それはこの顔のせいじゃないか
こんにちは、田島です。気づけば娘も4歳になりましたが私ども夫婦の手から離れていくのは中学生や高校生になる頃でしょうから、なかなか我々が自分一人の時間を持つのは、無理とは言わないまでも難しいだろうなと思っている日々です。
自分と対話するってそんなに特別なことじゃない
僕自身はこれまでの人生、まあ端的に言えば「陰キャ」なわけでして、例えばいつも多くの友達に囲まれているとか学園祭でヒーローだとかバレンタインには下駄箱にラブレターがとかそういう青春時代ではなかったわけです。
すると何が起こるかというと「ひとりで過ごす時間がある、または多い」ことで「自分と対話する時間が多めに発生する」ということなんです。
多感な時期に「自分がどうしたいか」「自分がどう思っているか、考えているか」を自分で把握するということはその後に続く人生の指針を自分自身で作ることが出来る、または自分を把握するクセをつけることが出来るという意味では結構重要だと思うんですけどね、まあ陰キャしぐさかもしれませんが。
僕は大学時代は通学に片道2時間掛けていて、人によれば移動に時間を掛けるなんてとなるかもしれませんが、電車に乗ってる時間がそれこそ自分と対話する時間にちょうどよかったわけです。ああでもないこうでもない、いろんなことを頭の中で整理していたんだと思います。
対話の時間をつくる
大学を卒業してから相も変わらず整理整頓の壁打ちをしていたわけですけど(彼女がいないので自由時間しかなかった)、結構仕事って頭の中を侵食してくるじゃないですか、休みの日だろうと寝る時間だろうと気になって仕方ない時があったりする。
仕事とプライベートは地続きで~みたいなことが心底嫌いな性分なので、仕事に着ていく服は休みの日は着たくないとか職場のある駅には近寄らないとかしていたんですよね。
すると自由時間があってもあんまり頭の中が整頓されなくなってきて、結構それがストレスだったりしていたわけです。だからそのどよんとした日常から離れたくなり、朝思い立ってちょっと松島見てくるかとか大阪でたこ焼き食ってくるかとか、ふらっと善光寺とか行っていたんです。
なんかで読んだんですけど人間は「明日からがんばるぞ!」みたいな自分の心の中での取り決めだけでは、結局行動や思考を変えるのはかなり難しいみたいなんですよね。何かを変えたいときは仕事を変えたり、場所を変えたり、自分の周りにある状況を変えるのがよいらしいのです。
そういった意味では僕が独身の頃にひとり沖縄ひとり京都ひとり広島ひとり札幌ひとり高松していたのは、自分の中のどよんとした空気を変えたくて、そのために自分と対話する環境を作ろうと、日常と違う場所に赴いていたのだろうと思います。
あ、問題から距離を置きたいとき物理的な距離って重要だよなと以前から思っていたんですけど、僕の場合はこれかもしれないです。問題から物理的な距離を置く。
「ナルシストっていうか…」に対するお答えがこちら
僕はここ数か月、土日に日の出に合わせて七里ヶ浜へドライブに行っているんですけど、これをインスタストーリーにアップするわけじゃないですか。
すると妻から「かっこつけてるというかナルシズム云々というか」みたいなお言葉をいただくわけですね。
いや確かにそうかもしれないですよね、ひとりで朝海に行って空が白んでお日様昇ってそれをコーヒー飲みながら見てるわけですから、かっこつけてないわけないんです。けど、その時間を設定することで、頭の中整理してるんですよ、電車に乗って学校通ってた時みたいに。
僕のチャーミングフェイスのせいでかっこつけてる痛いおじさんみたいに見えるかもしれませんが、いい男がやってたら称賛されると思いますよ。
もうおじさんなので陰キャでも海見させてください。
*ロナウジーニョが現役当時「僕はハンサムじゃないけどチャーミングなんだ」とインタビューで話していたので人生のスローガンにしてる。