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【第4話】元ギャル男読モが写真家になってNYに移り住んだ経緯 〜出逢編〜

前回、色々な葛藤の末ニューヨークへの一人旅を決意した筒井。

是非【第1話】元ギャル男読モが写真家になってNYに移り住んだ経緯 〜感化編〜

、【第2話】元ギャル男読モが写真家になってNYに移り住んだ経緯 〜変化編〜

、それと【第3話】元ギャル男読モが写真家になってNYに移り住んだ経緯 〜躊躇編〜
から先にどうぞ。

長くなりましたが、ついにニューヨークへ10日間の下見に飛び立ちます。

ちなみに急な決定だった事もあり、超貧乏旅行。全予算は15万円。これが2012年3月の話。当時1ドルが80円ほどでしたのでこの時の為替には随分助けられました。

宿も、今盛んな『Airbnb』の様な、手頃に空き家を探して安く泊まるという事もなかなか難しかった時分。日系のウェブサイトから韓国人経営の、一泊$25という破格のドミトリー(共同宿舎)を見つけました。このドミトリー経験も結果として大きな経験になるのですが、またそれは後ほど。

右も左も分からない中、成田空港まで。もちろん鈍行列車で。

そして長旅の末アメリカはデトロイトに到着。トランジットを経てついにニューヨークはJFK空港に着陸しました。

ぼったくりタクシーの客引きを振り払い、初めてのニューヨークの地下鉄、サブウェイ。ここでも節約です。

正直空港周辺は僻地ですので、お世辞にも拓けた地域とは言えず、しかも到着が夜だった事もあり、スーツケースを転がすその手は堅く握り拳だったと思います。いやー、正直かなり怖かった。

そして、事前に調べ、ケータイに保存していた電車情報を頼りになんとかマンハッタンへ。そして特に問題もなく宿の最寄り駅に降り立ちました。

『34th street Herald Square』という駅で、ミッドタウンのど真ん中。あらゆる電車も走っており、すぐそばにはコリアンタウンが栄えている、本当に最高の立地でした。しかも駅歩30秒。

ドミトリーというのは、数部屋ほどある大きめのアパートメントのそれぞれの部屋の中に二段ベッドが押し込まれている、大人数で寝食を共にするタイプの共通宿舎。

リビング、シャワーはもちろん兼用。そして先にも申し上げた通り、韓国人経営だったため僕以外の宿泊者は全て韓国人でした。

正直最初はそんなギュウギュウ詰めの共同生活に不安を覚えていましたが、実際やってみるとこれがとても楽しく。

同じ部屋になった、同い年の方と特に仲良くなり、色々な事を教えてもらいました。

というのも彼も旅行ビザでニューヨークに来ていたのですが、なんとビザの期限一杯(3ヶ月)過ごすとの事で幾分この街での生活にも慣れている様でした。

ちなみにもちろん英語なんてほとんど話せなかった僕。韓国人に囲まれ、そのコミュニケーション手段は?と思った方もいるかと思います。

なんと『日本語』!

彼以外にも何人かと仲良くなったのですが、その全員に共通している事は、高校で日本語の科目をとっていた、という事と日本のアニメの大ファンであるという事でした。

俺ですら知らない割とマニアックなアニメを見せられ、

『なんで知らないんだ!』

と少し憤慨している様子は興味深かったです。

そんな訳で、拙いながらも日本語を操る彼ら。少なくとも当時の僕の英語よりは遥かに達者なものでした。

そして何よりそこで宿泊している観光客の皆が本当に温かく、着いたその日の夜はオーナーさんとその他数名でディナーに連れて行ってくれた上にご馳走までしてくれたり、その後も朝ごはんを作ってくれたりと何かと良くして頂きました。

それまで、隣国であるにも関わらずボーイズグループ『Big Bang』とキムチスンドゥブ以外の知識が全くなかった僕。それに対し、こんなにも日本のカルチャーに精通している彼ら。

