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自己紹介⑥転職活動

こんにちは、田島です。会社を辞めるに至ったのは、結局自身の心身のバランスが崩れたことに他ならないのですが、転職活動自体は結構前からしていたんです。正直、決まるまでは何の手ごたえもない厳しい時間でしたけどね。


やりたいこともなければスキルもない

大学時代に就活きっかけでうつ病を患った私ですけど、とにかく「やりたい仕事なんてないわ」が根底にあるのでその中でもなんとか自分でもやってやろうと思えるものから選ぼうとするので選択肢がとにかく狭い。

次の仕事は土日休みがいいなとか、正月は休めたらいいなとか、そういうのはありましたけど、会社の規模とか場所なんかはまあそれに比べれば条件と言えるほどこだわってもいなかったなと思います。

また、当時30歳に手が掛かろうとしていた私が果たして何をアピールできるのだろうという致命的なスキルのなさもあり、本当に困っていました。

おそらくは同じ業界の中で転職できればそれが最も手っ取り早かったとは思うのですが、業界それ自体から離れたいと思っていたこともあり商業施設で10年近く販促やテナント対応をしていたというニッチすぎる経験は、もはや何も経験がない大卒の子を採る方が明らかにいいだろうと思えるくらいのものだった気がします。

もちろん、サラリーマンとしての「お作法」みたいなものは少し身に着いたような気はしましたが…。

諦めきれなかった大学職員

Twitterで「大学職員はホワイトらしい」というツイートがあり、10余年大学職員の求人を見続けていた私としては今さら感が強すぎて目まいがしたんですけど、まあ安定して経営をされている大学についてはご指摘の通りなのではないかと思います。

特に昨春にはとある都内の私大職員で、年収が800万円を超えるような求人が出ていたので結構注目があったんじゃないかなあと思います。私も一応募集要項は確認しました…

とにかく私自身は大学生活が「振り返るとすごく楽しい場所だった」という甘すぎる記憶があるため、もしかしたらそういう場所に赴けば自分自身も少しくらいは楽しく働けるのではないか?と下心のみで活動していたんです。

ただ求人が出ている大学は正直に言うと「どこにあるんだ…?」みたいな学校も多く、なかなかよく見極めないと痛い目を見るかもしれないなという印象もありましたね。ちょうど留学生を不正に大量に受け入れて問題になった大学なんかも求人を出していたタイミングで、面接を辞退したこともありました。

その当時スキルもなく出身でもない大学に試験で乗り込むにあたり、ほとんど丸腰で挑んでいたわけなんですけど、まあ8割方書類が通らなかったのでむしろ面接に呼んでいただけるだけでかなりミラクルだった気がします。

その中でも都内の私立医科大学、千葉の外国語系の私大には面接でおじゃますることになり、特に前者はありがたいことに最終面接までこぎつけたので結構頑張れたなと思いました(当時はここまで来て落ちるのか…と思いましたけど)

あと今の会社に入る直前に受けていたのが横浜市内の私立高校で、そこも最終面接に呼んでもらえましたね。

いずれの学校も、とんでもない数のライバルと一緒に学科試験受けて、面接の控室にもいかにも仕事ができそうなビジネスパーソンが男女問わずたくさん待っている光景は今でも思い出しますよ。まあ私は正直根詰めて準備したかと言われると…なので落ちて当然だったのかもしれません。

初めての内定

憧れだけで大学職員、学校職員に絞った転職活動をしていたところだったのですが、転機になったのはまあ自分の休職ですよね。もう職場に戻れる状態ではなかったので、とにかく新しい仕事を探す必要がありました。

ちなみに先の私立高校の選考に落ちたことで、結構区切りがついたような気がしましたね。あ、オレ学校職員は無理なんだなー、と。

結構そのころ無茶な進め方をしていて、全てにおいて「適応障害で休職していることを隠しながら」の生活をしていました。1歳の娘を義理の実家に連れて行っても仕事の話はしませんでしたし、それこそ平日の面接も余裕で転職活動をしたり、仕事がどうなるかわからないのに注文住宅の打ち合わせをしたりしていました。

私立高校の採用に落ちたのが2020年の年明けだったので、なんとか年度内にまとめないとさすがに、と焦りも出始めていましたね。半年ほど家にいたので今そのころの写真を見ると顔つきがぼんやりしていてちょっと良くない感じがします。

それから目星をつけた企業、具体的にはいま働いている会社も含めて3つなんですがそのすべてから内定が出ました。

うち2社は前職に関係する分野だったこともあり、いわゆる一般的な転職活動の需要と供給で「経験」を見てくれたのかなと思う部分はあります。ただ是が非でも就職しないといけないという状況だったからこそ選考を受けたという背景もあり、出来ることなら抜け出したいと思っていたので優先順位は低かったんですよね。

前職に関係する、という意味ではこのあと件の世界的な流行病の影響があったので、結局はそちらに行かなくてよかったな思う部分もありますが、内容自体は結構「キャリア形成としてはスムーズ」な道筋ではあったんですよ。ひとつは地方商業施設の再生事業、もうひとつは商業施設内テナントの従業員教育(接客研修等)をする会社で、なんか想像がつきやすいじゃないですか。

しかしながら、やっぱり新しいこともやってみたいという気持ちがあったので、現在の仕事、学童保育の運営をする仕事に就いたんですよね。

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