期待していなかったオーストラリアのラフマニノフが東京で起こした奇跡
シドニーのラフマニノフ?
誰にでも、忘れ得ない名演・名ライブがあるだろう。
僕にとってのその一つは、1996年11月2日土曜日、渋谷のオーチャードホールで観た、
シドニー交響楽団の来日公演だ。
クラシック音楽の本場であるヨーロッパからは遠く離れたオーストラリアのオーケストラ。
指揮者は、スター指揮者とは言い難い、いぶし銀のイメージがあるエド・デ・ワールト(オランダ人)。
しかも、メインの曲目はロシアの作曲家ラフマニノフによる交響曲第2番。
大変に失礼ながら、食指の動く公演とは思えなかった。
しかし、大学オーケストラに所属していた僕は、同月下旬に同曲の本番を控えていた。
また、当時は来日オーケストラの楽器搬入やステージセッティングのアルバイトをしており、この公演にも仕事で入っていた。
そのため、僕は、この公演をステージ横から軽い気持ちで観てみたのだった。
予想だにしないピュアな名演
感動で涙が止まらなかった。
一緒に聴いていた同僚(通称ムーミン)がなんとか声を振り絞り「せ、先輩、俺、感動してるんすけど…」と小声で言ってきたが、
僕は返事すらできず、ただ落涙を堪えつつ、頷くので精一杯だった。
この曲の名演として知られてきたのが、アンドレ・プレヴィン指揮による演奏だ。
というのも、この曲は演奏時間が1時間に及ぶ長大曲であり、作曲直後はあまり良い評価を得ることがなく、カット版が演奏されるなど受難の歴史があった。
しかし、真価を見たプレヴィンがオリジナル版を自身のレパートリーとし、普及演奏に努めたことで、名曲としての価値を得たのだ。
それゆえ、プレヴィン版の録音はこの曲の入門であり決定版だ。
演奏は、プレヴィンの愛がとにかく全面に溢れる。
情熱的で表現は大きく、確信を持って前へ前へと進行するものだ。
一方、エド・デ・ワールトの演奏は、強引さや恣意性が一切皆無で、とにかく無理がなかった。
自然な姿が見えるというか、曲自体がリラックスして、自然に語りかけてくるように感じた。
勿論プレヴィンを否定するわけでは全くなく、どちらも素晴らしい宝物のような演奏だが、エド・デ・ワールトが生み出した美しさは聴いたことのない至上のものだった。
シドニー交響楽団も本当に上手かった。
弦はシルクのようになめらかで、木管は切々と歌い、金管はふくよかによく響く。
各奏者が奏でる極上の音を、名将エド・デ・ワールトが、最高の状態にブレンドしていく。
ウィーン・フィルの輝かしさ、ベルリン・フィルのしなやかな強さなどとも異なる、エド・デ・ワールトとシドニー響が生み出したピュアで豊かなサウンドに僕は平衡感覚を失うような衝撃を受けた。
中でもその空気感まで昨日のことのようにはっきりと覚えているのが、3楽章の絶頂とその後の静寂。
天井の高いオーチャードホールから音が降りてきて、またジワリと熱や思いが広がって浮いくようだった。
息をするのも躊躇われるあまりの美しさだった。
エド・デ・ワールトの引退と再会
それから27年経った2024年。
エド・デ・ワールト氏が引退したというニュースを読んだ。82歳という高齢ゆえ、やむを得ないだろうが、寂しさを感じ、また、偉業に感謝した。
そして、ふと、あの日の名演をまた聴きたくなったのだ。
「録画か録音がYouTubeにあったりしないか?」と検索したら、あっさりと録音が出てきた。
しかも、CDをUPしたものだった。そうか、CD化されていたのか。
そして、amazon musicやspotifyにもあった。そんな近くにあったなんて。
四半世紀を超えて、再びあの日の演奏を聴く。
やはり良いね。
となるとこのCD、欲しいな。
ということで、中古をamazonで発見。2週間ほどかかり、イギリスから無事に届いた。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/147270077/picture_pc_a9334e3f5a0cac770f489e29c7ffb9bc.jpg?width=1200)
音が良く、感慨もひとしお。
自分が聴いたライブがCD化されたことは何度かあるが、本当に感動した公演がこうして残ることは嬉しいことだ。
僕はこの演奏をいつまでも聴き続けるだろう。
CD
https://amzn.to/3xLHaGZ
※NHKで録音されたものをABC(Australian Broadcasting Corplation)がリリースしたもののよう
amazon music
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spotify
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