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東京上京、表参道の超有名サロンAFLOATに入った後の人生とは

こんにちは。

田中慎一です。

前回のコラムをご覧いただきましてありがとうございます。

前回は20歳から地元滋賀県で美容師を初め、その後表参道の超有名

サロンAFLOATに入るまでをお話ししてきました。

今回は、続編となりますので是非最後までご覧いただけると光栄です。

上京した後の部屋は、前回面接をした後に探していた物件を仮契約していましたので、そのままお部屋を借りることに。

ちなみに上京した当時は副都心線沿いにある練馬区の『小竹向原』という駅に住んでました。

駅から徒歩2,3分。1Rで風呂トイレ別、マンションでもなく、アパートでもなく、いわゆるハイツというところに住んでました。

当時の家賃が5万円でしたのでかなり安い方だと思います。

無事本契約を終えて、滋賀からの引越し代がもったいなかったので、実家の親の車を使って友達にも手伝ってもらい無事に引越しは終了。

そして本格的に住み始めます。

小竹向原から勤務先の表参道までは電車で約30分。

一度渋谷で乗り換える必要がありました。

緊張の初日。

有名店の朝は早いです。

アシスタントは必ず朝9時までに出勤いたします。

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当時のお店です。2階と3階に別れてましたのでこの写真の約4倍の広さがあります。

まずは全スタッフに挨拶周り。

『〇〇さん、本日からお世話になります田中慎一です。』

前日までにAFLOATのHPを見て覚えていたスタッフの顔と名前を照らし合わせ先輩スタッフの名前を読んで自己紹介。

全スタッフは50名ほどいます。

そしてここでAFLOATグループ代表宮村浩気と初対面!

『宮村さん、本日からお世話になります田中慎一です。よろしくお願いします。』

そしたら一言

『頑張って!』

えっ?

これだけ?

他なんか激励の言葉とかないの?

って思ったのですが、まぁ忙しい人なのかなぁと感じながら他のスタッフの方にも挨拶周りをすることに。

そして全てのスタッフに挨拶周りを追えたら早速練習です。

僕は

『バックシャンプーができません!!』

と面接で話していたのでまずはバックシャンプーの練習を行うことにします。

AFLOATでは入りたての新入社員、中途アシスタントには専属の先輩アシスタントがつきます。

当時は一人につき一人つきました。

この先輩スタイリストからいろんな事(挨拶、接客、技術、掃除、お店の流れ、その他モロモロ)を教えてもらいます。

僕はTさんという先輩アシスタントの方が見てもらえる事に。

練習が終わると掃除を行います。

とにかくでかい店(当時200坪で表参道の美容室でも1,2位を争う広さ、もちろん家賃はクソ高いw)でしたのでアシスタント全員で掃除を行います。

掃除は本当に大変です。少し汚れていたら先輩からお説教くらいます。

掃除が終わったら昼ごはんです。

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この時間がみんなと楽しく話せる時間です。

アシスタントだけで当時30人ほどいましたからね。

あっ、そうそう

結局僕含め5人面接したんですが、結果合格したのは僕含め3人。残りの2名は不合格となってしましました。(今何してるんだろうか??)

そして4月に新しく入社した人(新入社員)が先に10名くらい入ってました。(僕が入社したのは4月21日なので彼らが3週間先輩となります)

昼ごはんが終わったらその後朝礼です!

朝礼はまさに圧巻!

afloat-fの全スタッフ(スタイリスト、アシスタント、レセプション、事務当時で50名くらいかなぁ)が円形になり、幹部の方が本日の流れや伝えておく事を話します。

そしてこの瞬間!

初日なので自己紹介

一発芸!!

えっ?

一発芸?

なのそれ?

と、AFLOATに入社した新入社員の恒例行事らしい。

んなもんできるか!?

と思いながらも

恥ずかしながら当時流行ってた芸人のモノマネをやってみたら意外にウケました。

そして朝礼も終わり12時30分。

初の営業スタートです!

と同時にお客さんが来る事、来る事!!

そこでは今まで見た事ないようなお客様の数々。

そしてなんとそこにはあのアイドルが!

『〇〇ちゃんや!』

『顔ちっさ!』

みたいな事を同期に話しながら、やっぱここは有名サロンなんやなぁーとしみじみ感じていると、先輩から注意が!

『田中のシャツ派手すぎ!』

当時は関西でやったらめっちゃモテるやろ!

っていうくらいの派手な赤と黒の柄シャツを着てたらなんと表参道のサロンに相応しくないから着てくるなとの注意!

なるほど。

表参道はやっぱ服装まで表参道っぽくお洒落にせなあかんねんな!

勉強や!

といった気持ちでいると、

今度は

『田中、接客中の関西弁禁止な!』

とのまさかの関西弁禁止条例発動!

挙げ句の果てには

『標準語はN○Kで覚えろ!』

『ド○キで正しい日本語の本買ってこい』

との事。

そして渋々接客中は関西弁を使わず、できるだけ標準語で話す事に。

ですが24年間関西で育った人間がいきなり、関西弁使うなっていうのも難しく慣れるまでには相当時間がかかりました。

表参道サロン、、、

侮れへんわ、、、

AFLOATでは主にチーム制で仕事を行います。

スタイリスト4,5名に対してアシスタントが7,8名

それが4グループあります。

A、B、C、JY(何故JYかは謎w)グループに分かれます。

僕は当初Bチームにいました。

アシスタントの仕事は主に、

シャンプー、カラー、パーマ、ブローなど。

そしてスタイリストが円滑に仕事するため、お客様との温度差を無くす接客、会話。

お客様が終わった後の席の掃除や道具の片付け。

などとりあえず、スタイリストが仕事をやりやすくするのがアシスタントの仕事!

