joeの弟「cocoboy」や、ミクロマンサイズのココバッタ「micro batta」がメディコムトイから発売されていましたけど、、、、

と、まぁざっと1990年代~2000年代初頭の制作物の動きは、こんな感じでしたね。何かと、アルバム発売にこじ付けて、そのアルバムに登場するキャラクターを立体化させて、玩具化させて、ということばかりやっています。

ーーー1998年に作られたTIN-CARやfinkShitは、オリジナルのソフビ人形としてはかなり早い存在で、のちのクリエイターズ・ソフビ・ブームのきっかけにもなったと思うのですが、あれはRat Finkに刺激を受けた<北米玩具>という感覚だったんですか?

北米玩具も日本のオモチャも両方好きだったので、自分が何か製作するんだったらアメリカ仕様・日本仕様そのままじゃなくて、足元を見て、和のものを上手に混ぜながら、というのを打ち出そうと。

80年代中頃からアメリカのトイショーとかに行くと、アメリカ人の玩具コレクター達は、皆んな日本のオモチャ大好きだし、向こうに行ってみると余計に、まずは自分の故郷のものをもっと勉強して、己の玩具文化を大事にしようよ、という気持ちになります。

例えば、Posi-Tractionのデザイン・モチーフは?というと、元々自分はアメリカに旅行に行けば北米特有の巨大なショッピングモールなどに入っている玩具店で、現行で買えるHot WheelやJohnny Lightningなどのミニカーなんかをよく買っていて、それらの原案となっていたホットロッドアーティストやカスタムビルダー達のデザインする、奇抜なデザインの車の描かれたアルバムジャケットにしたいと、毎回ジャケットを描いてもらっているアーティストのパスヘッドにお願いしました。

で、今度そのデザインを立体化・玩具化しようとする時に、アメリカ人の感覚で立体化・製品化するのでは無く、イカツイデザインは、和のフィルターを一旦通して日本のブリキの車の様な、丸みのある、少し抜けた雰囲気に馴染ませて製品化しました。

ーーーだからTIN-CARの車はイラストと少し違うんですね。

ただ、そこには自分達の気づかなかった盲点もあって、、、イチコーという由緒正しいブリキ玩具の老舗に商品製作を頼んでしまった手前、現代の安全基準に則った玩具仕様の枠内で、製品を作らなければならなかったんです。

現代の玩具の規定内で、ブリキの車を作ると、後ろのタイヤの車高は変えることが出来なかったり(タイヤとフェンダーに空きが有ると、ブリキの端で手を切ってしまう)、バンパー部分が、自分達の思うような形状にすることは無理でした。実際には、子供達が遊ぶための物では無くいい歳した大人が、ただ飾って楽しむだけの物なのにね。

そこで、フラストレーションを解消する為、finkShit TIN-CARは商品では無く、 CD購入者用のプレゼント商品および、レコード会社の販売促進グッズとして製作したんです。売り物では無いので、和のフィルターを通した丸みのある車ではあるんですが、後ろタイヤの車高は、ぐっと持ち上げられ、バンパー部位は思い切って外し、より、ソリッドな外観感に仕上げましたし、塗装はすべて剥がし、ブリキの下地が出ている、無骨な剝き身鉄板な外観を再現出来ました。

finkShit TIN-CAR(1998)

 イチコーの作ったソフビ部位にも若干悔いが残っていたので、今度は友人のソフトビニール成型工場「Hirota Saigansho」で頭部のソフビ部位を新たに制作したのです。その後、頭を新たに造ったならば、身体も欲しいよねという事で、大好きな総合格闘技の試合の時の格好をさせ、ファイターという設定にしました。

この設定・アイデア及び進行には、Hirota Saigansho(HxS)の存在が、かなり大きいです。だから、この玩具の足の裏には、僕の手描きHxSのロゴと、新たに造った屋号メーカー名、格闘玩具「Fightoy」と、彫りました。カタカナ表記で「フィンクシット」と彫ってありますが、これはHirota Saigansho創業者である「GOD of Soft Vinyl」こと Hirota氏の父に書いてもらったものを、そのまま彫りました。

やっぱり、熟練の技巧者による少しバースの狂ってるけれど、けして狙って書いているわけでもない不思議なカタカナ文字は、そんじょそこらの若者には出せない味があるんですよ。

finkShitの足裏刻印

ーーーそう考えると、fnkShitは昭和のソフビ文化を直接継ぐ作品なんですね。

僕の制作物って、影響をそのままストレートに!というよりかは、何かと1品なり、2品なり、何かブレンドしたがるんです。このFightoy・finkShitのキーポイントというか、ここで言いたいのが、オープンフィンガーグローブを
装着している部分。

finkShit

総合格闘技が、日本発祥と胸を張って言える部分には、このグローブの存在があります。現代MMAでは装着必修がマストだから。これが無いと、競技が成り立たないです。野蛮だと言われた初期UFCはベアナックルでしたからね。現在のほぼほぼ完成系の下地を造ったのが、佐山サトル考案の、グラウンドパンチ解禁以降の修斗公式戦で使用されていたオープンフィンガーグローブの存在でしょう。

