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貨幣社会の終焉に向けて

この世の不幸の原因はすべてお金?
やはりお金は未熟な社会の産物なのでしょうね。


お金と幸福の相関はあるのか?

お金持ちが幸せなのか?という単純な問い。
外から見れば、幸せに見える?
欲しいモノやコトは何でも(?)手に入る。
華やかに見える、Happyに見える、栄えて見える。
でも、それが本当に幸せと共感できるのか?
すべては唯物。
欲しいモノ/コトが全て手に入れられるなら、そうかもしれない。
でも手に入れられないものもたくさんある。
それは恐らく、お金の量に相関しない・・・
安らぎ、万人と共有できる喜び、身の回りの人たちのささやかな笑顔・・・とか。
幸福は、ほんとは、足元にたくさんある、日常にたくさんある。
頑張らなきゃ手に入れられないとか、そんなものじゃない。

お金は何のための存在なのか?

この世(こんなになってしまった今の社会)に生まれて、物心がついて、そして自立して生きねばならぬと迫られたとき、お金がゼロだったら、生きて行けるのか?
普通に今の常識に照らせば、不可能と言わざるを得ないのでしょう。
思考が止まってしまっていたら・・・
でも、よくよく深く考えてみれば、なぜ? ほんと?
否応なしに文無しになった人々、敢えて文無しを選んだ人々。それでも逞しく生きてる人々。その中に、本当に幸せそうな方々もいる。
持てる者、持たざる者。
それは、すべてを持てる者、すべてを持たざる者を意味する訳では無い。
文無しの方々にしか、持てないもの/ことがある。それに気づくべきだと思う。
お金の特徴は
・腐らない
・記名されていない
・一定の信用がある
多少の価値変動があれ、いきなり価値消滅は無い。だから腐らない、朽ち果てない。
記名されていないし、信用があるから、自分がどんな善人でも悪人でも、お金は通用し、その価値に見合ったモノ/コトと交換ができる。
人口が増大し、コミュニティが拡大、やがて顔も名前も憶えきれなくなり、憶えられなくても、なんとか同等に近く、システムが維持できないだろうか?
そんな課題解決の手法として賢者が発明したもの、それがお金、貨幣の始まりだったのだろう。
悲しいかな、生身の人より、石ころの方が信用信頼があるという・・・・
それを人々は今でも素晴らしき発明、お金は神かも・・・と。

お金が存在しない太古の方が日々幸せに満ち溢れていた

お金が発明される以前の世界を想像してみよう。
日々、日常にある、コミュニケーションのほとんどが笑顔で交わされている。あなたの笑顔がみたい、見れた、相手も自分の笑顔見ている、見れた。
日々、みんなが無意識的に求めているもの/ことは精神的な豊かさ。だから。みんなの自分の笑顔が欲しい。
見知らぬ他人の笑顔が嫌いな人なんているのか? 辛いことが合って心が歪まない限りは無いと思う。たぶん。
悲しいかな、現代社会の人間関係は、お金に依存する要素が多すぎる。それが本来の人間関係を著しく歪めてしまう。

美しき緑の星

映画「美しき緑の星」からの抜粋

”お金が無い”、今の地球より3000年ほど進んだ、ある星の物語「美しき緑の星」
何故か? この映画は世界に広まることが妨げられてしまった。
物語の世界は、この宇宙のどこかの星。今の地球より少し科学文明が進んだあたりで自然への畏怖に回帰し、自然と融合する社会を選択した・・・そんな星の物語。
日々、狩猟採集に毛が生えた程度の暮らし、恐らくは縄文時代的な暮らしをしている。日常は、農的作業、自分が得意な運動、そしてみんなで瞑想的な静寂の時間を共有。人の知恵でなんでもできてしまう分、節度が社会に染みついている。星は地球の大きさより小さく、コミュニティーは小規模なダンバーズ数の範囲内の規模。
しかし科学の理解とその駆使の方法は今の地球より進んでいる。小学生低学年の年齢層も、お兄さんたちとともに量子物理学的知識を学んでいる。その知識を使って、時空を超える移動や通信も何のデバイスも使うことなく実現している。
コミュニティの政治は全員で行う。その場は山頂。山頂は人を賢くする、そんな場所。
この世界、社会では、貨幣/お金の片鱗も無い。そもそもその必要性が無い。

我々は”お金”という麻薬から脱却はできるのか?

