出張先のホテルにて
八月が終わる。残暑。季節は変わる。テレビをぼぅーっと見ていたら、こちらが意識をしなくてもドラマが終わってコマーシャルが始まりコマーシャルが終わるとコメディ番組が始まる。僕が何か特別なことをしなくても勝手に季節は変わり、テレビの映像も変わる。
台風が近づいている。九月三日に大阪へ帰る予定だが、帰ることができるのだろうか。今度の台風はまるで僕に嫌がらせをしているように思える。ホテル暮らしの僕は完全に生活のリズムを狂わされている。毎日のウォーキングは出来ず、食事は毎日コンビニ弁当、朝は早すぎて夜は早すぎる朝のために寝るのが早い。テレビは思うような番組を見ることが出来ないし、音楽も自由に聴けない。そんな小さな僕の限られた世界の中で唯一の楽しみと言えば読書だ。だがホテル暮らしだけが僕を悩ませているわけではない。憎き新型コロナウイルスの存在も僕の心を昏くさせる。
仕事は暇だ。たいしたことはしていない。やることはある。やりたくないがなんとでもやることはある。暇なのにいろいろとすることがある。いったい何をしているのだろう。仕事が楽になるための仕事。そんなことを僕が行う義務なんてないのだ。誰かがやってくれればいい。誰もやってくれないから僕がやる。不公平感が募る。楽になるための努力。それを誰もしようとしないなんて。
業務時間中に何もすることがないなら本の続きでも読みたいものだがそういうわけにもいかない。時間は金。時は金なり。業務時間中というのは仕事をする時間なのだ。たとえそれが仕事をするフリだとしても。意味のない拘束時間。
業務時間に何もせずにいても誰にも咎められないのはありがたい。責任を負わされないというのはとても気楽でいい。人生の中でもう十分にいろんな責任を負ってきた。社会人生活の中で僕の肩には砂かけ婆や子泣きジジイが乗っかっているようだった。いや、今でもまだ乗っているのではないか。それとも僕の肩の上の空気だけが他の空気よりも重いのだろうか。
時がずるずると何かを引きずるような音を立てながら過ぎているような気がする。もちろんそんな音が聞こえてくるわけではない。そしておそらく僕の身体はじわじわと衰えの方角へと進んでいるのだろう。そのうち手を洗っただけで、顔を洗っただけで、靴下を穿いただけで骨がぽきっと折れてしまうんじゃないかと思い、恐ろしくなる。実際、自分の身体の衰えは肩こりだったり視力だったり疲れだったりする。体力は衰えても、せめて若々しい容姿でいたい。
なんだかんだで面倒だ。人付き合いが面倒だ。スーツ・ケースを開けるのにいちいち鍵を出さなくてはいけないくらいに面倒だ。洗濯が終わって次に乾燥機に洗濯物を入れなければならないくらいに面倒だ。コイン・ランドリーの部屋にドレスを着た美しい女性でもいれば良いのに。そう、僕がどこへ行ってもそこにはドレスを着た美しい女性がいれば良いのだ。そしてその女性は僕に好意をもって接してくれる。それが人生のベスト。でもホテルの部屋には僕しかいない。コインランドリーで使う小銭は三〇〇円だ。財布に五〇〇円玉しかなくて、ホテルの一階まで降りて両替機でその五〇〇円玉を一〇〇円玉にしなければならないのが面倒だ。それが人生だ。それが現実だ。現実は面倒なのだ。
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