ーーー確かに。ここでタイガーマスク(佐山サトル)と繋がりますね。

厳密に言えば、沢村忠の時代のキックボクシング練習用グローブにも、指先の出ているタイプは存在したし、それこそ、ブルース・リーもオープンフィンガーグローブの様な物付けている写真は存在していましたが、格闘技の公式戦での使用に耐えるクオリティの物を作り上げたのは、修斗公式戦で使用されていたタイプのはず。やっぱり佐山サトルはタイガーマスクの中の人だっただけあって、戦う人間が実際に身につけるコスチューム製作という点で、常人とは1歩も2歩も感覚が進んでいたんです。それらを作る縫製工場との連携なんかも、双方の仕事スピードも違ったはす。

自分も総合格闘技の試合は、 アマチュアレベルですが、3回経験済みで、アマチュア修斗(大宮フリーファイトVol.31)1回、 リングス系列の総合の団体zstのzepp大会 オープニングファイト2回。修斗の試合は、 その後の第2代DREAMフェザー級王者 になる高谷裕之選手でした。 結果は2R戦って自分の判定負け。zstの試合も2回とも負けています、、、相手はzstジェネシスリーグ・フライ級優勝者、矢島選手に1本負けと、Deepでストライカーとして活躍した寺田選手とジェネシスフェザー級トーナメント1回戦で当たり判定負け。

実際に試合で、このオープンフィンガーグローブを装着すると、本当に胸が高まるものなんです。ファイターとしては、自分は本当にヘタレでしたが、、、

2004 ZSTフェザー級グラップリングトーナメント GT-F大会 ワンマッチ

で、これまた、余談ですが、昭和時代のHirota Saiganshoでは、80年代のタイガーマスクブームの頃、プロレス会場で販売されていた、子供用タイガーマスクのマスク製作なんかもやっていたそうですよ。

ーーーソフビと総合格闘技をダイレクトにつなげたのはtake-shitさんならではの発想ですよね。そこにタイガーマスクが介在しているというのも必然を感じます。そしてあの高谷選手と対戦経験があるという凄い事実、wikipediaにも書いてない情報で初めて知りました!

日米玩具は相互に影響し合って発展してきた


ーーーでも話を伺っていると、アメリカの玩具と日本の玩具、もっというと玩具に限らず両方の文化が交錯するところが一番面白いんですね。

男子向けフィギュアの大元って、1960年代にハズブロが発売した12インチフィギュア「GIジョー」で、そこから少し経つと、アイデアル社がヒーローのコスチュームに着替える事が出来る「キャプテンアクション」という12インチフィギュアのシリーズを始めました。1960年代中期には、日本でも、あの怪獣帽子を製作販売していた輸入代理店三栄貿易を通して「GIジョー」「キャプテンアクション」は並行輸入され、全国のデパートに並んでいました。

1970年代になると、タカラがハズブロからライセンス許諾を取り、日本独自の解釈で「ニューGIジョー」を製作、販売展開します。その後、着せ替えにテレビヒーローを加えた「ニューGIジョー・正義の味方」のラインを挟んで、「変身サイボーグ」(1972~)が始まります。これは、アイデアル社「キャプテンアクション」の日本解釈版だと、自分は思っていて、これらは、幼少期に大好きで、男子用人形着せ替え遊びに夢中になっていました。

アメリカと日本は繋がりながら、互いに、少し違う製品が出来ていて、自分にとっては、この関係性には、とても興味が尽きないです。

例えば北米で販売されていたGIジョーも、最初の頃は洋服が日本製で、インナーのタグを見ればメイドインジャパンで、、、、GIジョーはアメリカの玩具なんだけど、洋服は日本製だったんです。向こうのコレクターにとっては、日本製品は縫製が良いからすごく評価されていました。これは女子玩具のバービー人形にも当てはまっていて、日本製のバービーの洋服は、大変評価が高いんです。バービーのいとこであるフランシーの日本製の洋服とか、アメリカ人コレクターにはたまらないらしいですよ。

話を男子の玩具に戻すと、、変身サイボーグは日本で大ヒットしたけど、オイルショックで材料費節約の為、小さくせざるを得なくなり、「ミクロマン」(1974~)が生まれました。それをアメリカのMEGOが、カードにブリスターを装着した形状で「マイクロノーツ(The Micronauts)」としてアメリカで発売して大ヒットして、、、

今度は、『スターウォーズ』(1977)が公開された時に、発売されたケナーのスターウォーズのフィギュアのパッケージスタイルがカードにブリスターを装着した方式のマイクロノーツ風で、、、

今度は、トイビズやケナーのアメリカのDC/マーベルキャラクター達のブリスターフィギアが、大人気となり、日本でも一時的に大人気となった、例のマクファーレントイのスポーンに繋がる、と。

