京都御所一般公開で見学ルートをウォーキングし日本史探訪
はじめに
京都御所は、2016年から
一般公開されるようになりました。
阪急丸太町駅より阪急今出川駅の方が
京都御所には近いです。
荷物チェックがありますが、ガイド料は
無料です。
京都御所に入ると、一面砂利道ですので
靴が真っ白くなるのを
覚悟しなければならないです。
さて、『なのにあなたは京都へ行くの』は
チェリッシュの歌ですが
「京都の町はそれほどいいのこの私の
愛よりも」という詞があります。
それだけ京都は、良くも悪くも
心魅かれる所だと思います。
京都は隈なく知っていますが
まだ京都御所は数回しか
行ったことがないです。
実際、歴史的舞台になった場所でもあります。
それ故にジックリ散策を楽しんで
過去の激動の日本史に思いを馳せ、
思索に耽ってみたいものです。
京都御所の鬼門について
日本は、北東の方角即ち十二支の丑寅の
方角が鬼門とされています。
鬼門とは鬼すなわち悪霊が出入りする
縁起の悪い方角のことです。
京都御所の鬼門は猿ヶ辻です。
築地塀の瓦屋根の下に烏帽子を被り、
御幣を担いだ猿の彫刻が置かれています。
この猿は比叡山の守護神である
日吉大社(滋賀県大津市)の使者(神猿)です。
鬼門である北東からの鬼の侵入を
防ぐ魔除けの役割をしているのです。
猿ヶ辻の変
幕末に猿ヶ辻で大事件が発生しました。
1863年に尊王攘夷派の公家である
姉小路公知が暗殺されたのです。
いわゆる猿ヶ辻の変と言われます。
容疑者として薩摩藩士の田中新兵衛が
捕縛されますが、自害したために
真相は不明なままです。
文久の政変
この猿ヶ辻の変は、文久の政変の
引き金になったのです。
猿ヶ辻の変からわずか3ヶ月後の
八月十八日に公武合体派が長州藩を
京都から追放した事件が文久の政変
即ち八月十八日の政変です。
京都御苑の南側の門である堺町御門を
会津藩と薩摩藩の藩士らで固められて、
警護担当だった長州藩士が門内に
一歩も入れなかったのです。
こうして、長州藩士は堺町御門の
警護の役を解任され、
京都から追放されたのです。
禁門の変
京都御所で発生した代表的な事件は、
禁門の変です。
1864年7月に長州藩は公武合体派の会津藩と
桑名藩兵士と皇居西側の蛤御門で
激突したのです。
実に京都から追放された翌年の事です。
長州藩は中立売御門を突破して
御所内に乱入したのです。
しかしながら乾御門を固めていた
薩摩藩の逆襲で形勢逆転し、
長州藩は敗北したのです。
この戦いで長州藩は、御所に砲撃した事で
朝敵という汚名を受けたのでした。
御所の門は、禁裏にある門ということで
禁門と呼ばれていたのです。
禁門の変は、また蛤御門の変とも
言われます。
蛤御門は京都御苑の九門のうちの一つで
烏丸通りに面しています。
最後に
歴史的にみると、御所は禁裏とも
呼ばれて、立ち入り禁止で
みだりに中には入れなかったのです。
それだけに、2016年に一般公開されたのは
京都御所の全容がつかめるので、
とても興味深いです。
無料ガイド付きということですので、
是非探訪してみたいスポットです。
散策に要する時間は、2時間もあれば
十分だと思われます。
京都御所探訪と同時に日本史探訪も
出来るので魅力的だと思います。