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くだらないの中に
生きていると辛いことの方が多いように感じてしまう。
きっとそうではないのだろうが、得意の自意識過剰が湧き出てきてあっという間に目の前を覆ってしまう。
自意識過剰が湧き出てしまうと、本当は幸せを感じられる瞬間にも気がつけなくなる。
自分ばかりどうしてこんなに辛いのだろうと思ってしまう。
そうして心に余裕がなくなってしまい、人を信じることができなくなり、自分は一人の方がマシだという逃げ道を作っては一瞬の安堵を手にいれる。
そこには幸せが一ミリもないと分かっているのにどうしてもこの状況から逃げ出したくなってしまって短絡的な逃げ道に迷ってしまう。
逃げてしまったこと、自分を偽っていることの自己嫌悪に陥ってはまた同じことを繰り返して。
幸せとはなんなのだろうか。
恥ずかしながら僕はまだこの答えを見つけられていない。
この答えを出すには僕の経験も考えも何もかも足りていない気がする。
でも生きている間に、僕なりの答えを出せたら良いなと思う。
そんな時に少しだけヒントになるような出会いをした。
星野源さんの楽曲の中に
「くだらないの中に」という楽曲がある。
僕はこの楽曲の中に幸せがあるような気がしている。
この楽曲を知っている人であればこれから言おうとしていることがなんとなく分かるかもしれない。
知らない人はぜひ一度聴いてみてからこの続きを読んでほしい。
きっとその方が面白いと思う。
『髪の毛の匂いを嗅ぎあってくさいなってふざけあったり
くだらないの中に愛が 人は笑うように生きる』
同じ言葉を同じタイミングで話して大笑いしたり、どうしようもなくつまらないギャグを言って笑い合ったり、目玉焼きは何派??でちょっとだけ空気が悪くなったり。
周りから見ればどうでもよくてくだらないと思うこと。
僕はそんなくだらない世界がとても好きだ。
普段何気なく過ぎ去っていくそんな時間にこそ幸せはきっとあるのだろうと思う。
バカな僕はそんなことに気付けずに僕なんてと塞ぎ込んでしまう。
これからは塞ぎ込んでしまいそうな時にこの曲を聴いてみようと思う。
今までよりも少しだけ前向きにこの世界と向き合えるかもしれない。
今日は仕事のミスを発見してしまい、休日のくせに急いで職場に向かってなんとかことなきを得たのだが、
「連絡してくれればやったのに。」
という温かい言葉にも、自分のミスだしなーーーとか。
そもそも頼める人いないなーーーー。
とか考えてしまって、自分で行った方が早いやという結論に至ってしまって、ミスと共に少し落ち込んでいたが(完全に自業自得)
帰りの電車で靴下の色が若干違うことに気がついて恥ずかしいと思いつつ、めっちゃくだらないミスしてるじゃんと一人おかしくなったのできっと人生というのはこういうことで良いのかもしれない。
くだらないの中に愛が 人は笑うように生きる