毎日大体200名近いお客様がご来店いただいてました。

トップスタイリストは一日大体20名を超えるお客様を担当します。

スタイリストでも大体平均10名ほどのお客様を担当します。

当時はインカムマイクを使用してシャンプーの順番、お客様の席の配置などを別のアシスタントリーダーと連携を取り合っていきます。

休む時間なんてほとんどありません。

トイレに行く時間も営業中は1日1回くらい。

それくらい忙しかったです。

今思い出しながら書いてますが本当に凄かった。

後みんな仕事がみんなめちゃくちゃ早いし上手い!

これは負けてられねーという事で、朝練、夜練習をもちろん毎日行っていきます。

朝は9時からアシスタントの出勤チェック(来ていない人がいないか確認)があるのでそれまでには行くのですが、僕は大体朝の8時に出勤して練習してました。

僕は地元滋賀のサロンでスタイリストを1年間行っていたので、即戦力として当時は優遇されてAFLOATに入れたのですが、入った歳が24歳で他のスタッフにも生意気な態度も取ったりしてましたので、よく先輩アシスタントとは揉めてました。w

とりあえず早くスタイリストになりたかった!

その気持ちだけで、朝早く店に行って練習したり、

営業中もよく怒られたけどその反省を生かして後日に生かしたり。

まぁ結局、何回も同じ事で怒られるんですけどねw

そして営業が終わってクタクタになっているけれど、その後練習モデルさんを呼んでカラーやカットなどの練習を行います。

今だったらミニモが主流ですが当時はmixiやGREEなんかのSNSを使ってモデルを探したりしてました。

当時はmixiが主流でして、お願いしてくるモデルさんが月2,300名の依頼があるのはザラでした。

そうそう、モデルといったら雑誌撮影のモデルハント

通称『モデハン』

このモデハンがマジで大変!!

簡単にいうとまず道を歩いている可愛い女の子(かっこいい男の子)に声をかける。

話しを聞いてもらえたら、うち(AFLOAT)のサロンモデルになってもらえないか確認する。

OKならそのまま写真を撮らせていただく。

その写真をスタイリストに見せる。

月にノルマがあって2枚(2人)OKならクリア

スタイリストがダメ(通称 ぼつポラ)となったらまた探しに行く

そして難しいのが既に撮ったモデルさんはNG

同月に他のアシスタントも同じ子を撮ってたらジャンケンで勝った方w

などのルール。

そしてアシスタントが30名いるから毎月60名のモデルが新規登録されていく。

余裕じゃんとか初めは思ってたけど、甘い。

というか写真をとっても合格できない。

スタイリストに言わせると可愛くないらしいので、ボツになっちゃうのがほとんど。

その中で、自分が足使って可愛いモデルさんを探して、その場で写真を撮るっていう一連の仕事はかなり役にたちました。

確実に目がこえました。

そして実際に自分が見つけたモデルさんだったら、後々撮影もお願いしやすいです。

それからというもの、平日(火曜から日曜)は営業。

休みの日(月曜日)は朝練してから、昼からモデルさん探し。

休日の前夜は毎週クラブやバーに行って同期や先輩。

美容師仲間や他業種の人と朝まで飲んだりして上京して初めての東京ライフを送ってました。

1年目からとにかくガムシャラでした。

言われた事は絶対!

守ってないと怒られる。

練習してないと怒られる。

接客でダメだったら怒られる。

技術失敗したら怒られる。

そう、

毎日怒られてました。

営業が終わって練習を行い、家に帰ってご飯食べて寝て起きて店に行くという繰り返し。

ですが、表参道で働いているという気持ちが僕を前向きにさせてくれました。

AFLOAT生活も慣れてきてると、アシスタントは付くスタイリストが変わっていきます。

そしてそのスタイリストの専属アシスタントになります。

専属アシスタントのお仕事のお話しを少ししましょう。

専属アシスタントはまず、バックルームの各スタイリストに各ロッカーがあります。

そこにプレス(事務)の方から仕事の内容が書かれた紙が貼られています。

その紙の内容は【雑誌の撮影、モデルや芸能人のヘアメイク依頼、ヘアショーの打ち合わせ、セミナーの依頼、商品開発など】全スタイリスト様々な仕事内容が書かれた用紙が貼られています。

まずその用紙の内容のチェックを行います。

その後、撮影やヘアショー、セミナーならすぐ協力してくれそうなモデルさんに連絡を行い撮影の日程に合わせていただきます。

この連絡がまぁ大変!!

雑誌によってはライターさんのチェックが厳しかったのでなかなか合格する事ができませんでした。

そしてライターさんのOKが出れば当日撮影と言う流れ。

なので撮影やセミナーが入ったら即モデルを抑えること。

そして撮影日になったらスタイリストとモデルさんが来る前に出勤を行い、ワゴンやテーブルにメイク道具やアイロン、スタイリング剤の準備を行います。

そしてモデルさん、スタイリストが来たらモデルさんのシャンプーを行い、その後スタイリスト(そのままアシスタントがする時も)がメイクを始めます。

メイクがある程度終わりましたら、ヘアスタイリングをします。

まずブローを丁寧に行い、その後アイロンで巻いていきます。

当時、撮影をほとんどしたことがない田舎の美容室で働いていたので、この雑誌撮影やヘアカタログなどのメイクやスタイリングをしている姿を見れるのがとても新鮮であり、学ぶことが山ほどありました。

『いつかは俺も!』

この気持ちだけは負けませんでした!

