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廣井友信という漢

先日、廣井選手(以下ヒロさん)から「契約満了になったから退団することになったわ。プロとしてはサッカーやめる事にした。」と電話があった。この知らせを聞いた時、どこかホットした自分もいた。サッカー選手に怪我は付きものだ。みんなどこかしら痛みを抱えながらプレーしている事は言うまでもない。もちろん、ヒロさんもその一人だと思う。そしてプロとして、毎週末にある試合に向けて仲間と競争をし、レギュラーを勝ち取ったら半端ないプレッシャーの中で試合をしなくてはいけない。もちろん試合に出れる事はこの上なく幸せな事である。ただ、その反面勝たなくては、自分が良いプレーしなくて次は外されるしサポーターをがっかりさせてしまう。そんな精神的負荷が毎週のようにくる仕事がプロサッカー選手。そしてヒロさんはキャプテンという立場だからという訳ではなく、自分の事だけでなくチームメイトやクラブの事を思い立ち振る舞える人だ。だからこそ、精神的にも本当にしんどい事が多かっただろうと勝手ながら想像していた。だからその一報を聞いた時は「ヒロさん、やっとゆっくり出来るのか」と失礼かも知れないがそんな気持ちになった。

ヒロさんとの出会いは18年前くらいに遡る。
確か全日本大学選抜の候補合宿に2人とも選ばれ、そこで出会った。そこでの会話は全く覚えていないが、ヒロさんの実家と僕の大学の寮が凄く近かったので一緒に帰ったような記憶がある。その後、運よく2人とも大学選抜に選ばれ、イギリスのガーンジー島やジャージー島、トルコやマカオ、ドイツ、韓国、本当に色んな所に一緒に遠征に行った。イズミル大会でユニバーシアード優勝したのも良い思い出だ。大学はヒロさんは駒澤大学で僕は中央大学、駒沢は当時日本の大学サッカーを牽引する存在で関東リーグではコテンパにやられた思い出しかない。前半で6点取られて悔しくて泣いた事もあった。

そして、ヒロさんが入団した1年後に僕も正式にプロとして清水エスパルスに入団してチームメイトになった。ヒロさんとの思い出はここでの苦しかった日々が一番記憶に残っている。当時、2人とも試合に絡めない日々が多く、サテライトリーグや練習試合を悔しさを押し殺して何試合もした。オフの前の日には「負け犬の会」を開催し、絶対自分達は這い上がるぞと食事しながら誓い合った。ヒロさんのJ1リーグデビュー戦(2010年新潟戦)は僕もたまたま先発だったので鮮明に覚えている。ミシェウにチンチンにやられましたね。笑

その後は、別々のチームでプレーする事になったが、2015年に再びチームメイトに。ヒロさんから「金沢行くわ」と言われた時はめちゃくちゃ嬉しかったのを今でも覚えている。金沢で一緒にプレー出来たのは2年間だったが、もちろんスタメンで一緒に出た時の事も沢山記憶にあるが、2016年の苦しいシーズンの時にサブ組の練習試合のエンジンで「ここで良いプレーしてみんなでスタメン取るぞ」と言ってもらってヒロさんに心が救われた事もあった。

ヒロさんのほっこりエピソードを更に一つ。
これは清水時代のチームメイトであり高校の後輩でもある岡根(現:沖縄SV)から聞いた話だが当時2人ともメンバー外で練習後のクールダウンで岡根が不貞腐れていた。その時ヒロさんが「そういう態度は監督が見ているからするな」と声をかけたそうだ。2人はCBで同じポジション、何かあればどちらかがメンバーinするライバルにもその選手の事を思い、行動できるのはなかなか出来る事ではない。

そして僕が2年間金沢を離れ、現役は引退して金沢のフロントスタッフとして戻ってきた時には精神面だけでなく、サッカー選手としてのスキルも格段上がっていて驚いた。利き足ではない左足の精度、ボランチやSBにつけるパス、ミドルレンジの浮き球、1対1の足の合わせ方、戦術眼。失礼ながら決して器用ではない選手がベテランと呼ばれる域に達し成長し続けていた。これは並大抵の事ではない。チーム全体のことを考えながら、自分自身に真摯に向き合ってきた日々の賜物だろう。

いよいよ明日(10月23日)はヒロさんのプロサッカー選手としてのラストマッチ。金沢での8年間の彼の功績は今後のクラブの未来の礎になっていくだろう。

ヒロさんの退団後の行く末が気になる人も少なくないだろう。もちろん僕もその1人だ。最近車のナンバー27をつけた車を毎日の様に目にする。今後、更に深い繋がりになりそうな予感がプンプンしている。笑

ヒロさんファンとしてヒロさんの未来が楽しみで仕方ない!!



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