自分の世界の狭さを初日にして突き付けられたのを覚えています。

そんな訳で8畳ほどの部屋に二段ベッド。そんな寝床でしたが、本当に居心地が良く、なんの不自由もなく初日を終えました。

あ、でもシャワーを温水にする方法がわからず、初めの2日程は真冬にも関わらず冷水シャワーに打たれるというハードコアな経験をしましたが。

寒かったです。

海外の洗礼という事で謹んで受け止めました。(いやまず大家に確認しろや)

そんな訳で始まったニューヨーク滞在。

日本の知り合いに紹介して頂いた現地在住の方々とのお茶やランチの約束以外真っ白なスケジュールだったので空き時間が多く、繁華街でひたすらぶらぶらとスナップ撮影をしようとくらいのかなりざっくりとした予定で考えていました。

ですが、ここで同じ国で生まれ育った人々の海外での繋がりの強さを強く感じました。

知り合いの知り合いという拙いつながりのためにわざわざ時間を割いて頂いたばかりか、その後彼らの予定に同行させて頂くというご厚意にまで預かる事が度々ありました。

そんなこんなを繰り返し、結局スカスカだった10日間は毎日何かしらの予定でぎっちりに。

その中でも同い年の男性二人との出会いは特に大きな物となりました。

1人目は僕と同い年(当時23歳)のRくん。紳士的で物腰が柔らかく、聞き上手。散々饒舌になった事を覚えています。そんな同い年とは思えない大人な振る舞いが印象的でした。

彼とはその日夕食の予定だけだったのですが、そこですぐに打ち解け、目をキラキラさせてニューヨークに感化されている僕を見て、その後彼が訪れる予定だった友人の誕生日会にも一緒に行かないかと誘って頂きました。

とは言っても、その主役の誕生日である方を知らない筒井。そんな感じでいいのかよと半信半疑でしたがそこはニューヨーク。友達の友達は友達!

直接関係のない人であっても一人の友人さえ介せばそこはもう知り合い!と言った具合に人との繋がりにおいての入り口が非常に大らかで、僕はそれをこの街の”受け入れの間口が広い”という特徴として捉えています。

さてさて、日本人フォトグラファーのお誕生日会だったので主にクリエイティブ、ファッション関係の人々が多く集まる会でした。

2人目はその中で出会った同じく同い年のW君。スラリと背が高く、物静か。長髪をかきあげながら訥々と話す姿がなんともミステリアスな彼。こちらもとても印象的な出会いでした。

そして話をしていくうちにわかったことはなんと彼がニューヨークでストリートスナップを撮っているフォトグラファーであるという事。

同い年で同じジャンルの写真を違う都市(それも海外で)、で撮る彼。もちろん強い興味を抱き、瞬く間に話は広がり仲良くなり、翌日から街に連れ出してもらう事になりました。

10日の滞在のうちの後半は、ほぼWくんに行動を共にして頂きました。普通では入れないようなブティックのパーティーに連れて行ってもらったり、街中でスナップを撮るのに適したスポットを教えてもらったり、現地で生活する彼と同じ空間にいる事で僕の”旅行”に大きなリアリティが加わり、ニューヨークでの”生活”をイメージできる貴重な体験となりました。

そしてその体験は自分の中である一つの決意へと繋がりました。

“絶対にニューヨークに住む!”

今冷静に考えるとお上りさんが少し物事がうまく進んだだけで何かを成し遂げたと自惚れて勘違いしていた様にも思います。が以前も述べた様に、僕は海外渡航において一番大事なものは”勢い”だと信じています。

そして”自惚れ”や”勘違い”というものはその”勢い”を良くも悪くも加速させる因子であるということも。
この場合はそれが良い方に働いてくれました。

ともあれ、まずは誕生日パーティーに招待してくれたRくん、そこで知り合い、街へ連れ出してくれたWくん。この2人との出会いは僕にとって大きなインパクトとなりました。

ちなみに今ではこの2人は最も信頼し、心を許すことの出来る大事な友人です。

次回は日本に戻って本格的に渡米準備に入ります!

(写真は誕生日会にての一枚)

-つづく-

※続きはコチラ↓

【第5話】元ギャル男読モが写真家になってNYに移り住んだ経緯 〜準備編〜





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