ツールド沖縄 2023 100km オープン
ツールド沖縄 コースプロフィール
最大の勝負所は普久川の登り。17〜20分弱の登り。斜度の変化があり、4.0〜5倍弱を繰り返すイメージ。
その先も登りが何箇所かあり、総合力が問われるコース。
今シーズン最後の集大成として挑んだ大会。自転車を始めてからずっと憧れてた大会にやっと出ることが出来た。作戦という作戦はないが、自分の役割は最後まで生き残りスプリント勝負に持ち込むことだった。
湾岸サイクリング・ユナイテッド
100km参加者 玉木 宇井 福山 井東
準備編
本当は去年参加予定だったが直前の練習中に落車をしてしまい頬骨を骨折し参加を断念。スッキリしないシーズンオフとなってしまった。
翌年の沖縄に向けて練習を再開。前期の最大の戦績はニセコで年代別4位。
10月頃にこのままでは沖縄に身体が上がりきらないと判断して、藁にもすがる思いで香取コーチ(クソコーチ)のインターバルトレーニングを依頼。その後、ジャパンカップで7位を取りまずまずの調子だと感じる。
しかし、ジャパンカップ以降から急に調子が悪くなり、練習会においてもツキイチか千切れるばかりを繰り返してメンタル的に病む。最大の勝負所の普久川すら越えられないんじゃないかとひたすら不安になる。
その都度、クソコーチから「練習してるし強くなってるから自信持て。インターバルを信じろ」と言われる。実績がとも合わないので不安は積もる一方だった。
自転車はいつも通り変更なく。THE BASEにてメンテナンスを依頼して完璧な状態で向かう。
沖縄いり
金曜日の早朝便で、ニセコと同じほぼメンバーと一緒に沖縄へ出発。初日は「道の駅 ゆいゆい」に車を止めて、普久川と奥の登りを試走。
奥の登りはスタート直後ということもあり、例年ペースで登るとのこと。斜度はキツイが距離は短いのでポジションを落とさないようにすることを意識するように確認。
普久川は序盤が緩斜面で、途中途中で斜度が上がるインターバルみたいなイメージだった。ここはひたすら耐えて耐えて致命的な距離を空けない様にするしないと感じた。
コース試走後は宿にチェックインし就寝。
この宿がとても広くて自炊、入浴もできてすごくよかった。
レース前日
本当は受付しつつ、ゴール前のコースを試走する予定だったが、あいにくの悪天候のため、受付後に車でコースをフル試走。
普久川越えてからの学校坂やカヌチャの登り等、非常に厳しい振い落としのコースだと実感。
普久川で全滅も十分あり得る状況だった。
ただでさえ緊張してるところに追い打ちをくらいネガティブモードへ。
実は100km組の精神的支柱で、司令塔の福山さんが体調不良でDNFとなり沖縄に来てなかった。いつもなら気軽に相談出来るがそれが出来ないことが意外にも響いた。
結局LINEで全て相談して解決。いつも本当に助かってます。
初参加のため、トップチューブにチェックすべき選手と登りのスタート距離を記載。
そのまま就寝したかったがまさかの0時ごろに目が覚めそのまま1時間ほど寝れずに過ごす。やっぱり緊張はしてた。
レース当日
あいくの雨。気温も上がらない予報のため、アイウェアとウェアをどうするか最後まで迷う。
とりあえず手荷物に入れれるだけ防寒具を突っ込み「道の駅 ゆいゆい」へ。
ここでバイクを預けてバスでスタート地点へ移動。この移動中に少し寝れて頭がスッキリ出来たのはよかった。
スタート地点でも雨は降ったり止んだり。悩みに悩んでレインジェル&長袖インナーで走ることを決意。アイウェアもkabutoの調光に変更。
使用機材
フレーム BRIDGESTONE RP9
ホイール WH9270-C50-TL
タイヤ corsa pro 26C 4.4/4.6 bar
ハンドル PRO VIBE AERO SUPERLIGHT 380mm