媒体や広告主によって撮影場所は変わるのですが、基本的には外のスタジオで行ってました。

たまに店内撮影もあります。

タクシーでスタジオに行って到着したら、すぐスタジオ内のテーブルにメイク道具やアイロンを再度準備いたします。

ちなみにこのメイク道具の配置場所も、スタイリストによってくせがあるので先輩アシスタントの方によく教えてもらってました。

スタイリストがヘアとメイクの最終チェックを行うと、いざ撮影の開始です。

さっきまでほわーんとしてたモデルさんなのに、カメラを向けられると別人のような顔をするモデルさん、そしてその撮影しているカメラマン、モニターを観ているスタイリストがめちゃくちゃカッコ良く見えました。

初めての撮影は今でも鳥肌が立つくらいの思い出です。

『いつかは俺も絶対撮影する!!』

撮影する時間はあっという間です。

大体30分以内には終わります。

次に撮影を行う別の美容室の美容師さんがいるので、撮影はそれに合わせて全てスケジュールが決まっています。

もちろん先ほどお話ししたモデルさんの遅れやたまにあるドタキャン(僕の時は無かったからよかったけど、本気で焦ります!!)がある場合は撮影の時間変更なんかもあったりします。

そしてその後スタイリストに反省点などを聞きます。

ヘルプのつき方がダメだった

スタイリング剤が用意されていなかった

モデルやカメラマン、ライターさんへの配慮が足りていなかった

など数多くのダメ出しをいただきます。

撮影後、スタイリストを一緒に食事に行くケースもありますが

飯がのどを通りません!!

説教の後のご飯なんか食べれるもんじゃないです。

初めのうちは。

後々は慣れて、怒られても食べてましたけど。w

撮影の日は大体朝5時とか6時に起きて何も食べないまま、撮影とかはザラでした。

でも撮影はすごく楽しかったです。

撮影以外に大変で楽しいのはやっぱりセミナーです。

セミナーが多いスタイリストなんかは月に何回もいろんなところ(国内、海外問わず)に一緒に行けます。(ちょっとした旅行で楽しい)

僕が当時付いていたスタイリストもセミナーが多いスタイリストでしたので、そのセミナーに一緒に同行していき勉強します。

セミナーは1日だけで終わるものや、前泊といってセミナーの前日に前入り(都内から遠い所だとこのケースほとんど)して、メーカー、ディーラーさんとの打ち合わせをかねて食事をします。

そしてホテルで泊まって朝からセミナーの準備って感じ。

後泊もあって当日にセミナー会場に行って、セミナーが終わったらそのまま食事してホテルに泊まって次の日帰るケースもあります。

セミナーはある程度スキルがあるアシスタントではないと同行できません!

それはなぜか?

それは、アシスタントも技術やトークをセミナーに来ている美容師さん向けに解説を行います。

今までセミナーを聴く側だった人間(美容師)が2年後にはセミナーで人様にお話をするようになってるんです。

(もちろん話すと言っても一言、二言。アシスタントとはどんなものかと言ったお話。ですが今後まさか僕もこのような状況になるとは思ってもいませんでしたがその話は後ほど)

人様に話すのは緊張します。

まさに心臓が飛び出しそうな勢い。

セミナーは全体で約2時間くらい行います。

カットやカラー、撮影などその時のニーズに合わせたセミナーを行ってます。

当時のAFLOATはモテ髪サロンで超有名サロンでしたのでセミナーの依頼もモテ髪スタイルの作り方や撮影方法などが圧倒的に多かったです。

セミナーも撮影同様、終わったらスタイリストに今日はどうでしたかと聞きます。

もちろんほとんど褒められることはありません!

大体怒られます!w

泣きそうになるくらい怒られた時もありました。

メンタルかなり強くなりました。

あざっす!w

あとはヘアショーとかもいろいろありました。

アシスタントだけでヘアショーをやったりもしました。

確か渋谷のクラブです。

みんなといろいろ話し合いながらどう言うコンセプトで行うか?ヘアは?衣装は?

なんて考えている時間がとても楽しかった。

とりあえず、有名サロンのアシスタントは超大変です。

基本は朝6時半起きでそのまま8時30分までを目安に出勤します。

朝の練習を行い、掃除、昼飯、朝礼、そして12時30分営業スタート!

それからほとんどノンストップでチーム内のスタイリストのシャンプー、ブロー、カラー、パーマなどのアシスタント業務。

1日約200名のお客様が帰られたら9時半からチームミーティング。

その時にあった出来事、良い事、悪いことなどを話します。

たまにめちゃくちゃ怒られることがありました。

これを僕らは通称『激シメ』と呼んでました。

今やったらパワハラやん!!っていうことも多かったですが、まぁ10年前のお話なので時効ですかね。w

そんな激シメが嫌で辞めちゃう子ももちろんいました。

ですが僕は長男です。(おいおい、どっかで聞いたセリフだなぁw)

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負けてたまるかという気持ちで逆境に燃えました!

