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アイヌ伝統歌「ウポポ」を歌い継ぐこと
白老に来てもうすぐ2年。
もともと縁もゆかりもなかったこの土地で
少しずつ、自分が「客人」から「住人」へと
変わっていくのを感じている。
この土地の、人と文化に
触れる時間が長くなったからかもしれない。
中でも特に大きな影響のひとつが
アイヌ文化の伝承者
「志保子さん」との関わりだ。
![](https://assets.st-note.com/img/1695818903567-yQnLC8fEPe.jpg?width=1200)
(改めてのご紹介...)
僕が勤める宿「界 ポロト」は北海道・白老町にある。
↓ ↓ ↓
新千歳空港から車で40分ほどの場所に広がる
静かな森林と"ポロト"という名の湖。
湖畔沿いには国立のアイヌ民族博物館を
有する施設「ウポポイ」があり
そのすぐ隣に界 ポロトは位置している。
この土地に伝わるアイヌ文化への敬意と
現代に合った温泉宿の在り方から生まれた施設だ。
![](https://assets.st-note.com/img/1695825129758-jjIhac7oRi.jpg?width=1200)
ところで、なぜこの土地には
アイヌ文化が根付いているのか?
移住したばかりの自分は
この湖畔の歴史に興味が湧いた。
_白老とアイヌ文化
白老にはもともと「白老コタン」というアイヌ集落があった。
※コタンはアイヌ語で集落の意味
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その当時の生活の様子が残されている
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/117613315/picture_pc_9ac56a7d41cdd280c6abeda0ef3a2c9b.jpg?width=1200)
はじめは静かな白老コタンだったが
"北海道観光ブーム"にのってそこに多くの客が押し寄せ、
住人の日常が保てなくなったことから
元の場所から少し離れたポロト湖畔にコタンを移転、
「ポロトコタン(大きな湖のそばにある集落)」と名称を変えた。
そこで観光客に対し、
白老に伝わるアイヌの古式舞踊や儀式などを
紹介しはじめたのが1965年の事。
その後、1984年には敷地内に「アイヌ民族博物館」を開館。
ポロトコタンは実に50数年余り
ここでアイヌ文化伝承の活動を行い、
様々な客を受け入れ続けた。
2018年に惜しまれつつも閉館。そして
2020年には国営化し民族共生象徴空間「ウポポイ」となった。
※ウポポイ設立の候補地は道内で他にもいくつかあったが
自然豊かなロケーション、空港からのアクセスの良さ、
何より白老アイヌコミュニティの長年の伝承活動が評価され
国立アイヌ博物館にふさわしいと判断されたそうだ。
現在も、ポロトコタン時代のアイヌルーツを持つ方々が
多数ウポポイで働かれている。
そんな歴史が、宿の目と鼻の先にあると知った僕は
すぐに年間パスを作り(なんと2000円。安い!)
アイヌ文化を学びに何度も足を運んだ。
そこで紹介されている文化と、
働くひとたちに
心をがっちり掴まれたことは
言うまでもない。
_アイヌ文化に触れられる滞在を
ここに訪れたお客さんには
是非、この土地に伝わるアイヌ文化に触れていってほしい。
そんな想いから、界ポロトでは
【アイヌ伝統歌ウポポを奏でるひととき】
という企画を開始した。
講師を勤めるのは冒頭で紹介した
髙橋志保子(たかはししほこ)さんだ。
![](https://assets.st-note.com/img/1695823908004-A72eK9So2u.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1695828149799-j8rQzlA3hM.jpg?width=1200)
このアクティビティでは
「ウポポ」と呼ばれるアイヌ伝統歌を
伝承者から直接習うことができる。
文字を用いなかったアイヌ民族が口伝で継承してきた
歌の数々を、宿の暖炉スペースで火を囲みながら体験するという内容だ。
_気さくすぎる伝承者
![](https://assets.st-note.com/img/1695820062747-7spSPVaIGP.jpg?width=1200)
志保子さん。現在74歳。
白老出身の彼女は
アイヌの父と日本人の母のもとに生まれ、
19歳の頃からポロトコタンで働き始め
現在に至るまでアイヌ文化の伝承活動を行なっている。
更には
1970年の万国博覧会にて古式舞踊を披露、
国内だけでなく海外公演も多数行い
天皇皇后両陛下の元で
ムックリ(アイヌ伝統楽器)の演奏をするなどの経歴を持つ。
「指定無形民族文化財 伝統文化継承者」に
選ばれるほどの実績を重ねた彼女だが、
そんなベテラン伝承者は
実際に会うと驚くほどに気さくで、
出会う人に壁をまったく感じさせない。
*
「はい皆さんイランカラプテ〜!これアイヌの挨拶ね。
そうそう上手。グッドよ〜!」
「あらお姉さん、髪の色がとってもピリカね。
綺麗、よい、うつくしいのことをピリカっていうのよ。
「ゆめぴりか」ってお米があるでしょ?
