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UNSUNG HEROESーVol.6_高野 宏樹

アンサング・ヒーローズ。名も無きヒーローたち。シャイニングアークスにも、普段スポットライトを浴びることなく選手を陰で支える、縁の下の力持ちとも言えるスタッフがたくさんいます。そんな彼らに、少し陽の当たる場所に出てきてもらうシリーズ企画です。第6回目の登場は、ヘッドメディカルの高野 宏樹氏。

アスレティックトレーナーになるために、高校卒業後アメリカ留学

15歳の時に、ドイツへ2週間のサッカー留学をしました。その時たまたまFCケルンの選手がリハビリをしている、ケルン体育大学のスポーツ医学センターを訪れました。その際にドクターとメディカルスタッフがチームを医学的な面からサポートしている光景を目の当たりにし、将来は選手を医学的にサポートできるような仕事をしたいという想いが生まれました。当時は、アスレティックトレーナーという職業があることすら知りませんでした。

高校3年の5月頃、今後の進路について『アメリカに留学がしたい』と母親に伝えました。その話を聞いた母親は『いいわよ、行けるものならどうぞ』と返答していましたが、私の留学を非現実的だと考えていたようです。その母親の考えを押し切り、1999年高校卒業と共にアスレティックトレーナーを目指すためアメリカに留学しました。

2年制大学に通いながら語学を学び、その後4年制大学に編入し体育学部のアスレティックトレーニング学科でアスレティックトレーナーの基礎を学びました。学生トレーナーとして様々なスポーツのトレーナーを経験させていただきましたが、学業との両立にとても苦労しました。

朝5時から10時まで実習、10時から14時まで授業、14時から22時まで実習。このような日がほぼ毎日でした。おそらく今以上に頑張っていたかと思います(笑)。大学卒業後、さらなる知識と技術の習得を追求するため大学院へと進学し、修士を取得するまで合計8年間学びました。

アメリカでは「アスレティックトレーナー」の存在は、準医療従事者という位置づけでビジネスとして成り立っています。小中学校を含めた教育機関から企業内にまでアスレティックトレーナーが常勤しているケースが多く見られ、スポーツ選手のみならず一般の方々の健康や安全面の管理がされているのです。ただ、日本ではメディカルもトレーナーも国家資格保有者ではないため、呼び方の問題だけで職業として確立しているとは言えないのが現状です。画像1

アメリカでの、7年間のアスレティックトレーナーとしての経験

大学院に在籍中、National Football LeagueのピッツバーグスティーラーズとNational Hockey Leagueのニューヨークアイランダーズで経験をさせてもらいました。大学院卒業後、NY州のバッファローにあるCanisius大学にて正職員としてアイスホッケーチームのトレーナーの仕事を7年間させてもらいました。

アメリカで長くトレーナーとして仕事をして、スポーツを通じてアメリカの社会を肌で感じました。日本では考えられないような生活面での格差があることを学び、私自身の人間力を形成する上で貴重な時間となりました。

人種差別、社会階級、政治や宗教と様々な問題がある中で、1人の日本人がスポーツチームのメディカルサポートをするには、『選手1人1人を理解する能力』が必要でした。少なからず言葉の壁もあったのか、どれだけコミュニュケーションを測っても分かり合えないこともありました。人を扱うことの難しさを痛感させられたのと同時に、トレーナーという仕事は怪我を扱うことだけではなく、『人を扱う』ことなのではないかと考えるようになりました。

アメリカでNational Hockey Leagueのトレーナーとしてのキャリアを目指していたのですが、ビザの問題もあり2014年12月に帰国しました。画像4

帰国後、NTTコムラグビー部へ。怪我を怪我だと思わないラグビー選手たちへの戸惑い

帰国後、高校時代の恩師の伝手で船橋整形外科病院にトレーナーとして勤めることになりました。そして、2016年の4月からNTTコムラグビー部に出向という形でお世話になっています。