サドル prologo SCRATCH M5 PAS CPC NACK
ギア比 54-40×11-34
ヘルメット OGK KABUTO AERO-R2
ウェア サンボルト
アイウェア OGK KABUTO 122PH
シード権がないため早々に整列。アップ無しで不安だったが後方スタートよりかはかなり楽なはずと言い聞かせる。
整列が始まり、シード権の呼び出しがあるのかと思ったら「あと3分でスタートします」とシード権の呼び出しがなかった。シード権の人たちが慌てて前に来てたが、来れなかった人も居たのではないだろうか…
自分としては幸いにもかなり前方にてスタート。例年、最初の登り「奥の登り」ではそこまでかからないので前をキープしようとする。
しかし、予想に反して、先頭が一気に5倍以上でかけたのか縦に伸び始める。いきなり辛い強度だったが最悪、ここで千切れてレース終わってしまう可能性があるため必死にくらいつく。
なんとか耐えて辺戸岬の平坦路に入る。辺戸岬の1個目のトンネルが予想以上に暗くて少し焦った…目の対応が完全に間に合ってなかった。
1人チームメイトが見つからず、ちぎれた可能性があるので集団のペースを上げすぎないようにコントロール。普久川の手前で3人揃い一安心。
最大の勝負所「普久川の登り」には前方で突入。普久川の緩斜面で予想通りハイペースになる。ドラフティングを精一杯使い食らいつく。
途中、斜度上がったところで集団が崩壊。先頭30人弱に絞られる。自分は最後尾にくらいつくのが精一杯だった。
KOM手前で千切れてしまうが、下りで追いつくを繰り返す。肝心の勝負所を越えられたので、ジャパンカップ同様「今日は行けるかもしれない」とメンタルを強く持ち食らいつく。
普久川の次の勝負所「学校坂」にて追いつけない距離が開いてしまう。
何度も下りで限界まで踏むが距離を詰めることが出来なかった…
そこから女子国際の先頭に抜かれて、ちらほら千切れ組が集まる。
このグルぺットが非常に上手く機能して、出せる最大のペースを維持できた。
自分もこのグルぺットなら追いつかれずゴールに行けると確信して、声掛けを頻回にする。幸いにもみんな強調する意識を持ってくれて、雰囲気のいいグルぺットになった。声出しすぎて途中から掠れ声になってしまった。先頭からの千切れ組を回収しながら残り距離をこなす。
羽地ダムで4人のグルペットだったが、登りで集団が崩壊。順位を1つでも上にしようと登りを少しキツめのペースで登る。ここでハムストリングが攣りかけ、低体温で集中力も下がってきたため、追いカフェインを投与。これが意外と効果あった。
登りきり手前で飛び出して1人になる。下りをある程度のリスクを覚悟しつつも、絶対に転んでなるものかと決意を持って進む。
後ろにちらほら選手が見えたので最後の直線も緩めずに踏み続ける。
ハムストリングも内転筋も大腿四頭筋も全て攣っていたがハンドルにしがみつき、泣きながら「痛い…痛い…」を連呼し、ただゴールだけを見て踏み続けた。
そのまま後ろに追いつかれることなくゴール。
感覚的には30位代かなと思ったがまさかの19位だった。
来年のシード権は獲得出来た。しかし、勝負に絡むことが出来たのは前半のみで反省点の多いレースとなった。
レース後
コーチや周囲に結果を報告。初参加で20位以内は普通にすごいとみんな優しく励ましてくれた。
妻も「ずっと毎日ちゃんと練習してたの見てたよ。どんなに仕事が大変でも着替えて練習するのは誰にでも出来ることじゃないよ。本当に頑張ってた。それだけですごいし来年も一緒に頑張ろう。」と言ってくれた。
実業団に入って、これだけの練習時間と大会に出場出来たのは間違いなく妻の理解とサポートがあってこそ。ニセコの時もそうだがいい報告が出来なくて本当に申し訳ない気持ちだった。それでも「一緒に」の一言が、疲れ切ってもなお緊張してる身体をほぐす様に染み渡った感じだった。
