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セシル

 モグラは独特で個性的な感覚を持っていて、彼の話を聞いていると面白いと僕は思うのだった。モグラはその風貌に似合わず読書が好きで、常に片手に本を持っている印象があった。
「こないだ本屋に行ったらさ」とモグラは鼻血が出ている訳でもないのに、片方の鼻の穴にティッシュを詰めている。笑わせようとしてそんなことをしているのか。初対面の人には呆然とした表情をされるし、もう慣れっこになっている人からは何も反応がない。でも僕はそんなモグラのことが好きだった。モグラはフォークを使ってスパゲティの麺をまるめとり、それを口に運ぶと思いきや、自分のおでこにフォークを突き刺した。そして「あ、間違えた」と言った。僕は一応、
「なんで間違うねん」とつっこむ。そして「本屋で?」とモグラに話の続きを促した。
「本屋でさ」
「うん」
「『マンガで解説、相対性理論』ってのが置いてあって」
「うん、それで?」
「そういうのが『相対性理論』以外にもいろいろあって」
「うんうん」
「何でもかんでもマンガで解説したら分かり易いと思っとるんちゃうか」
「マンガだったら登場人物がセリフで説明してくれるから分かり易いんじゃない?」
「そうか?わしはそうは思わんけどな」
「日本人はマンガが好きだから分かり易いんじゃない?」
「だったら、教科書も辞書も参考書も何もかもマンガにすればいい。そしたら日本人の学力は格段に上がるんじゃないのか。日本に漫画家なんて余るほどいてると思うから、彼らに教科書のマンガ化を仕事として与えれば良いではないか」
 モグラの言うことを聞いて、なるほど、とは思った。確かに本気で勉強をしたいと思っている人は『マンガで解説』なんて本は読まないだろう。そしてマンガを読むことが好きな人は、いくらなんでもマンガだからといって、参考書を好んで読まないと思う。
「確かにモグラの言うことは的を射てるかもね」と僕はモグラと同じ味のスパゲティを食べながら、同意しておいた。一口食べたあと彼の方に顔を向けると、なぜか彼は口に試験管をくわえていた。
「何やってんの?」
「ひくぇんくぁん」試験管と言っているらしい。試験管を見るのは小学生か中学生のころの理科室での授業以来かも知れない。
「何でそんなもんくわえてるん。ほんで何でそんなもん持ってるん」するとモグラは口から試験管を離し、
「これは試験管だ」と改めて言った。
「だから何がしたいの」と言ってモグラが食べていたスパゲティの皿にはもう麺は残っていなくて綺麗さっぱりに食べ終わっていた。
「特に何かしたいと思った訳ではない」
「アホか」
「わしはアホだが、自分で自分のことをアホだとは思っていない」
「ふーん」
 会話は僕とモグラの二人で行われている。この会話を第三者が聞いていたらどう思われるだろうか。
「理科室からパクってきた」
「アホか」
「わしはアホだが、じぶ・・・」とモグラが言い掛けたところで、彼の視線が僕の背後の方に向けられた。僕はモグラの視線につられて後ろを振り向いた。すると一匹の猫がいた。猫は行儀の良い姿勢で座っていた。
「あ、猫」
「セシル。セシルじゃないか!こんなところで会うことが出来たなんて」と言いながらモグラはその猫に近づいていった。すると猫は驚いてモグラから逃げるように走りさっていった。
「え?知ってる猫なの?」
「いや、今初めて見た猫やね」
「なんじゃい!そりゃ」
「構わんではないか。久しぶりに再会した猫との出会いという感じで、ドラマティックな雰囲気を出したかっただけじゃい」
 モグラが今読んでいる本はなぜか『マンガで解説、ねこの健康』というタイトルだった。ひょっとしたら本気でアホかもしれないこのモグラという人物から目が離せない。

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