チームミーティングが終わったらすぐ練習です。

ウィッグでカットする人、モデルを入れてカットする人など様々です。

そして練習が終わって帰宅するのが12時、家に着く頃にはもはや1時前です。

そして僕が絶対に行っていた事は、どんなに遅くてもお風呂の湯船の中には毎日欠かさず入る事。

シャワーだけでは全然疲れが取れなかったので。

あと歩きすぎか当時は靴の底がかなりボロボロになりました。

店も広かったからかなり歩いてましたから。

そして気になるアシスタントの食事は基本カップラーメンやカップ焼きそば!

たまに自分で昼飯を作っているアシスタントもいました。(意識高いw)

僕は時間を優先したので作ったりはあまりしませんでした。

今考えたら不健康な食べ物ばかりで生活してましたね。

あっ、でもお米や缶詰は実家から送ってもらっていたのでそこはかなり助かりました。

あと、お恥ずかしいですがたまに親から仕送りも頂いてました。

ですが、本当にお金無かったんです。

当時のお給料が約15万。

そこから家賃が5万、その他携帯や光熱費の支払いが3万、食費に2,3万。

手元に残るお金なんかほとんど無かったです。

東京に上京するならこの固定費は覚悟した方が良いです。

いい場所、条件ほど家賃は高い。

そして寝るのが2時や3時前、そして起きるのが朝の6時半の生活をかれこれ3年ほどしてました。

そしてお店には練習会と試験日があります。

練習会は毎週土曜に、そして試験日は木曜か金曜の朝に行われてました。

ちなみにカリキュラムは接客、接遇から始まって、シャンプー、カラー、パーマ、ブロー、スタイリング、メイク、カットなど細かく分けて約50項目ありました。

今はもっと減っていますが、当時は数の多さに吐き気しかしませんでした。

ですが、この途方もないレースに参加したからには逃れられません。

勝つまでには!!

そして月日が流れてこの時がきました。

afloat-f移転!

当時働いたお店は今の大文字の『AFLOAT』ではなく小文字の『afloat-f』でした。

そのafloatが建物の契約で無くなる時だったのです。

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これはafloat-fで撮った最後の一枚。

そしてこの時銀座に新しいお店が出来ます。

それが『AFLOAT JAPAN』

そして僕は青山にあった姉妹店の『Xel-Ha』に移動となりました。

そしてここでまたafloat-f同様アシスタント業務を繰り返していきます。

Xel-Haに行ってからはインカムを持つアシスタントリーダー的なポジションにまで成長しました。

そして新しく入ってきた後輩もたくさんできました。

この時僕がついていたスタイリストは撮影やセミナーが多くて、僕自身初の中国北京のセミナーに同行させていただきました。

北京には、僕とスタイリストさんが二人で行き現地の美容師さんにAFLOATのテクニックを教えるというものでした。

そこでは僕も実際に北京の美容師さんにカットを教える機会もありました。

セミナーは約5日間行われました。

日中はセミナーを行い、夜は向こうのライターさんと一緒に食事をしてその後ホテルで過ごす。

僕は一人ホテルをこっそり抜け出してクラブに行ってました。

北京のクラブ楽しかったですね。

そしてセミナーも無事最終日を迎えれました。

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その時の集合写真です。

その後、元々スタイリストである程度の基礎は出来ていたのと、毎日の練習のおかげか50個あったカリキュラム表をどんどんクリアしていき、最終チェックのモデルさん100人カットをクリア。

3年ちょっとの月日が流れてようやくAFLOATのスタイリストになることができました。

そして

ここからはアシスタント時代では考えもしなかった事が起こってきます。

当時27歳の7月でした。

AFLOATのスタイリストデビューしたその後

気持ちはめちゃくちゃ明るかったです!

何たって表参道の有名サロンでスタイリストに慣れたのですから!

前に勤めていたお店や、セミナーを一緒に行ってのちに独立された上司からもお花も頂きました。

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『よし!やってやるぞ!俺の時代や!!』

みたいな気持ちでいました!

デビューしてからは今までアシスタント時代から来てくれていたモデルさんや、友人がおめでとうという気持ちで何人ものお客様が来店いただきました。

本当に嬉しかったです。

そしてデビューして初めて僕自身の撮影が入りました!

それが『女性自身』のCCクリームを使ったメイク方法と言う撮影内容。

基本的に撮影を行う前には美容師(僕)とライターさんで打ち合わせをいたします。

撮影の日にち、撮影の時間、場所、そして雑誌の構成などを打ち合わせいたします。

こちら側(サロンで)モデルさんを用意したり、雑誌側がモデルさんを用意してくれたりと様々です。

そして撮影当日。

まだデビューしたての僕はアシスタントをつけないで一人でスタジオに入ります。

そしてモデルさんも入ってきて、準備に取り掛かります。

今回は僕がモデルさんのヘアを作って、その後メイクをしながらと同時に、カメラマンさんが撮影を行ってくれる流れ。

撮影は無事終了。

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このような感じで掲載されました。

もちろん嬉しかったです。

その後、いくつかの撮影をこなして行くと同時に、AFLOATのHPに掲載する様の作品撮りもどんどんしていきました。

そして美容師になったなら一度は当時やりたかったマイベストの撮影依頼が何と僕にきました!

