チクチクする


「スオミの話をしよう」
三谷幸喜脚本、監督の映画。観ました。
実は別の映画を観ようとして、間違ってこの映画のチケットを買ってしまっていたという、、、

この後は作品のネタバレありますので、注意!




三谷幸喜作品の映画はあまり観たことがありません。「やっぱり猫が好き」とか、古畑任三郎シリーズとかは観てましたが、、、

スオミというのは長澤まさみ演じる女性の名前。
彼女は超売れっ子の詩人の妻。そのスオミが失踪したらしい、誘拐ではないかという事で詩人の自宅に刑事が呼ばれるところから話が始まる。
そして、実は呼ばれた刑事はスオミの前夫である事がわかる。
詩人はスオミが誘拐されたなんて有り得ないと確信し、刑事は誘拐ではないかと疑う。その討論の中で前夫の刑事は結婚していた時のスオミ、詩人の現夫の語る彼女とは異なる人物像のスオミを思い出す、、、
話が進むと実は詩人はスオミの5番目の夫で、刑事は4番目、それ以外の三人の前夫も順に登場するが、それぞれのスオミ像は全く異なるという事もわかってくる。

誘拐事件の救出劇のドタバタとスオミという謎の女性の正体が少しずつ明らかになるというのがこの映画の主軸だと思いますが、観ていてだんだんとちょっと気になる点も出てきました。

4番目の夫であった刑事はなんでも器用にこなす男性で、優しそうではありますが、それはスオミよりも自分の方が上手だから、詳しいからという理由で、スオミの意見を聞くことなく自分の意見を押し通してしまう夫として描かれます。事務手続きなどが苦手というスオミのかわりに5番目の夫の婚姻届を役所に出すのを任されるというオチまでつきます。
スオミがそういう何もできない女性という印象で始まりますが、それは現夫のスオミ像と異なるので、観客は何か謎があると感じます。

スオミはそういうカメレオンな女性という設定だけなら良かったのですが、それだけではない面も出てきます。

最初の夫はスオミの中学の担任という設定で、スオミの母との三者面談のシーンが出てきます。(母は長澤まさみの二役)
この時、明らかに母親は子育てを放棄しており、スオミ自身も母が自分の将来に介入する事を快く思っていない、担任に母を会わせたくなかった感じがありありと出ています。
これはスオミが単にカメレオンな女性というだけでなく、そこには子育てを親から放棄された家庭環境、そういう環境から抜け出したいとスオミが願っているのではないかという点を匂わせてきます。

結局過去の夫との生活は、スオミがそれぞれの夫の求める妻像に彼女が合わせる、もしくはその妻像に押し込められる事で夫婦生活を成り立たせているということがわかります。

五人の夫はそれぞれが自分が一番スオミを愛していたと語り、それぞれ異なる「本当のスオミ像」が真実のスオミだと言うのですが、最後に彼女が現れて五人の夫と対峙する時、彼女はそれぞれに対してヘアスタイルを変えて、それぞれのスオミ像に切り替えて語りかけます。それはどれも本当のスオミではない、彼女が相手にとってのスオミ像を髪型を変えて演じていた事を示しています。

彼女の本当の望みは、狂言誘拐の身代金でフィンランドに行って暮らす事だったと言います。そして、映画のラストは唐突に「ヘルシンキ!(ヘルシンキはフィンランドの首都)」と連呼する奇妙なダンスシーンで終わります。

観終わってみて、
これって、五人の夫が妻という女性の人格をいろんな形でおとしめていたという事ではないか。
彼女はそんな夫たちに絶望して男女格差が少ないとされるフィンランドに行きたいと叫ぶということではないのか。
狂言誘拐のコメディという形を借りて、相変わらずの男性上位、一方的なフェミニズム、つまり女性を労っているようでいて、結局は男性の勝手な女性像を押し付けているだけという話のような気がしてきて、男性としてはとても複雑な気持ちになったのでした。

それにしても、自分と一度はあいしあつていた?相手が、別れた後、別の男性と結婚したとして、その夫から今の彼女のことを聞かされるのって、どういう気持ちになるのだろう?
僕はそれを想像すると、ちょっと胸がチクチクしました。
女性の場合はどうなんとだろう。

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