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納豆の存在意義について考えてみる夜

空腹で眠れなくなってしまった時の最高の処方箋、納豆ご飯。それはニューヨークでも変わりません。

日系のスーパーで当たり前の様に購入する事が出来る事がわかり喜びを噛み締めたあの日はいつのことか。

サンライズマート様、並びにダイノブ様(補足:シティに点在するチェーンの日系スーパー)。この場を借りて謹んで御礼申し上げます。

そんな中、ふと、納豆って味覚的に本当にうまいのか考えて食べてみたところ、実際そうでもないのではないかという疑問を抱き始め、それからと言うもの、少し距離を置いて改めてこれからの関係を考えさせて頂いていたのですが、その空白の時間の中でそれでもやっぱり僕の人生には無くてならないものだと改めてその存在の大きさに気づかされ、今日もワンパッケージのストックが冷蔵庫の奥に佇んでおります。

慣れ親しんだものとは、良し悪しという基準とは違う、なにか特別な価値観で自分の中に生き続けていくんだなあ、としみじみ思い、ネバネバとした唇でタバコをふかしながら思う夜。

ニューヨークに来て満3年が過ぎ、落ち着きそうで落ち着かない生活はまだ続いています。

明日の事もわかりませんが、一つ確実に分かっている事は明日の朝食も納豆であるという事だけですが、引き続き楽しく、芳醇で粘り気のある人生を送って行けたらと思う次第でございます。

しんち

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