当時マイベストの撮影をされていたスタイリストの先輩のヘルプに行ったことがきっかけで、ライターさんが僕にお願いしてみたいとの事でした。

ライターさんとモデルの打ち合わせを行い、いざ撮影当日。

そして出来上がったのがこちら。


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こうやってマイベストに名前が載った事がすごい嬉しかったです。

やっと表参道の有名な美容師さんと肩を並べたかのような感じに慣れました。

当時の夢が叶いました。

『いつかは俺も雑誌やヘアカタログの撮影をする!』

僕の夢の一つが叶った瞬間。

当時28歳。デビューして1年目の暑い夏でした。

夢が叶ったらまた新しい悩みが出てくる

撮影はすごく楽しかったのですが、問題は他にもありました。

そう、サロンワークでの売り上げです。

と同時に考えがまだまだ甘かったんです。

有名サロンに入ってスタイリストになって雑誌やヘアカタログの撮影をすれば、お客様はいっぱい来るに違いない!って思ってました。

ですが現実は違いました。

そこはトップサロン。

弱肉強食とでも言いましょうか。

やはり強い人(雑誌など数多くやっていて有名な人)は売り上げを伸ばしていきますが、弱い人(デビューしたての若造)にはお客様はなかなかつきません。

そしてフリー(指名無し)のお客様もデビューしたての僕には回ってこないで少し上の先輩スタイリストに周るシステムでしたので、新規のお客様に接する事すらできない状況でした。

そしてこの頃から徐々にお客様も美容室(ネームバリュー)ではなく美容師(個人の独自性)を重視してきたんだろうなぁと思います。

いくら有名な美容室で一人前のスタイリストになったからといっても僕の事を知らなかったら来てもらえませんし、指名して頂けるわけがない!

だったらまずは初心に戻って足を使ってお客様を探すしかない!

という事でモデルハントの再開です。

表参道エリア以外にも、渋谷、池袋、六本木など人が集まる場所に行って、できるだけ多くの方に声をかけました。

クラブ、バー、街中、駅前など人が集まるところには時間があれば必ずいって声をかけて自分の名刺を渡して、連絡先を交換しての繰り返し。

ですが、声をかけたら怪しい勧誘や変な人と勘違いされてシカト。

運よく連絡先を交換してもその後連絡が取れない、連絡が取れても実際お客様として来ないなんてのは、もうザラの話。

毎月の売り上げが下がって行く不安、お客様がこない不安、同期に売り上げが負けている不安。

いろんな不安が降り注いできました。

そして実際にスタイリストになってからも給料は少し上がった程度。

これでは全然よくねーじゃん!

そんな中モデルハントも継続しながら新しい事を始めようと考えます。

それがtwitterとFacebookのSNSです。

SNSと言う言葉が出てきたのもちょうどこの頃、facebookは今では当たり前のツールですが当時はまだ出たばかり。

Twitterは前からあって元々アシスタント時代から登録はしていたのですが、なかなか美容の練習で忙しくて手が出ていなかったので置き去りにしていた状態。

ですが、何でもやってみる気持ちで再開。

それと同時期にアメブロの記事を書いてました。

(今はアメブロは辞めて自分のオフィシャルブログをやってます)

ツイッターは相互フォローと言う形で、とりあえず片っ端からフォロワーを増やしていき、Facebookは僕の得意な技術やAFLOATのNEWSを流す、そしてアメブロでは普段の出来事などを記事に書いてました。

この時、SNSやブログなどで文章を書く事に楽しさを感じた時でした。

当時のGoogleのアルゴリズム的に検索順位で上にいきやすかったからか、ブログが面白かったのかw

アメブロのPV数は上がってきました。

けど、PV数は上がってもなかなかお客様の数は比例しません。

少しは新規のお客様が増えたのですが、まだ最低売り上げには達成しない。

そう、美容師が目指す一つの基準値が指名売り上げ100万円を超える事です。

恥ずかしながらデビュー当時の指名売り上げは60万ほどで、100万には達成しませんでした。

まだ何か変えないといけない!

そんな風に営業後、外で風に当たりながら考え事をしていると一人の先輩スタイリストがこう言います。

先輩『田中、メンズスタイルやってみたら?』

俺『えっ?メンズっすか?』

先輩『そう、メンズスタイルってAFLOATのホームページでも全然やってないじゃん』

(この頃AFLOATのオフィシャルホームページ上はレディーススタイルしか無かった状態。レディーススタイルが全部で1万スタイル以上ある中でメンズスタイルががほぼ0。もちろんホットペッパービューティ上にもAFLOATはメンズスタイルはほぼ掲載していない状態。)

先輩『メンズが当たれば売上アップも狙えるんじゃない?』

俺『そうか!ありがとうございます。やってみます!!』

即答だった!

当時は本当に売り上げに悩んでいた。

何か少しすっきり、そんな気持ちに慣れた気がした。

28歳。少し肌寒い時期でした。

ここからAFLOATにメンズの伝説を作り上げる

んんん、、、?

ここで僕は悩みます。

アドバイスをいただいたは良いけどメンズスタイルってどうやって作るの?

そう、モテ髪で有名なAFLOATは主に女性のお客様ばっかりだったので掲載しているスタイルも女性のスタイルばっかり。

そんな中メンズスタイルを誰に聞いたら良いかわかんない状態。

しかし他の美容室ではメンズスタイルが上手い美容師さんがいっぱいいました。

そうか!

同じように作れば良いじゃん!!w

気持ちは超前向きです!