ーーーそしてそのスポーンが1990年代の日本の北米玩具ブームを巻き起こし、オモチャがストリートやファッションと結びついていった、ということですよね。

一つ重要な日本発のプロダクツ抜けてるので、 補足させてもらうと、タカラの「ミクロマン」 の後半ラインの「ミクロチェンジ」と、 その後に続く「ダイアクロン」の変形する 「カーロボット」達数体を、北米に持って行き、 今回はメゴでは無くハズブロが、 そこを担うんですが、別の変形する 生命体というコンセプト玩具 「トランスフォーマー」が生まれ、 それが、また日本に逆上陸する様が、 本当に痛快で。

多分、どの日本発の玩具の中でも世界を圧巻させてきたのが、タカラの「トランスフォーマー」だと思う。でも、これだって日本に止まっていたら、ただの「ミクロチェンジ」で終了していたわけで。常に北米と日本が双方の行き来を繰り返して違うものになっていく様の完成系ですよ。ハリウッド映画にまでなったワケですから。

ーーー確かに!ミクロチェンジもダイアクロンも、日本では初期ミクロマンほどは流行らなかったので、アメリカにもっていかなければ、きっとひっそり終わってましたよね。

価値が逆転する時代がやってきた


そして、最後言い忘れがあったので、言わせてください。

自分の中で、ハズブロのGIジョーから~のタカラの変身サイボーグの、この辺りのデザインセンス、プロダクツの完成度、そして、それらで遊んだ自分の思い出も、、、どれを取っても、やはり、その時代の日本の玩具のトップセールスを誇った商品だっただけあって、唯一無比の孤高の玩具な訳です。

その商品に惚れ込んだからこその、リスペクトを込めて自分の玩具cocobat joeも製作したワケですし、、、。

で、その、タカラの変身サイボーグ全盛期に登場した亜流製品に、中嶋製作所の「アストロミュー5」があるんですが。この商品こそ、サイボーグのパチものと言われ続け、存在として笑われ続け、長い間、古物玩具業界でも、邪険に扱われてきたんです。90年代の中頃までは。

変身サイボーグに対抗する商品展開を開始した頃の広告。 「「プロデューサーは君だ!」このワードセンスが流石」(take-shit)

前の方でも、パチモノ・ヒーロー/怪獣の存在感の例えで使わせてもらいましたが、沢山のウブ出し荷物の中に変身サイボーグ、ミクロマン、アストロミュー5がゴッソリ入っていたら、タカラ製品は、ロース、ヒレ的な部位で、中嶋製作所の物は、ホルモン(臓器)、スジ肉、的な扱いですよ。

僕自身がガキの頃、祖父祖母が、このアストロミュー5を買ってきてしまい、嫌悪感しか無かった思い出があるくらいです。

で、時が経ち、中嶋製作所の製品の大躍進が始まるんです。海外(特に北米)のマニア達には、このアストロミュー5の方が、タカラの洗練された製品よりも、断然人気が高いのです。色味や無骨な、少しパースの狂ったデザインが、タカラの洗練されたデザインより魅力的に映るんだそうです。

この現象って、2000年以降のパチモノ・ヒーロー/怪獣の好評価・存在感の大躍進と非常に被っていると思っています。

実際、万が一、オークションに中嶋製作所の関連製品が出品されると、タカラの変身サイボーグ関連なんかとは比べものにならない程、大争奪戦が繰り広げられます。海外にも多くのアストロミュー5コレクターが根強くいて、日本のオークションに出品されるのを、落札代行業社や友人達を助っ人にして待ち構えているからです。

この中嶋製作所のアストロミュー5関連商品こそ、現代に、未だに語り継がれ、そして世界中の多くのマニアが中古市場に目を見張っている、カルトな玩具だと思っています。こーゆー上下関係・立場のリバース現象って、すごく興味そそりますよ。

ーーーすごく分かります。アストロミュー5とか当時のパチモノのニュアンスって、いま狙って作ろうとしても真似できないというか。ホンモノよりニセモノのほうにこそ、コピーしにくい独自の価値を感じてしまうというか。

ここ20数年の間で、立場の逆転現象はどこのジャンル、どこの世界でもある事なんですが、ここ日本の出来事で言うと、何か、ただ事じゃ無い気がしているというか、これらの事例に一貫性が見え隠れしている、というか。

フジテレビとテレビ東京の立ち位置が逆転するなんて!20数年前からしたら考えられない事。猿岩石の有吉が天下を取るとか、誰が予想していました? 猫と犬の、人間の飼う比率、立ち位置も、ここ20数年の間ですっかり入れ替わりました。

少し極論を言ってしまったかもしれませんが、アストロミュー5の例に漏れず、パチ怪獣の世界的大躍進もそうですが、何か外すポイントを弁えている存在、偶然、何処か履き違えてしまったモノの大躍進が、ここ20年でより加速しているなぁと。

ポイントで言わせてもらうと、それを見た・感じた人が、各々脳内で、想像できる余白、伸び代のあるモノの方に人々は興味を唆るんです。

・・・・・・・・・・

③に続く

真実一郎


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?