ルーキーイヤーの大怪我を乗り越えて
2021年4月25日、プレーオフトーナメントvsキヤノン戦、後半24分、ついにその男がトップリーグ公式戦の舞台に立った。大学4年時の2019年12月8日の大学選手権で負けて以来、実に約1年4ヶ月ぶりの試合出場となった。練習試合も経験せずに、まさにぶっつけ本番のトップリーグデビューである。その男の名は、竹内柊平。ルーキーイヤーに突然襲われた大怪我から復活までのストーリーを辿っていく。
“トップリーガー発掘プロジェクト”での出会い
「大学時代の監督に就職面談で『NTTコムに行きたい!』と言ったら、『お前、調子に乗るな!行けるわけないだろう』と言われました(笑)」
九州共立大学ラグビー部キャプテン。教職に就くためにこの大学に進学したが、トップリーガーとしてラグビーを続けたいという気持ちもあった。その気持ちを当時の監督も後押ししてくれたが、活動の舞台が九州学生リーグだったため、その存在がトップリーグ各チーム・リクルーターの目に届くことは無かった。
「大学4年に上る前の3月に上京して、“トップリーガー発掘プロジェクト”というものに参加しました。そこでたまたまノブジさん(斉藤展士フォワードコーチ)と出会って、その時組まれたチームの監督がノブジさんで、そこで初めてプロップをやってスクラムに挑戦しました(※それまではLO/No.8)。ノブジさんにアドバイスを受けましたが、スクラムを組むのが初めてで言っていることが理解できなかったので、正直に『初めてやるのでわかんないです!』と言ったら、『キミ、おもしろいねえ』と笑われていました」
斉藤コーチは、竹内のフィールドプレーを評価しつつも、当初からプロップとしての才能を見出していた。その後アークス浦安パークでの一週間の練習参加を経て、正式に入部のオファーを受けた時には、「よろしくお願いします!」と竹内は即答した。
コロナ禍でのルーキーイヤースタート
あれよあれよという間に、コロナウィルス感染状況が悪化していき、4月7日には東京など7都府県に緊急事態宣言が発出された。ラグビー界はおろか、戦後の日本では誰も経験したことの無い異様な状況の中で、社会人、そしてトップリーガーとしての生活が始まった。
「入社して少しウェイトトレーニングを始めたぐらいの時期に、緊急事態宣言が発出されてクラブハウスが使えなくなりました。それで5月から在宅トレーニングが始まりました。同期の本郷と坂の家が近くてめっちゃ一緒に走っていましたね。6月から小グループに別れての練習が始まり、それからFWとBKに分かれての練習になりました。嫌な時期に入ったなーと、正直思いましたね」
オフ明けの9月に全体練習が本格的に始まり、その二日目
「タッチフットの練習をやっていて、相手を抜いて1対1になったところでステップで抜き去ってやろうと思って、10割のトップスピードでステップを切ってしまったんですね。いつもだったら8割〜9割ぐらいでステップを切っていたのですが、アークスに入ってのトレーニングで体重が増えたのに動けるようになって体の調子が良くて、思わず行っちゃったんですね。そしたら膝が崩れた感じがして、立てなくなってしまいました」
「その時は不思議と痛くは無かったのですが、立てなくなってしまったので、これはヤバい!と感じていました。シンゴさん(LO中島進護キャプテン)におぶってもらったら、『お前、重い!』と言われた記憶があります(笑)」
メディカルに付き添われて病院に行きMRIを撮ると、まさかの前十字靭帯断裂と半月板損傷の診断が下された。医師からは復帰に最低10ヶ月はかかると言われる。
「その時は絶望したというより、信じられなかったですね。現実味が全然なくて、夢かなと思っていました。月を数えて『来年の6月頃に復帰できますか?』と訊いたら、『いやー、厳しいね。キミは体重が重いし、どんなに頑張っても6月は無理だね』と言われました。それまで大怪我をして長期間ラグビーから離れる経験が無かったので、辛かったです」
内心、『自分なら3ヶ月で直してやる!』と竹内は思っていたが、結局松葉杖が取れるようになるだけでも、11月過ぎまでかかってしまった。
「一番辛かった時期は、松葉杖が取れるまでですね、やっぱり。上半身のウェイトトレーニングはできたのですが、移動も松葉杖じゃないですか。その時期はきつかったですね。ただ前十字を切った経験のある選手がたくさんいらっしゃったので、色々と手助けをしていただきました。ほんと力づけてもらえましたし、ありがたかったですね」
そうこうしている間に、怪我をした右脚の筋肉は情けないほど落ちていった。
「右のお尻の筋肉も無くなってしまっていて、上を向いて寝るじゃないですか、そうすると平らじゃなくって斜めになっちゃうんですよ。自分でも『わー、すげー!』って思ってしまいました」
「その頃が一番きつかったですね。だけど『オレならできる!』って自分に言い聞かせて、自分をずっと信じていました。誰よりも早く練習場に来て、誰よりも遅くまでリハビリをやるというのが自分の考えでした」
他の選手がグラウンドで練習している姿を室内練習場から眺めながら、一人地道な単純作業を20回、30回と続けるリハビリを懸命に続けていたが、徐々に本来の快活さを失っていった。
