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勇気のノート 4000ページの軌跡 “続編”からの“完結編”


そら 確かにほめてもらったら悪い気は
しない。
けれど僕は「お前、えらそ~にほめてくるけど
どうしたいん?僕の何がわかってほめてるん?」
と感じる時が多かった。
信頼関係と自分の頑張った感が関係している。

よって、まずはその人としっかり付き合って
からやないと何も始まらんな と思っている。
特に身近な人とは。

育ってきた環境も大きく関係していると思う。
自分の子供の事を他人に、人前でほめちぎるのは
恥ずかしい事と心の奥底に叩きこまれている。

親から怒られて当たり前
先輩からイジメられて当たり前
先生からも怒られて当たり前
そんな中で、怒られながらでも、たまに
認めてもらったりしたら嬉しいやんか。

怒られるのには慣れてるけど
褒められるのには慣れてないだけかな(苦笑)


奴の話しに戻します


人とすれ違っても知らん顔して横を通り過ぎる
もちろんあいさつなんてしない
ありがとう ごめんなさい 言わない
おそらく、こっちから話しかけなければ
丸一日喋らないと思う

ローソンはどこにある 何件ある
セブンはどこにある
どこそこに 何がある の話しは好きやから
そんな時だけはペラペラ喋りやがる。

仕事の話しなんて、一切自分からは
してきた事がない。他の奴らも。
これも、知的障害を持つ人の特徴でよく聞くが
自分の興味ある事には、凄い能力を発揮する
らしいが、それが仕事じゃなかったら……
ねっ そらさっぱりアカンのですわ。

でも、それにも関わらず、毎日仕事に来て
健常者と一緒に働いているのは凄い事。
しかも、作業所ではなく一般の企業に。

出会った頃に彼等に話した事がある。
「あんな、君らが仕事に来ると言う事は
健常者の中へ来るという事なんやで
最初から優しいしてもらえるなんて
思って来るなよ。
バカにされるし差別もあるかもしれん
僕も本気でバカにするかもしれんで
覚悟しときや。 アカン時はアカンって言うで。
でもな、自分の思いで何かしてくれた時とか
ええ時はええって本気で言うからな。
お互いチョットずつでも歩み寄れたら最高やな」
と。

勇気のノートをやってる奴は最初、神戸の
なんかそういう就職支援センターの先生に
連れられてやって来た。
「彼は簡単な作業しかできないですけど」って。
何で神戸なん?龍野市の人間やのに?
って、そっちに食いついてしまった。

今更ではあるが、兵庫県たつの市にある
一般中小企業で共に働く我々なのであります。
その工場内で出た不良品を再生原料にする
リサイクルの仕事を健常者二人と
知的障害者三人でやっています。

「簡単な作業なんてないで
君にも一台機械を使って仕事してもらえる
ようになってもらうからな!」
って奴との共存生活が始まった。
今では自分で機械を使って仕事している。
凄い奴です。
やればできるを実現してくれました。

アカンやん。
こういう、ええ話を書くと
この後が書きにくいやん
悪い方を書きたいのに

ついでに、もうちょっと書いときます。

この文とか文字が書けるのも
勇気のノートで字を書く練習が出来てるから。
毎日コツコツと続ける事も学ばせてもらった。

そして、講演も二回程させてもらった。
人前で話すのは好きな分野なので
僕にとっては最高の舞台だった。
今の所マックス300人までは自信がある。

そういう講演とかも、なるべく実話で
話すけど、どうしても言い方に気を使うし
悪い方ばっかりを話す事もできないので
どっちかというと、そっちを書きたいと
思っていた。