ですが他の美容師さんが撮ったスタイルをそのままパクるのは犯罪です。

なので片っ端からイケメンであろう方にモデルハントとSNS(当時はTwitterが主流)ハントが始まります。

街でイケメンを探し、Twitterでイケメンモデルを探してとりあえずスタイルの数が欲しかったので街中での声かけと、SNSを合わせて100人以上の方に連絡しました。

あとは女性のサロンモデルさんの彼氏がサロモというパターンで紹介もしていただきました。

そのおかげか、数多くのモデルさんが見つかりました。

もうその時は必死でした。

とりあえず一人目。

始めてのメンズ作品撮り。

モデルさんをシャンプーを行い、カットして、ドライヤーで乾かしてアイロンでセットしていきます。

そしてバック紙を貼って、ライトを使い明るさを調整して自分の一眼レフカメラ(今でも使っているcanon 6D)で撮影。

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うまくできているのか不安な感じでした。

出来上がりの写真を見て出来上がりは。

うん、いい感じかな?

そんな感じで朝撮影、土日の夜も撮影。

多い日は2本(2人)撮ったりもしました。

そして夜、家に帰ってはメンズカットの本を自分で買って見て勉強、YouTubeでメンズのスタイリングなどの動画みて勉強して研究しました。

撮影、ヘアスタイルセレクト、スタイルのチェック、ホットペッパーに掲載する文章のチェック、掲載、勉強、モデル探し、撮影の繰り返しを約1ヶ月。

撮影を始めた月は1ヶ月で18人撮影しました。

サロンワークを行い、撮影を行ってクタクタでした。

そして撮影のギャラも、もちろん無料ではありません。

大体モデルさん1人につき3千円から5千円ほど。

なので当然お金がなくなってきます。

ですのでスタイリストになってからも贅沢はほとんどせずに、給料を撮影のギャラに回してました。

その後、撮影を毎月続けていき、ホットペッパービューティにスタイルをアップ(スタイル掲載)を繰り返していたらあることが起こります。

それがメンズの人気スタイルランキングの全国トップ20位以内に僕のスタイルが入ってきたんです。

当時ホットペッパーのメンズスタイル総掲載数は少なかったのですが、それでも確か4万スタイルは掲載されていました。

(現在は30万スタイルを超えています。)

これはもちろんAFLOAT史上初の出来事となります。

素直に喜びました!

そこから僕の人生はかなり変わります!

ホットペッパーのランキングは毎週木曜日の朝9時に変わります。

僕は毎週の木曜日の朝が待ちきれないようになってました。

それもそのはず。

20位以内に入ったメンズスタイルがどんどんランクが上昇しているんです。

18位だったのが次の週には15位その次の週は11位。

トップ10入りは目前です。

そして次の週。

奇跡がおきました。

その次の週はなんとグーンと伸びて6位!

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一気に上がりました。

そして4位、3位

そしてついに2位まで上がりました!

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これと同時に、他に掲載していたメンズスタイルもトップ20位入りを果たしていきます。

そして気づけば、メンズランキング上位トップ20に僕の作ったヘアスタイルが5スタイルも掲載され、メンズのミディアム関東ランキングでは1位を取る快挙に。

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そしてこのあたりから男性のお客様がめちゃくちゃ増えました!

理由はもちろん、ホットペッパーのメンズスタイルの全国ランキング上位をほとんど僕のスタイルが掲載されていたのでみなさん興味を持たれて、僕に切って欲しいとの事です。

今まで、1日に1人か2人しか指名のお客様が居なかったのにこのランキングのおかげで一気に5,6人も担当することになりました。

ですが、ここで大変なのはデビューしたてのスタイリストはアシスタントに手伝ってもらえないこと。

なのでシャンプーからカット、アフターシャンプー、ドライ、スタイリングと全て僕が行っていきます。

当然忙しかったです。

手も荒れました。

でも弱音を吐いていてはいけません!

なってったって僕は長男なので!!w

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こんな調子で月日が流れ指名のお客様もどんどん増えてきて毎月きてくれるお客様も多くなってきました。

もちろん指名売上も上がったのと同時に、お給料も増えました。

そしてこの時ありがたいことに、僕自身の単独取材がきたのです。

AFLOATでメンズをやり始めたきっかけやお客様に対して何をしているのかなど、ライターさんに細かくお話させていただきました。

その時の記事がこちらです。

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これから僕の中でまた新しいことがおきます。

メンズスタイルのヘアカタログの撮影依頼が入ったのです。

今までレディースしかほとんど行っていなかったAFLOATでメンズ撮影が入ったのは当時のみんなびっくりしました。

僕はモデルを見つけました。

そして撮影当日。

僕なりの得意ヘアを作って、カメラを撮る前に最終チェック。

何度も細かくモニターでチェックを行いながら撮影を進めていきます。

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そして撮影は無事終了。

その後も『男髪ヘアカタログ』『メンズプレッピー』『男のモテ髪』『ファインボーイ』などのヘアカタログや雑誌を担当させていただきました。

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営業、撮影と忙しいけど楽しい日々を過ごしてました。

ですが、まだまだトップスタイリストまでは遠かったのです。

そしてAFLOATでも新店舗の計画が動き始めます。

それが今でも人気のAFLOAT RUVUAです。

そして、この新宿店に行きたいスタッフの募集が行われました。

悩みました。

東京の表参道に憧れて東京に出てきたのに、新宿か。

でもこれはもしかしたらチャンスかも!?