このチームに携わるまではラグビーというスポーツとは無縁でしたし、全くの無知でした。正直に言って、最初はかなり大変でした。それまで担当していたのは、20数人の選手を2、3人のトレーナーで管理する競技でしたので、50人もの選手がいてスタッフを含めたら70人〜80人と関わらなければいけないスポーツチームを担当するのは、それだけでも苦労しました。

また、学術的、医学的根拠は選手には通用しないことを、ラグビー選手を通じて学びました。例えば『肩鎖関節損傷』という診断がついたとしても、「注射打ってくれれば、出ます!」とか、「テーピングして出ます!」とか、「薬飲んで出ます!」と言ってくる選手への対応に困りました。『いや、MRI上かなりの損傷だから試合に出場するのは無理だよ』と私が考えていても、選手は何とかトレーニングをして試合に出場する。そんな場面が日常茶飯事に起こるので、『私の学んできた医学的知識は何だったのかな?』と、毎日自問自答しています。

怪我をしたらしっかりリハビリしてもらって、完全に治してから選手を復帰させるのが私の方針としてありましたが、ラグビー選手はそれとは全然違う感覚の選手ばかりでした。そこは、ラグビー界の特色なんだと思います。顔の骨を骨折しているにもかかわらず試合に出続けている選手がいたりして、その辺りは苦労しました(笑)。
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メディカルとしての仕事の領域

メディカルの仕事は、選手のアクセルとブレーキのバランスをとってあげることだと考えています。選手が「大丈夫!」と言っていても、こちらから止めなくてはならない場合もあります。逆に、選手が「無理!」と言っていても、医学的な見地からこちらがアクセルを踏んで、「このくらいだったらいける!」と後押しする場合もあります。選手によってそのバランスに差異があるため、選手のことをどれだけ理解して対応するかが、チームの組織力に少なからず影響を与えると考えています。

現在5名のメディカルスタッフがチームに在籍しており、リハビリメンバーを含めて一日に約20人〜25人の選手に対して、リハビリやトリートメントを施しています。

メディカル的な見地から云えば、私がチームに配属された2016年から比べると、セルフケアに対する選手の意識が変わったと思います。練習前後のストレッチングやリカバリーに対する考え方などがだいぶ変わって来たと思います。 

日本におけるメディカルスタッフの位置付けとして、「マッサージをしてくれる人たち」というイメージがすごく強いので、私が理想としているメディカルの概念とは少し異なっています。私としては、選手自身が課題を見つけて自分自身で解決策を見出し、『メディカルスタッフ要らず』の身体を作ることが、選手本来の姿だと考えます。

人間には想像以上の自然治癒力がありますので、自分たちメディカルの本来の仕事とは、選手たちの自然治癒力をさらに促進させる手助けをしていくことであると考えています。『筋肉張ってるんで、揉んでくださーい』といった受動的かつ依存型のケアではなく、『ここまでセルフケアやったんだけど、なかなかよくならないので診てください』というように、能動的かつ受動的ケアが浸透するとチームの文化も変わってくると思います
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この先のチームへの想い

怪我をしてしまった選手たちがリハビリのプロセスを経て競技復帰をし、それまで以上の能力をフィールド上で発揮している場面を見た時には、この仕事をやっていて良かったなと感じます。

シャイニングアークスは、仲間意識が強いチームという印象があります。向上心のある選手が集まっていると思いますし、日々、より良いチームを作っていこうと試行錯誤し協力しあっている姿は、チームの文化を作っていく上で大切かと思います。

毎日うまくいかないことばかりです。課題発見と課題解決を繰り返すことでより良い組織が構成され、それが文化形成に繋がっていくと思います。チームがトップ4を目標としている中で、グラウンド内外で選手とスタッフ全員が『規律』を守り、当たり前のことを当たり前にできるようになれば、自ずとトップ4に近づいていくと思います。チーム活動はPeople’s Businessなので、チーム全員が成長マインドを持ち続けることによって、より良い文化形成と組織力の向上につながると信じています。

選手や周りのスタッフを信頼して、日々前進するのみです!

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