名称未設定_1

【第2話】元ギャル男読モが写真家になってNYに移り住んだ経緯 〜変化編〜

前回のスペイン遠征からの帰国後色々と日本でバタバタと変化が起こります。ぜひ第1話、
元ギャル男読モが写真家になってNYに移り住んだ経緯 〜感化編〜を先にどうぞ。

どっぷり感化され異国の地に対する憧憬が自分への土産となったそのスペイン遠征。そこから自分の中での海外に対する気持ちは180度変わった訳ですが。

日常の生活に戻って行くとともに、そう言った気持ちは心の奥底に沈んで行ってしまうのもまた事実で。

特に考える事もなくしばしの時間を過ごします。

ただそれからしばらくして自分の中で起きた変化の一つ。ギャル男としてこの心地良い渋谷で、雑誌に出て、そこそこチヤホヤされて、特に考えもなしにその一つのカルチャーの中心に居続ける事。そこに違和感を感じ始めました。

もちろんこれらの経験が自分の基盤となった事は事実です。ですが、ずっと同じ所で、同じ範囲で、同じ事を続けていくというルーティーンに疑問が湧いてからは熱が冷めていくスピードは速かったと思います。

そう思う様になったきっかけは自分でも気付いてはいませんでしたが、あのスペイン遠征の時の心のくさびだったと今では思います。

そして今度は原宿カルチャーに傾倒するようになります。

・・・  

一駅しか変わってないやん(山手線上)


頭は黒髪のボブにし、青いメッシュなんか入れて所謂原宿系、みたいな物に興味深々だった頃。

見た目は変わりましたが、セルフィーの感じは全く変わりませんね。顔の角度とかちょっと意識してる唇の形とか。
我ながらイラっとします。

ただこの流れが僕を『ファッション』という、ジャンルに興味を抱かせ、そしてそのファッションを収める『ストリートスナップ』という写真に出会わせてくれます。その頃は世の中もスナップ全盛期で、色々なスナップの雑誌やウェブサイトがあり、僕も片っ端から食い入る様に見ていました。

そしてそれから少しして実際にストリートスナップのフォトグラファーとして雑誌に写真を提供する機会が訪れます。

いや、文字にすると実にトントン拍子だな。 

その機会というのは、当時大好きだったストリートスナップ誌”STREET magazine”を発行していた『STREET編集室』への撮影でした。そこから渋谷の街の女の子、ギャルのスナップ雑誌を創刊する事になり同編集室でフォトグラファーとして活動し始めた友人Fさんから僕が渋谷カルチャーに造詣が深いという事でカメラを渡してもらいフォトグラファーとして参加させてもらう事に。

憧れの雑誌社で写真を撮る事になり、とにかく興奮した事を覚えています。

それからと言うもの、昼から終電までひたすら渋谷の街を練り歩き撮影していました。

その時創刊した雑誌がこちらの

『.RUBY』です。

余談ですが、人はどこからともなくやってくる大きな流れ、いわば流行という物に知らず知らずの内に影響をされて行く物で。それも個人単位の話ではなく、『人々』がその潮流を感じ、皆で同じ方向に動き出す瞬間というものが存在すると思っています。

この頃から渋谷のギャル達が少しずつ、原宿ファッション的な要素を取り入れるようになってきていました。  

そう考えると上記の僕自身の渋谷から原宿へ、という心の移り変わりも、決してただの気まぐれな心変わりではなく少なからずそう言った潮の満ち引きを感じて推移して行った結果ではなかったのかなと振り返って見た今思います。

そしてその渋谷の変遷と、生まれつつある新しい流れ、カルチャーを写真に収めたのがこの『.RUBY』という雑誌です。

時同じくして、この時期から僕の周りのご飯を奢ってくれる大人の人達の中にはなぜか『ニューヨーク』というワードを多用してくる人々が増え(今思えば彼ら自身そんなにNYに詳しくもないのに)、ことある毎に『お前はニューヨークに行った方がいい』と言われる様になります。


『いやあんたニューヨーク行った事ないだろ』


と思いながらもどこか心の中にこの都市の名前が残る様になりました。

マジでなんであの人達は特に詳しいわけでもないのにあんなにニューヨーク推しだったんだろう。謎

上記にもありますが『STREET編集室』が発行する雑誌の一つに海外数カ国のファッションウィークでの人々を撮影している『STREET』。毎月この雑誌を見てまだ見た事のない海外の街に、ファッションに心の底からワクワクしていた事を覚えています。

そしてこの雑誌の撮影のために上記の友人Fさんが半年に一度ニューヨーク、ミラノ、パリ、ロンドンへと撮影のために遠征をし始めました。

無論、彼からの土産話を聞く度に、見た事の無いものへの好奇心が大きく膨れあがり始めます。この辺りから、スペインで感じた『海外に出たい』という気持ちが再び強く浮かび上がってきます。

日本だけでなく、海外のストリートでも撮影をしてみたい。

その中でも特にニューヨークの話が印象的でした。もの凄くパワーに溢れる街だと。

先にも出た、大人の人々からの言葉(洗脳?)の影響もあってかなぜか自分の中でスッと腑に落ちたような感覚になりました。


『そうだ、ニューヨーク住もう』


この極端な思考に至るまで、この単純極まりない、人の影響を乾いたスポンジの様に吸収しまくる僕にとってそう時間のかかる事ではありませんでした。

ただ一つ気付いた事。


『俺もニューヨーク行った事ねーわ』


あの時心の中で軽く嘲笑ってしまった大人の方々。ごめんなさい。僕も同じでした。

と言うわけでストリートスナップを本格的に撮り始め、この辺りからニューヨークに一度訪れてみようと思う様になります・・・  


そしてもう一つ余談ですが、その意識が芽生え始めてから急激に『英語』に対してのコンプレックスを強く抱く様になりました。

ある日、撮影のため渋谷の道を歩いていた時の事。前を歩いているのはモデルらしき男女4人組。英語で話していたので外国の方達かと思いきやいきなり    

『マジかよー!』


と日本語で話し始めたわけです。

恐らく帰国子女かハーフの方々だったと推測しますが、なぜかその時『同じ日本語を話す人間が、更に英語でも話すことができ、しかもその英語を理解できない自分』と言う事実が妙に恥ずかしくなり、同時に      

『こいつら、カッコいい、、そしてムカつく』


と嫉妬心が込み上げてきた事を覚えています。

恐らく後に筒井の中で『渋谷ドン・キホーテ前事変』と呼ばれ、記憶に残り続ける事になるこの出来事が僕の英語に対する強い憧れと執着の発端になり、その後の言語習得の強いモチベーションに繋がって行きます。

日本人の『欧米コンプレックス』のド典型を突っ走る男ですね。

その日から始まったと思われる無条件な英語に対する畏敬の念と憧れは今でも消えず僕の学習欲を轟々と燃やし続けてくれています。

人間、しょーもない欲望やこだわりにこそ意外と根気よく力をそそげる物っつーことです。

-つづく-

※続きはコチラ↓

【第3話】元ギャル男読モが写真家になってNYに移り住んだ経緯 〜躊躇編〜


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?