「面白くないし、たぶん廻りから見て元気が無かったんでしょうね。廻りから『TK(竹内選手のニックネーム)、負のオーラ出てるぞ!』って、ずっと言われてました」
クリスチャン・リアリーファノ選手からの励まし
「怪我をした時に、マインドセットをどうにかしないといけないと考えて、いろんな怪我をした選手の記事を見ていたのですが、考えたら一番近くにクリスチャンがいるわけじゃないですか。白血病を乗り越えてオーストラリア代表にまでなって、あっ、この人がそばに居るわ!と思って。まだその時は会えていなかったので、クリスチャンのいろんな記事を読みました。あの人は何年もラグビーができなかったのに、一年もかからないぐらいの怪我のオレがこんなことでへこたれてちゃいけないなって記事でも元気づけられていた、その実物がこのチームにいるわけじゃないですか」
クリスチャン・リアリーファノ選手は、コロナ禍の影響で来日が遅れて、竹内が怪我をした9月にはまだ来日できていなかった。ようやくチームに合流ができたのは10月のことだ。ところが11月のある日の練習中に、今度はリアリーファノ選手がアキレス腱断裂の大怪我を負ってしまったのだ。
そして竹内は、自分が記事を読んで励まされていた、あのリアリーファノ選手と図らずも一緒にリハビリ生活を送ることになった。
「クリスチャンが毎朝僕に『おはよう、リハビリキャプテン!』みたいな声をかけて明るく接してくれるんですね。それで僕もへこたれた感じで『うーん』とか言えないし、無理してでも明るく『ヘーイ ブロ、グッドモーニング!』みたいな感じで返していました。そしたらどんどん元気が出るようになっていきました」
「まずあんな大物の、オーストラリア代表の選手が、僕みたいな無名無印の選手にあんなに別け隔て無く接してくれて、本当に僕はそれが力になりましたね」
そのリアリーファノ選手は、自分自身、今シーズン中の復帰はほぼ不可能なことはもちろんわかっていた。
「ジョギングができるようになったり、スクラムが組めるようになったりするたびに、『おめでとう!』って言ってくれて、本当に誰よりもすごく喜んでくれました」
キヤノン戦試合当日の朝、クリスチャンからLINEが届く
キヤノン戦にメンバー入りすると事前に言われて、実際にメンバー登録されてからどんどん緊張が膨らんでいった。何しろその前に試合をしたのは、2019年12月8日の大学選手権で負けた試合なのである。3月に予定されていた練習試合での出場もコロナウィルス感染状況の悪化で試合自体が流れてしまい、トップリーグデビューが文字通りぶっつけ本番となった。
「やっぱ緊張してたんですよね、すごく。一日前もなかなか眠れなくて。試合当日の朝起きても全然緊張していて、『やべえな』と思っていました。そしたらクリスチャンからLINEが来ました。そこには、『おはよう、ブロ(兄弟)、ずっと私はあなたを見て来ました。あなたは私の誇りです。あなたなら、きっといいデビュー戦にできるでしょう』と、書かれていました。
それと一緒にそれまで僕がやってきたリハビリを撮った動画を編集してくれたものを送ってくれました。その動画の最後にクリスチャン自身が出てきて『TKならできる!頑張って!』って言ってくれました。
それを見て、朝から大泣きっすよね。泣いて、めっちゃ感動して、それまでめっちゃ緊張してたんですけど、『この6、7ヶ月に比べたら試合なんて大したことないな』って思えて、緊張が解けました。そして『バシバシ行ったろう!』って思えるようになりました。涙流して緊張がほぐれて『よし、やったろう!』と思って試合に臨めました」
試合前には斉藤展士フォワードコーチからも、彼らしい励ましの仕方で『大丈夫。お前がスクラム押されるのは計算のうちや』と笑いながら声を掛けてもらった。
「ほんとに怪我の間のノブジさんの存在もすごく大きかったので、これぐらいのことでは恩返しにはならないと思っていましたが、ここでやってやろうという気持ちは、めっちゃありましたね」
他のトップリーグチームと初めてスクラムを組み、初めてコンタクトしたこの試合は、最高に楽しかった反面、負けた悔しさも深く心に刻まれた。
来シーズンに向けて
チームは大きく変革への舵を切った。良くも悪くもチームは変わるはずで、成功もあれば一歩間違えれば下位チームになってしまう可能性もある。最後に来シーズンへ向けての心構えを訊いてみた。
「ルーキーという立場はもう終わりますので、来シーズンはもっと主体性を持ってチームに対してどんどん発言していこうかなと思っています。ただそれなりの実力が無ければ発言したとしても説得力が無いと思うので、そのために今どれだけ力を付けられるかだとと思っているので、努力し続けます。ホントにキヤノン戦は悔しかったので、絶対やり返そうと思っています」
「リハビリ生活は、自分一人じゃ乗り越えられなかったと思います。ホントに親身になって尽くしてくれたメディカルの高野さん(高野宏樹ヘッドメディカル)やトレーナーの人たちのお陰だと思うし、選手みんなだったり、コーチ陣からも全員に声を掛けてもらったし、他の環境だったらこんなに早く復帰できていないんじゃないかと思っています。その人たちに恩返しという気持ちで、来シーズンは、かまします!」
来シーズン、注目すべき選手がまたひとり増えた。
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