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(音楽)アントニオ・カルロス・ジョビンが好き

 アントニオ・カルロス・ジョビンは言わずと知れたボサノヴァの父である。ボサノヴァとは何であろうか。歴史的なまとめは他に譲ろう。幸か不幸かボサノヴァは人気がある。演奏やアレンジのアプローチとして、ボサ風であることは難しくなく、カフェミュージックといったBGMとしても人気が高い。私自身そういったものを作っている経緯もあり、広く聴かれていることは良いことだと思う。しかしながら、表面上のアレンジの手法としてボサノヴァを理解してしまっては、ジョビンの書く曲の美しさはクローゼットの木箱にしまわれ長く取り出さなくなってしまう。私は彼の作るメロディーが好きだ。それはボサノヴァである編曲の条件を満たさなくても美しい。ジョビンのメロディーやハーモニーはボサノヴァである必要があるのだろうか。そもそもこの問いかけが奇妙である。ボサノヴァを作ったのは彼なのだから。

 Fabio Caramuruというブラジルのピアニストがいる。彼の「Tom Jobin」というアルバムがある。2枚組になっており、ジョビンのトレビュートアルバムであると思われる。1枚目はピアノソロ、2枚目はエレキベースとのデュオが中心となる。

 1曲シェアするが、是非アルバムを通して聴いていただきたい。全身に「ボサノヴァ」と書かれた洋服を着ることもなく、ジャズの方言もなく、ジョビンの書いた譜面を綺麗に紡いでいく。左手はしっかりとブラジルに置かれており、母国語としてのボサノヴァを鼻歌のように刻んでいる。歌も、ギターもない。ジョビンが自宅のピアノに向かい、一人で弾いていた時の音はこんな風だったのかしらん、と妄想を膨らませる。時にドビュッシーのように響く和音に浸っていると、ドビュッシーは絶対にやらなかった移調に驚き、訪れたことのないブラジルの風が潮の匂いを運んでくる。私はピアノはうまくないので、ギターを手に取る。コードをなぞってもドビュッシーのようには響かない。同じ和音なのに。ボサノヴァのリズムを崩しべったりとアルペジをする。歌ってみる。ポルトガル語がわからない。何となくサウダーデ、サウダーデとつぶやく。故郷である大阪を思い出さない。私はなんにもサウダーデではない。ガットギターの音はサウダーデである。私はサウダーデではない。ピアノは時としてそうかもしれない。ジョビンは、、、そういった情緒的な話を抜きにして、ボサノヴァと書かれた服を脱ぎ捨てた時、やはりジョビンのメロディーは美しい。

 

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