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Episode #5 ナショナルシティ

 スーパーラボからいよいよ今週末に出版される新写真集「Things and seen」に入っている写真たちのエピソードを綴る第5回目はナショナルシティについて。

 去年、2019年の三月に訪れたサンディエゴの大きな目的は映画「TOTEM Song for home」のUCSFでの上映会だった。UCSFの教授を務める宮尾大輔さんが、その時アジア映画について教えていた流れで、日本人が撮った台湾のドキュメンタリー映画として僕の映画を見てもらえる機会を設けてくれた。

 上映会は夕方からなので、昼間はレイモンド・チャンドラーのお墓詣りに行こうということになった。途中幾度となくNational Cityというサインをフリーウェイで見ていて、どこかで見たことあるなぁと思っていた。検索していて思い出したのが、昔買ったJohn Baldessariの作品集「National City」だった。ちょうどサンディエゴに来る前に実家の浜松で本を整理していて見つけた本だったので、記憶に新しかったのだ。それは1995年にサンディエゴ現代美術館で開かれた個展のカタログで、当時どこかの書店で表紙がとても気に入って買ったのを覚えている。

 John BaldessariはNational Cityの出身で、UCSD が出来たばかりの時のアートの先生もやっていたことがわかった。しかもジェリー(Episode#3で書いたジェローム・ローゼンバーグ氏)と同い年で、ジェリーもボルデッサリのことをよく知っていた。これで一気にナショナルシティに対する興味が湧いてきた。ただのフリーウェイ沿いの通り過ぎていく町だと思っていたら、ボルデッサリの故郷だったとは。何より、彼が故郷の町をタイトルに大きな個展を開いていることにも興味が湧いた。

 ナショナルシティ市は人口6万人弱の比較的小さな市だが、カリフォルニアでの歴史はかなり古い。そこに流れるSweet Water Riverがあることから、ディグエーニョ族、カマイと呼ばれるインディアンが住む土地だった。スペイン領になってから、スペイン人が馬を育てるのに最適な土地と考えて「王の牧場」Rancho de la Rayと呼ばれて牧場が作られていた。メキシコ領になってから、王様の土地から国民の土地にかわり、「ナショナルランチ」という名前に変わった。そして1868年にサンフランシスコから来たデベロッパーがその土地を買って都市計画を始め、エリアで初の道路や線路が引かれ、「ナショナルシティ」に変わったということだ。

 フリーウェイを降りてしばらくナショナルシティ・ブルバードを走っていくと、突然両脇が自動車屋街に入る。1.6キロに及ぶ道の両脇をカーディーラーが隙間なく並んでいる。1906年に町で最初の車が走り始めた頃、その町に初のディーラーができて車を売り始めた。1955年にはカリフォルニアの車カルチャーの中心の場所となり、名前を「マイル・オブ・カーズ」と名付けたという。ピカピカの新車がズラーっと並ぶ姿はなんだか20世紀の町という感じを際立たせている。町の他の部分は未だバルデッサリの60年代のナショナルシティの写真を彷彿とさせるくらい変化がゆっくりのように見える。


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写真家の若木信吾です。 写真に関するあれこれです。写真家たちのインタビューや、ちょっとした技術的なこと、僕の周辺で起こっていること、それら…

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