「美しき緑の星」を単なる架空で終わらせるならば、それまで。ただもし本当に人類的な存在が辿る歴史のステップとするならば、本当にそんな方向に進んでいけるのだろうか?
みんな、ずっとそう思い続けてきたに違いないと勝手に思う。短い人生で「お金を稼ぐ」というゲームは、あってもいいけど、そんなにいらない。ましてやそれで病んだり、人を憎んだり・・・誰もそんなことしたくないはず。
とは言え、貨幣システムを発見、発明してしまった。それから、うん千年、万年?
どうやら、終わりに向かえそうな雰囲気も出てきた気がする。
世界的に、お金に汚い為政者や官僚が蔓延。一国、数国程度ならまだしも、あちこちで同時にその腐敗っぷりと、みんなバレてるのにそれでも延命求めて藻掻くという。
世界を見渡すと、日本の凋落っぷりが突出しているようにも見える。
逆に、それが時代を変えるスタートポイントなのかもしれないと日々確信が募ってきている。
そう、もしかしたら日本が貨幣社会の終焉のトリガーを引くのかもしれない・・・と。

日本の大衆の稼ぎがブラックホールに飲み込まれる

特に戦後から、日本の大衆が稼いだお金は、みんなブラックホールに飲み込まれて、日本の大衆に還元されていない、循環していない。
ブラックホールの先の行先は?
ほとんどの人々は気づいている。日本の政治家や官僚が率先してブラックホールに流し込んでいる。それでも大衆はせっせと工夫を凝らし稼いで納税する。
さて、いつまで続くか? 一揆とか、いつかは起こるのか? 何も起こらず経済破綻して国民全員文無しになるのか?
個人的に一揆のようなことが起こる可能性は低い気がする。
何が起こる?
それは第二次世界大戦の終戦と同じ。大本営を信じていたら現実は全く逆でした。
破綻してから現実に気づく。
あれ? みんな文無し?? それどころか、なんか総理大臣が海外で約束してきたことが負債となって、みんなに、のしかかる??
そこで、みんなが気づく。
ん? お金、貨幣社会で誰が得していた?誰が疑似幸福を満喫していた?
世界だって、バカでは無い。そんな理不尽な債務を本気で取り戻そうとする輩たちこそ世界中からバッシングが集中するでしょう、健気な日本国民の日常を見ながら、明日は自分たちだと。
この転機に何が起こるのか? それも「美しき緑の星」で少し語られています。なので一人でも多くの方々に観て欲しい。映画。
ニコニコ動画で今でも観れそうです。

貨幣社会が終わるかもしれない前提に基づいたライフスタイルのシフト

ここでは「お金」がダメとか汚いものということを言っている訳では無い。ただ人類は、”お金”に綺麗に向き合う純粋さを維持できるほど成熟した存在では無いということ。
まずはそこに気付いてお互い共有することが出発点になる。
お金の麻薬要素は突き詰めると
「自分だけ」
「今だけ」
その麻薬にほとんど負けてしまう。
だからお金が通用しない、お金を持っているということは恥ずかしいこと
みたいな世界がもしきたら、どうする?
みたいなことを少しずつ考えてみていけば良いと思う。

ギフトエコノミー

お金では無い、想いやコト、モノをお互いに分かち合う。
藤井風さんの”帰ろう”という歌の歌詞に「与えられものこそ与えられたもの」というフレーズがある。
これがこの世の真理を物語っている。
それは誰から与えられたのか?
天から。
誰か人を起点にしている訳では無い。
すべては天、創造主からのギフトの連鎖。
そこに気付けば、天から無限に送られてくるギフトを
独り占めしたりすることの虚しさや阿保らしさにすぐ気づける。
誰かのため、社会の為に、何かギフトを贈りたいと思った時に
何が出来るか? 
そして逆に何がしてもらえるのか?して欲しいのか?
それがギフトエコノミー。
そこで好感される究極のモノ/コトはお互いの笑顔かもしれない。
ありがとうございます。

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