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[考察]浦島太郎から学べる教訓とは

『浦島太郎』というむかし話を誰もが一度は聞いたことがあると思う。
軽く内容を説明しておくと、
主人公の浦島太郎という青年が、海でイジメられていた亀を助けたお礼にと竜宮城へ招かれ豪遊をした後、絶対に開けてはいけないという忠告を受けたお土産の玉手箱を開けてしまい、その中から出てきた煙に包まれて瞬く間にお爺さんになってしまうという話である。

率直に言おう。
なんだこの訳の分からない理不尽な話は。
亀を助ける下りや竜宮城の件に関しては特になにも思わない、理不尽極まりないのがそのオチである。

そもそも、なぜ開けてはいけない箱など渡す必要があったのか、開けるなと言われれば開けたくなるのが人間の性であり、開けるな開けるなは開けろというのがバラエティ番組でのお決まりである。
そんなことは浦島太郎も分かっていたはずで、玉手箱を開けないという選択肢は実質彼には与えられていなかったのだ。

仮に忠告通りに玉手箱を開けなかったとしよう、もちろんお爺さんにされることはなかったが、二度と番組へは呼んでもらえないだろう。
それでは浦島太郎の芸人人生が終わってしまうのだ。
なにより浦島太郎という芸人はサービス精神が旺盛なのである、イジメられていた全く無関係の亀をわざわざ助けるくらいだ、『絶対に開けるな』という最高のフリを頂いといて開けないという選択など彼にはできず、そこを逆手に取られてしまったのだ。

ではなぜ、そんなサービス精神旺盛な彼があんな仕打ちを受けなくてはならなかったのか、
こういったむかし話というのは、大抵なにかの教訓であることが多い。
欲にまみれた結果として損をしてしまったり、大切なものを失ったりと。
しかし浦島太郎はどうだろうか、イジメられていた亀を立派に助け、招かれるままに竜宮城で豪遊をさせてもらっただけである。

と、ここまで書いたところでおれはひとつ気がついた。
それだ!『竜宮城で豪遊』という展開が既にもう番組の罠だったのだ。
いや、むしろあの亀やイジメっ子たちですら仕込みであり、本来であれば亀を助けた後にいくらその亀に「お礼をさせてくれ」と言われても「いえ、ボクは当然のことをしたまでです。では!」とその場をスマートに立ち去るべきだったのだ。

つまり浦島太郎は亀を助けたことを当たり前とは思っておらず、助けて“あげた”という認識のもと、自分はお礼をされて当然なのだと思い込んでいたのだ。
恩着せがましいにも程がある。
こんな野郎はジジイにされて然るべきであり、むしろ海の中で溺死させておくべきだったのだ。
恐らく浦島太郎という人物は普段からこういった一面があり、その検証企画として行われたものにまんまと引っかかってしまっただけなのだ。
様をみろとはまさにこのことである。

困っている人を見かけたとき、見返りなどは求めず、スマートに助けてその場を立ち去る。
そういう粋な人物にならなければとこの『浦島太郎』を読んでおれは学ぶことができた。
そして何より開けるな開けるなは開けるなであるということも同時に学べたのだった。

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