最多記録の母ビワハイジ老衰で逝く。
また、悲しい訃報を目にした。
阪神3歳牝馬ステークスG1(現:阪神ジュベナイルフィリーズ)などを制した名牝ビワハイジが、先日、老衰のため亡くなった。29歳だった。
ビワハイジといえば、
無傷の3連勝で3歳の頂点に立ち、同世代のライバルには、エアグルーヴやファビラスラフインなどがいる。
また、繁殖牝馬としては、JRA重賞勝ち馬を6頭も輩出。
これは表題の通り、繁殖牝馬として最多記録である。
一般的に繁殖牝馬は、10頭前後の仔を生むと言われている中、ビワハイジは生涯で12頭の仔を生んだ。
そして、
日本では毎年7000頭ほどの仔馬が誕生する。
JRAが主催する年間レースが3500ほど。単純に1レースに1頭が勝つ計算でも半数しか勝つことができない。
そう考えると、
勝ち星を上げる競走馬は、ほんの一握りの世界である。
しかし、ビワハイジの仔12頭のうち9頭(中央で38勝)が勝ち星を挙げた。そのうちの6頭(中央で15勝)が重賞勝ち馬。
これは驚異的、もの凄い数字である。
以下ビワハイジが輩出した重賞勝馬である。
★ブエナビスタ(父スペシャルウィーク)ジャパンカップなどG1を6勝、2010年 年度代表馬
★アドマイヤジャパン(父サンデーサイレンス)京成杯G3、ディープインパクトが三冠馬となった菊花賞で2着。
★ジョワドヴィーヴル(父ディープインパクト)阪神ジュベナイルフィリーズG1
★アドマイヤオーラ(父アグネスタキオン)京都記念G2、種牡馬として、地方G1を2勝しているアルクトスを輩出。
★トーセンレーヴ(父ディープインパクト)エプソムカップG3
★サングレアル(父ゼンノロブロイ)フローラステークスG2
先日、ブエナビスタの仔タンタラスの活躍を記事にしたが、ビワハイジの孫までも活躍し、血の繋がりを喜んでいた矢先の訃報だったため、余計に心が痛い。
我々人間を含め、生き物に生と死は隣り合わせであることは充分に承知の上だが、
オールド競馬ファンの私にとって、
青春をともにした名馬・名牝の死を知るたび、素直に受け入れられない自分自身がいるのも確かである。
最後に
ビワの冠名を聞けば、
ビーナスやカレン、タケヒデに……。
とは言っても、やっぱりビワと言えば、ビワハヤヒデを思い出す。
言わずと知れたナリタブライアンのお兄ちゃんである。
今やビワの競走馬を目にしないのが残念だが、一時代を築いたビワ軍団でG1を勝った馬はビワハヤヒデとビワハイジのみ。
その両馬が、もうこの世にいないとなれば、さらに寂しい限りである。