出場できなかった福山さんにも「沖縄はニセコより断然上のレベルとコースで初出場。ってことを合わせたらミラクルみたいなリザルトやぞー。でも20切りは驚いたわ。流石よやっぱ。コレは十分いい報告の部類よ。」と言ってもらえた。
体調不良とはいえ出場できない悔しさがある中で、遠方からサポートをしてくれたことに感謝しかなかった。
各方面の知り合いから、応援のメッセージを個別でいただけたりして本当に嬉しかった。
反省点
当たり前だが、体重管理と登りの強化は必須。ローラーでインターバルトレーニングをして、実走をLSDメインにしてたが、それを今後は坂のリピート練習などにして、反復して坂を登るテクニックの習得をしていこうと思う。
スタート前にカフェイン220mgで追いカフェインで220mg入れたため、翌日の昼間までカフェイン酔いをしてまともに思考が働かなかった。常に乗り物酔いしてる感じですごく辛かった。レース前に一回試しでやるべきだった。
1年間の総括
今年は安全にシーズンを終えることが出来た。
実業団を初めてから、たくさんの知り合いが出来て、繋がりができた。そこから、憧れである「ツールド沖縄」に参加することがついに叶った。しかも最高のチームを組んで。
結果としては不甲斐ないものとなってしまったが、初参加で19位。これはひとえに皆さんの応援やご指導あってのことです。この場を借りて感謝申し上げます。
ホビーチームの「shimogaku」を結成し、その繋がりから湾岸サイクリング・ユナイテッドに加入して、ロードレースの楽しさを知ることが出来た。
湾岸サイクリング・ユナイテッドの先輩方は、ロードレースのいろはも知らない自分に対しても、コツや戦い方を丁寧に指導してくださいました。上半期だけでしたがE1で先輩方と一緒に走れたのは嬉しかったです。
実業団レースにおいても、チーム戦をしてて「いつかあそこに混ざりたい。あんな走りがしたい。」と思えた。うまくいかないことが多かったけど、その都度、先輩方がアドバイスをくれたおかげでここまで強くなれました。
後半から、藁にもすがる思いで始めた、インターバルトレーニングも、何度か吐いたり、気を失ったりしてメガネが吹っ飛ぶ事件もあったが、これがなければ絶対に「普久川の登り」は越えられなかったと身に染みて感じた。クソコーチの名は伊達ではなかった。
ゴール直後に出た言葉が「くっそーいけると思ったのに。来年こそ…」だったのが自分でも驚いた。いつもならネガティブな発言しかないところが、もうすでに無意識に来年を見据えていたのが内心驚いた。
終わってみればすごく悔しい気持ちもあるが、全てを賭けて、全てを出し尽くしても届かなかった。
しかし、自分の限界は越えられた気がする。最大の敵は自分自身。それを倒すことが出来た。伸び代はまだあるんだと知ることが出来た。これが最大の収穫だったかもしれない。
とても小さな一歩ではあるが、これを積み重ねていくことで、いつか無理だと思ったところに届くかもしれない。
ロードレースは苦しく辛いことばかりかもしれない。1人では絶対に耐えられないが、このチームメイトが居れば乗り越えていける気がする。
この1年間たくさんの方から応援、サポートをいただきまして本当に嬉しかったです。心から感謝申し上げます。
ニセコのレポートを見て「感動した」と言ってくださる方も居て、ブログを始めてよかったと思ってます。
今回はニセコのような感動的な展開はありませんでしたが、最後まで読んでくださりありがとうございます。悔しい気持ちは確実に胸の中にあり、これを書きながら涙を堪えてます。
また来シーズンも「24時間365日勤務の男性看護師の実業団&ラインレースへの挑戦」としてトレーニングを続け、実業団とラインレースを頑張っていきます!
湾岸サイクリング・ユナイテッド 井東