複勝率50%超 元祖記憶に残る男ナイスネイチャ 〜名馬たちの記憶6〜
オールド競馬ファンにブロンズコレクターと聞けば、真っ先に思い出すのは、ナイスネイチャではないだろうか。
4歳時(現3歳)に初の有馬記念出走。
1番人気は当時の現役最強馬メジロマックイーン。
レースは伏兵馬ダイユウサクが勝利し、大本命のメジロマックイーンは2着。その後ろ3着に入線した。
翌年、2度目の有馬記念では、4番人気の支持を得るも勝ったのは超伏兵馬メジロパーマー。2着のレガシーワールドに続き3着。
さらに翌年3度目の有馬記念は14頭中10番人気。
1年振りのレースで勝利したトウカイテイオーのドラマティックな勝ち方に皆が涙した。そんな感動的なゴール前を、しれっと3番手で通過。3年連続の3着となる。
有馬記念3年連続3着を始め、G1未勝利ながら、G1馬並みにファンから愛され、記憶に残り続けたナイスネイチャ。
今回は、そんな彼の記憶を振り返りたい。
父はカナダのG1を2勝したナイスダンサー。母はチューリップ賞G3ほかJRAで3勝を上げたウラカワミユキ。
生前から期待の良血馬として、産声を上げ、生産者から「これは良い馬だ」と言われながら、幼少期を順調に育った。
しかし、
3歳(現2歳)となって栗東トレーニングセンターに入厩後、とにかく気性が穏やかではなく、他馬を噛みつこうとしたり、厩務員を怪我させたりと栗東内では気性の荒い馬としてデビュー前から有名だった。
ところが、
少し痛めた脚のケアを兼ねて短期放牧に出され帰厩後、不思議と気性が一変して穏やかになったという。
そして、
デビュー2戦目で勝ち上がり、6戦目となった1勝クラス、2勝クラスの条件戦を連勝後、重賞初挑戦となった小倉記念G3でも勝利。
続く、菊花賞トライアル京都新聞杯G2も制して4連勝を達成。
一気に菊花賞の最有力候補として名乗りを上げた。
しかし、
彼の現役生活を振り返れば、これが彼にとって最強時代だった。
迎えた菊花賞では2番人気で出走。
だが、勝った3番人気のレオダーバンから0.3秒遅れての4着、長距離が苦しかったのか、連勝記録が止まってしまった。
ちなみに1番人気のイブキマイカグラは2着に敗れている。
それから1ヵ月後の鳴尾記念G2に出走。重賞3勝目を挙げ、伝説の第一歩となった有馬記念に駒を進めることになる。
伝説の第一歩となった有馬記念から、重賞を16連敗。勝利から実に2年7ヵ月が経っていた。
そして、
6歳となって迎えた夏の高松宮杯G2で再びの輝きを取り戻すことになる。
『ゼッケン12番ナイスネイチャだ!なかなか勝てなかったナイスネイチャが、この高松宮杯を制した模様です!』
実況アナが叫んだように、忘れかけていた勝利の美酒を久々に味わう形となった。
しかし、
これが現役生活で最後の勝利となるのだった。
その後、9歳(現8歳)となり、前人未到の6年連続の有馬記念出走を目前に控えた時、厩務員が猛反対。
実は、その厩務員だけが競馬には支障がない程度の軽骨折があることを知っていたのだった。
獣医から出走は問題ないと診断を受けたが、万が一のことがあれば取り返しのつかないことになる。
記録よりも大事なものもある。
厩務員の涙ながらの訴えに調教師は「一番の理解者が言うならば」と引退という道を選択したのだった。
そして、
現役生活を引退後、栗東トレーニングセンターを去るタイミングで大雨が降った。
ナイスネイチャと厩務員は雨の中、大粒の涙を流したらしい。
何とも人智を超えた馬であったと思われる。
その後、
種牡馬としての1年目。20頭前後に種付をした後、元厩務員が交通事故により41歳の若さで亡くなってしまう。
その厩務員の死去を知ってか、現在34歳となった彼は、元気に余生を過ごしている。
さて、ナイスネイチャといえば、
現役時代は41回走り1着7回、2着6回、3着8回と複勝率は50%を超える。
馬券貢献度50%の善戦マンとして、ファンにとっては、勝てなくても馬券に貢献する部分が愛される1つとなった。
また、有馬記念3年連続3着の記録は、実力がなければ簡単に出来るものではない。ましてや、馬齢とともに退化する中で、これを達成したのは紛れもなく名馬だとの声も高い。
現在、
早世した元厩務員の分もまだまだ生き続けるため、今も老体に鞭を打って、彼は元気に牧場内を動き回っている。
ナイスネイチャ
父ナイスダンサー
母ウラカワミユキ
母の父ハビトニー
41戦7勝
主な勝鞍 高松宮杯G2
如何でしたでしょうか?
お陰さまで名馬たちの記憶シリーズも6回目を迎えました。
お読みくださった皆さん、ありがとうございます!
併せて刊行物であります記憶に残る名馬たちシリーズも読んで頂けましたら、幸いです。