良いやつは総じて、相手を尊敬する。マウンティングは時間の無駄
私は、相手からも自分もマウンティングに疲れた。
マウンティングというのは、相手のことを見積もって、精神的に見下ろす、いや見下すことである。
自分の方が強いぞ、偉いぞ、結果出してるぞ、と自己主張をし、勝ち誇るのだ。
私はこれに疲れた。
上手く行ってなかったそんな時に、旧友と話すとマウンティングの”マ”の字も出てこない会話が続いた。何て気持ちが良いんだろうと。
そこで、マウンティングについて書いていきます。
共通の話題、有益な情報交換、これらを気持ちよく展開できる人ってどれだけいますか?
年齢が増せば増すほどに、こういう人は減ってくる。
何故なら、20歳を超えてくると利害がある出会いが殆どだからだ。
「この人といっしょにいると、、、」
・仕事に繋がるか
・利用できそうか
・側にいると特になるか
・すごい人かどうか
こういうことを頭が気にしだすのだ。
何故、20歳を超えてくると利害がある出会いになるのか
近頃、流行っている。
みんなが言うマウンティングとは...
私の解釈は「自分が位置する社会ランクを元に、自分より社会ランクが低いとされる相手の社会ランク付けを求められていないのに勝手に行い、見下すこと。」だ。
これには、お互いを尊重する姿勢が欠けており、楽しく有りません。
年齢を増すごとに、
勝負事が増え、公式戦が増えるから、
騙してでも、卑怯な手を使ってでも、自分の立場を強くしたいのだ。
社会ランクって何だろうか
・体重
・顔
・収入
・友達の数
・身につけている物
・食事
・SNSの反応具合
・仕事
・恋愛パートナーの質...etc
これらの項目に点数をつけて、ランク付けをしているのだろう。
「貴方より、私のほうが、上にいるわよ。おほほほほww」
てな感じに。
スポーツに置き換えてみよう。そんな暇あったら、練習しろ
私はサッカーをずっとやってきた。
高校は全国大会常連校、リーグ戦連覇の強豪に在籍をしていた。
ですが、レギュラーでもなければ、ベンチ外で活躍もしていないのが私だ。
だから、
人より早く、グラウンドに行く、残る、練習後に、練習する、帰っても筋トレする、休みの日に筋トレする。
沢山したなぁ。。。
これはある意味、チームでのランクを上げて、
試合に出るため、活躍するためだ。
そして、それはチームのためになる。チームプレイだった。
何故なら、下手な私が上手くなると、練習の質も、
チーム力も、競争力が相乗効果で上がる。
最初は馬鹿にされていたが、真剣にやってたら、
笑う人もいなくなった。
私は、
「人の目なんか気にせず、ひたすらボールと、自分と向き合った。」
マウンティングする人たちは、自分と向き合っているのか?
人の不幸にあれこれ言う人達。
下だけを見て、上を見ようとしない人たち。
自分の半径、10cmしか考えられず、
市町区村、都道府県、国の視座で考えられない人たち。
自分の至らなさ、やらないといけないことに向き合っているのか?
そして、
「手を足を動かしているのか?」
他人の評価を下げても、
貴方の評価が上がった訳じゃない。
良いやつは総じて、相手を尊敬する。
「いいね。」
「すごいじゃん。」
「変わったね。」
「さすがだね。」
心から言える人って、やっぱり相手を尊敬している。
まずは、自分から言ってみよう。
マウンティングによる自己防衛は卑怯で、時間の無駄だ。
相手に求める前に、自分から言おう。
そういう人たちが自然と囲んでくれる。
駄目なら、隣町に行こう。
県をまたごう、地域を越えよう、国を越えよう。
せっかく、この世に生を受けて、
日本に生まれて、これだけ恵まれ過ぎている中で、
相手を悪く言って、自分の安心感を作る卑怯な真似は、時間の無駄だ。