そんな直感を信じて僕は新宿店の希望を出しました。

その結果、僕は表参道から新宿に出来る新店舗AFLOAT RUVUAに行く事が決まります。

当時30歳、雪が降る季節でした。

有名サロンが集まる表参道から未開拓エリア新宿へ

お店ができる前(スケルトン)はこのようなコンクリートや鉄板が剥き出しの状態です。

当時新宿東口の目の前という最高の物件でした。もちろん家賃は恐ろしく高いです。

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と同時にあるテレビ番組から新宿店のお店が出来るまでの経緯を撮らせて放送させて欲しいとの依頼がきました。

そのテレビではなんでもお店の代表をターゲットにして、そのお店が出来るまでのオープンまでを撮影して放送するというものでした。

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そして放送日、AFLOAT RUVUAが特集されます。

夜の番組でしたのでそんなに見ていないだろうと思っていたのですが、スタッフのSNSの拡散によって大反響を呼びました!

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お店も無事にオープンしまして、テレビの影響なのかネットや電話予約がすごいことになりました。

もちろん僕自身テレビの影響は大きかったです。

男性のお客様も御来店いただいて、『愛知からきました。』

『北海道から来ました』『大阪から出張で来たので切りに来ました。』

など数多くのお客様が押し寄せました。

テレビの力はすごいと改めて関心しました。

ですが、TVの影響も1ヶ月はすると少しずつ勢いは落ちてきます。

そして、僕自身も勤務エリアが表参道から新宿に変わりましたので、表参道で登録していたホットペッパービューティーのメンズスタイルを全て削除して、また新しく新宿エリアでの登録となりました。

なのでホットペッパービューティーの掲載を一からやり直しとなりました。

めげずに、また一からコツコツとメンズのスタイル撮影、スタイル掲載、SNS活用、そしてブログ(ここからアメブロからワードプレスを使った僕個人のオフィシャルサイトを運用することになってきます。)を全力で行っていきました。

半年くらい経った時でしょうか?

この時始めての出来事が起こります。

そう音楽アーティストのPV撮影用ヘアメイクの仕事が来ました。

担当させていただいたアーティストさん(名前はニアと言いました)は韓国の男性の方です。

ですが日本がお上手なので言葉は大丈夫でした。

そしてそのままPV撮影がスタート!

と言ってもPV前のヘアメイクが忙しいだけでPV中はほとんどのんびり〜

とはいきませんでした!

今回のPV撮影はダンスシーンがめちゃくちゃ多いので汗をかきます。

なのでその都度、メイクやヘアのよれを直します。

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そしてダンスで踊るので髪も崩れます。

崩れないようにスプレーをしてましたが、さすがに動きまくると崩れます。

その度に直します。

なので一瞬も気を抜けない状況でした。

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撮影は朝からヘアメイクを初めて撮影が終わったのは夜中の12時を回っていました。

そしてこちらが出来上がったスタイルです。

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当時はCDも出されていて韓国ファンの方に人気が出てました。

そしてある日もう一つ、始まった事が起こります。

それが

僕単独メンズセミナーです!!

来たーーーー!!でした。

めちゃくちゃ喜んだのと同時に少し不安がありました!

だって、、、

単独でのセミナーは初だから。

今までは先輩のセミナーに付いていって、少し話したりする程度だったのに僕一人で何をしようか、ものすごく考えました。

しかもセミナーの時間は2時間ノンストップとの事

まずはモデル抑えです。

それと同時にセミナーの構成を考えていきます。

自己紹介

カットのテクニックのコツ

デモンストレーション

今までほくが行ってきた経緯

などを考えていきます。

そしてモデルも見つかりいざ当日。

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初めてのセミナーは恵比寿のスタジオでのメンズカット&パーマセミナーでした。

僕の前には30人ほどの美容師さんがずらりといらっしゃいます。

まずは自己紹介。

そして、すぐにモデルさんのカットに移ります。

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セミナー時間は2時間。

みなさん食い入るように見てくれましたので、こちらとしてもすごくやりやすかったのです。

セミナー内容は、僕なりの考えで考案したメンズカットの理論。

メンズカットのテクニックや撮影のポイント。

そしてこのセミナーをやるまでにあたったAFLOATでの成長経緯などを話してセミナーは無事に終了いたしました。

セミナーを行うとは売上以外の給料とは別でセミナー報酬もいただけたのでとても嬉しいお仕事でした。

この一件が終わってから、メンズセミナーの数は増えました。

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東京以外にも名古屋で200名の美容師さんに向けたメンズセミナーや

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AFLOAT代表宮村と一緒に行った福岡セミナー。

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そして念願の地元の滋賀でセミナーを出来た事はとても嬉しかったです。

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外部の仕事はどんどん増えました。

セミナー以外にも数多くの業界誌(PREPPY、 Men's PREPPY、NEXT LEADERなど )に取り上げられたりしました。

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他にもヘアカタログの撮影や数多くのヘアショー、メーカーさんとの商品(シャンプーやカラー剤など)開発。

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そして1番の思い出はやはり1週間の間、憧れていたAFLOAT代表の宮村さんと一緒に行ったNYでの撮影は最高でした。

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そして僕自身がこのAFLOATで1番輝いた瞬間。

それがHot Pepper Beauty AWARDのメンズスタイルにノミネートされた事です。

このアワードコンテストは、全国の美容師さんが得意なヘアスタイルを応募してその後、審査員の方が厳選してスタイル審査を行われます。

その中からまずメンズとレディースで50スタイルずつ選出されます。

僕はこの応募のあと

なんと2スタイルも選出されました!

そして選ばれたスタイルは読者投票と最終審査員の方によってランキングがつけられます。

そして結果は

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見事5位に入賞!

