(音楽)Misiaが好き
アントニオカルロスジョビンの項でサウダーデ、サウダーデと書いていたら、Misiaを連想した。ポルトガルの歌手でミージアと読む。日本の歌手ミーシャだと思った方には申し訳ない。今回はファドの話となる。
ポルトガルの音楽ファド(Fado)。馴染みのない方もいるだろう。アマリアロドリゲスといえばわかる方もいらっしゃるのではないかと思う。ポルトガルギターと呼ばれる、大きなマンドリンのような12弦の弦楽器を使用する。鉄弦の華やかな響きと、トレモロの奏法がギターと違った味わいを織り成す。大航海時代、海に出る男たち。男たちを待つ女たち。ファドは男たちの郷愁を誘う、待つ女たちによって作られた音楽。と、いう説を聴くことがあるが、これは誤りらしい。ファドはもっと多面的で、奥が深い音楽である。
Misaの2001年のアルバム、「 Ritual」から冒頭の一曲目を紹介させていただく。
ポルトガルギターによるイントロが終わると、力強い歌声が押し寄せる。声の伸びが良いわけでもなく、ビブラートも浅い。喉を使った発声なのか、独特の歌声。情熱的で時に優しく、物悲しく。歌を上手い、下手で考えると上手い歌ではないように思う。歌が上手いとはなんだろう。リズムを外さず、音程を外さず、響きの良い伸びやかな声を出すことだろうか。私にはわからない。けれど、Misiaの歌が好きだ。サウダーデ。郷愁。何を思い焦がれ懐かしい心持ちになるのか。彼女の歌を聴いて懐かしく思うのは自分自身の故郷ではない。映像でした見たことのないリスボンの風景でもない。DNAに刻まれた、人類が共通に持つ原風景なのかもしれない。そんなものは存在しないかもしれない。マイナー調のメロディーとポルトガルギターの音が、記号的に郷愁を指し示すのかもしれない。全ては思い込みかもしれない。なにか温かいオレンジの明かりに照らされた食卓のような、心が締め付けられるような懐かしさは思い込みなのだろう。しかしその思い込みこそが郷愁であるならば、そこにどっぷりと浸るのも悪くないのではないかと思う。それは音楽のひとつの拭うことのできない罪深い部分なのだろう。
調べたところ、このアルバムはマイクを一本立て、一発で録音されたらしい。(近年の録音は楽器を別々に録音し、ここに編集し、音量や音質を調整しミックスされたものが主流)マイクが一本なのでミックスもされていない。スコッチでいうとところのカスクであるというとわかりやすいだろうか、逆にわかりにくいだろうか。原酒の状態である。勿論ジャズなども一発で録音するものが多くを占めるが、マイクはそれぞれに立てるし、ミックスもする。21世紀にマイク一本で録音することの意味、それはアルバムタイトル「Ritual」(儀式)を指すのだろうか。どういう録音が正しい、優れているというのは意味をなさない。選択に過ぎない。それぞれの選択に意味は込められる。選択がうまく行った時、その作品は揺るぎない価値を持つ。その選択、パフォーマンス、想いが圧倒的な価値を創り出し、20年近く私をこのアルバムに惹きつけているのだろう。