そうそうマツコデラックスがCMしてるやつ!
それでね……..」
*
喋り出すと止まらない。
時にジョークを連発しながら、演目は進む。
アイヌ民族が宴席で、仲間と一緒に
喜びを表現してきた歌や
自分の切ない気持ちを即興歌にしたもの、
ゆりかごの赤子を寝かしつける子守唄。
___どれも耳と心に刻まれるものばかりだ。
みるみる間に、皆がアイヌ文化に魅了され
彼女の人生に触れる。
彼女はとにかくよく喋り、歌い、
コロコロ笑う。
お客さんのことも
界ポロトのスタッフのことも
まるで孫のように可愛がってくれるので
僕たちは敬意を込めて志保子さんを
「フッチ」と呼ばせてもらっている。
※フッチはアイヌ語でおばあちゃんの意味
*
時折、フッチは寂しそうにこう言う。
「ウポポイもいいんだけどね。
やっぱり名前が変わっちゃって、さみしい」
歌を聴いていると、一層強く感じる。
ポロトコタンは、
彼女の人生そのものだったのだ。
「界さんが白老にできる時、
名前に"ポロト"っていれてくれてるのを聞いて
本当に嬉しかったの。ありがとうね。」
国営化に伴うフッチの複雑な胸中は
ドキュメンタリー「ポロトコタン最後の1日」にも紹介されている。
その言葉を聞いて
たとえ北海道に縁がなくても、
アイヌの血筋でなかったとしても
文化を共有し、
繋がることができれば
ここが自分のコタンになる。
そんな事をぼんやり考えた。
北海道に、白老に興味が湧いたら
是非フッチに会いにきてほしい。
_伝承とは何かを考える
白老アイヌコタンの文化伝承の道のりは
平坦なものではなかった。
時には自分達の文化を見せ物にしている、と見られ
「観光アイヌ」と揶揄されることもあったそうだ。
しかし当時の白老アイヌの置かれた背景を考えると
外向けに「観光化」することが
文化を残すことの唯一の道だったようにも思える。
明治政府の敷いた「同化政策」や
急激な近代化による生活様式の変化など、
白老アイヌコタンに求められたのは「日本人化」と「近代化」だった。
想像するといつも心が苦しい。
あらゆる伝統文化と呼ばれるものは
常に"淘汰圧"にさらされている。
時代の流れ、
便利で安価なものに差し代わっていく力や
時の権力によって決められるものには
なかなか抗えない。
だからこそ
白老コタンの功績は、
どう考えても大きい。
「残そう」とする力、
「後世に伝える意志」と呼べるものがなければ
僕たちが今こうして火を囲み、
ウポポを耳にすることはできないから。
![](https://assets.st-note.com/img/1695924800552-tQQmQefJzw.jpg?width=1200)
*
僕たち宿として、旅行者として、
何を受け継ぎ、それを他者に伝えていくのだろう。
すくなくとも僕は
異文化にふれた時
「あちら」と「こちら」を線引きするのではなく
誰もが緩やかなグラデーションの中に立っていることを
再確認するために
旅に出かけるのだと、そう思う。