惜しくも1位には慣れませんでしたが、もう一つのヘアスタイルも14位と見事20位以内に入ることができました。

後日ホットペッパーにも大きく載せていただけました。

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この時は本当に嬉しくて、死ぬほどメンズスタイルを撮影していた甲斐があったと心から思いました。

努力は裏切らない!そんな気持ちでした。

ですがサロン営業も忙しく、サロン以外の仕事も多くなってきた中で僕の中でまた新しい悩みが出ます。

売り上げが止まってしまいました。

コンスタントに150万以上は売り上げていましたが、200万の壁が超えられない現状に悩みました。

そして何より、目標であったAFLOATのトップスタイリストは3ヶ月連続で指名売り上げ350万円を達成しなければ行けなかったのです。

毎日、毎日悩んでました。

このままずっと売り上げを追いかけてトップスタイリストまで頑張るのか

それともこの状態だが独立しようか、、

僕には夢がいくつかあります。

そのうちの一つが独立です。

自分の城を持ちたいと言うのが幼い頃からの夢でした。

絶対自分の美容室を作ってみせる!!

毎日、

毎日、

月日だけが流れていくだけでした。

よし、

決めた!

トップスタイリストになるのを諦めて、AFLOATを辞めよう!

僕が働いていたAFLOAT RUVUAの代表にその旨を言いました。

『辞めさせていただきます!』

代表は驚いたような感じでしたが、何か反応が知ってましたよ。との顔でした。

当時みんな僕がAFLOATを辞める事に、薄々気づいていたのかもしれません。

当時33歳。12月24日のクリスマスイブでした。

辞める宣言後!退社まで引継ぎや手続きなどをします

その後すぐ正月となり、実家にも帰りました。

実家に帰って親に会社を辞める事を話しました。

その時はやはり息子が有名店を辞められる事が少し寂しかったのかと思います。

実家の親は、一般の方でも買える雑誌やヘアカタログに僕が写っていると、近所の人に自慢したくなる典型的な関西のおかんって存在ですので。

そして正月休みも終わり、東京に戻ります。

僕の退社日が決定しました。

3月末までです。

なのでこれから本格的に動いていきます。

まずはお客様の引継ぎ。

引継ぎとは、僕が担当していたお客様を違うスタイリストに紹介をする事です。

引継ぎの次は、撮影やセミナーでお世話になった方々に挨拶まわりです。

これらが終わると、次は働く場所を探します。

え?

と思いますよね。

働く場所?

そう。

僕はこの時、自分で独立する前に他のサロンを借りてフリーランスという形で働こうと決めました。

このフリーランス美容師と言うのは場所(ミラーレンタルとか面貸しサロン今だったらシェアサロンと言います。)を月額や時間で使った分だけをお店に払うと言うシステムで、払った金額の差額分が僕の取り分(すなわち給料)となります。

また、このフリーランスのメリットは何と言っても初期費用がかからずに、一席のオーナーとして独立出来る事です。

もちろんデメリットもあります。

なので僕はこのフリーランス美容師として一度働いて、お金を更に貯めながらお金やいろんな事を勉強をしようと考えました。

今はネットを使えばいっぱいシェアサロンや面貸しサロンなど出てきます。

その他には価格が安い委託業務サロンもあったり、AFLOATで働いていた当時は全然知らなかった情報が書いてました。(まぁ、楽しく働いている内は他のサロン情報なんかあまり見ないので。)

そこで良さげなサロンを見つけます。

それが今現在働いている『felice』になります。

サロン見学に行き、オーナーと面談を行い4月からフリーランス美容師として働く事で契約完了。

1月、2月と月日は流れて辞める3月末。

嬉しい事がおきました。

僕の送別会をAFLOAT全体で祝ってくれるとの事でした。

まぁ僕だけではなく、もう一人辞める先輩がいたので一緒に送別会をしていただけるとの事でした。

ですがみんなから最後励ましていただける事は嬉しい事です。

送別会当日、AFLOATの先輩、後輩、事務の方などの全スタッフ、各メーカー様、ディーラー様、元々AFLOATで活躍されて今は他のサロンの代表をされている方、そしてお世話になったAFLOATグループ代表宮村が集まる中、送別会はスタートしました。

田舎者の美容師が表参道の有名サロンAFLOATに入れた事。

そこで悔しい時、悲しい時、そして楽しい時間を共に乗り越えられた数多くの仲間や先輩、後輩に出会えた事。

27歳でスタイリストになって、たくさんのお客様に出会えた事。

夢だった数多くの雑誌やヘアカタの撮影、そして単独でのセミナーができた事。

ホットペッパービューティアワードを受賞した事。

尊敬する代表、宮村とNYで一緒に仕事ができた事。

全てを思い出して、最後の宮村のスピーチの際。

僕は号泣してました。

あぁ、これでAFLOATでの人生が終わったんだなぁって。

2018年3月31日。

荷物を全てまとめて、最後にスタッフのみんなに挨拶をして無事AFLOATを退社しました。

過去最高指名売り上げ190万

平均単価11,000円

月平均指名数180名

男女比率7:3

AFLOATでメンズスタイルのパイオニアとして雑誌、ヘアカタログの撮影をこなし、単独で200名満席のメンズセミナーを行う。

2017年ホットペッパービューティアワードで15000スタイルの中からベスト5位と14位のダブル受賞。

この時、僕の長くて短かった9年間のAFLOAT人生が幕をおりました。

なんかモヤモヤしていた気持ちがすごくすっきりしました。

そしてここから、僕のフリーランス美容師としての新しいストーリーが始まります。






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