もとい



ただ、やはり気がきかないとか
注意不足とか、ただなんとなくとかはあるから
そこは、健常者がフォローする事になるのだが。

とりあえずは一人でやれている。。

作業中でも、ここはこういうふうにして とか
ここはこういう事があるから
これに気を付けて とか話しをするが


こっちの話しなんかほとんど聞かない。
こっちを見ない。目玉はよそ向いてる

他人に背中ばっかり向ける奴なのた。

やれやれ…………。あ~しんど。

これも、その障害やから?
だから、しゃーないん?
へぇ~都合のええ病気なこって~って
自問自答が巻き起こる。
どこが弱者やねんって。

3人いるのだが、それぞれが言いたい事を
言うだけ。
まとまらない。
基本、他人の話しは聞かない。
もしくは、聞いてるフリ。
同じハンデを持つ者同士、仲良くなる気配もない。

歩みよる気『ゼロ』
永遠に(の)『零』やないか~い

泣きたいのはこっちじゃ!
って何回言った事か。

「上村よ 一人で抱えこまんと 相談せぇよ
色んな人巻きこんでな」って社長まで。
他人事に聞こえた。


実際、皆逃げる
そらそーやわな
それの方が正解かもしれん

って思った事もある。


何かにつけて、やっぱまともじゃないって
感じるし
「おたく、気が違ってらっしゃいませんか?」
って言いたくなるし
いや、言うたし
本人は悪気はないし
それで普通って思ってる。
から、尚更たち悪いって思う。

家では、どんな顔して過ごしてるんやろ?
って思う。
どんな会話しているんやろうって。

実際、支援学校卒業して入社してきた奴の
お母さんから、それこそノートでのやりとりを
希望された事もある。

丁重に断らせてもらった。
なるべく本人が話しをして、やりとりができる
ように家でも指導してやって下さいと。
何でもかんでもお母さんお母さん。
してくれるお母さんがいてくれる時は
ええけど、もしおらんようになったら
どうするん?
やっぱそこは心を鬼にして厳しい優しさで
接して欲しい。
全国のお母さん
ひとつヨロシクお願いします。


自分達の言う事は、全てこっちは「うんうん」
うなずいて聞かなあかん。
途中に、それはなんでなん?とかを返すと
そこからは話しがよそよそしくなるというか
続かなくなる。
で、こっちの言う事は、
都合のええ事は聞くけど、それ以外は
聞かない。聞いてるフリはできる。
簡単に、わかりやすく、短く話すのが
ポイントなのだ。
会話するだけでも、
どんだけ手を差しのべなあかんのじゃ

そこにはない物の事とかは
その物がある場所に行って、見える状態で
話す方が、わかりやすい。
これは、ゴロは捕れるけど
フライは捕れないのと何か関係があるのかも
しれない。

何かの参考になるかもしれんと
耳の聞こえない女性映画監督 今村彩子さん
の「スタートライン」という映画を
皆で見に行った。宝塚まで。
当日、監督さんも来ておられたので
少しお話ができて元気をもらった。

生まれつき両手両足のない
佐野あみさんの講演も聞かせてもらった。
舞台にあがらせてもらって
目の前で色紙にサインして下さった。
車椅子のすそからのぞく
わずかにある左足の親指と人差し指で
ペンを使って書いてくれた。
感動した。
食事も実際食べてる所を見せてくれた。
この時思った。
我々の行儀悪い は、この人には
全く通用しないな と。
神の指に見えた。
後光が差しているように見えた。

車椅子ユーザーの岸田ひろみさんの
講演も聞きに行かせてもらった。
同じく皆で。

ダウン症の息子 良太君の話しを
聞かせてもらった。
かぶる所が一杯あったので話がよくわかった。

娘の奈美さんからは「死にたいんやったら
死んでもええよ」って言われて
気が楽になったと。
生きたい自分に気づけた と。
ウンウンうなずきながら聞かせてもらった。

その奈美さんが主宰する「キナリ杯」という
大会に去年出会わせてもらって
このNOTEの事も知った。
軽い気持ちで参加させてもらったのだが
結果は大撃沈やったから悔しかった。
今年も勝負したるで と思い一年かけて
作品作ったのに、それすらももう撃沈しよう
としている。
でもせっかく書いたから出そうと思ってる。

その講演終わってから
岸田さんの本を買わせてもらい
サインまでしてもらった。
いつでも笑顔で
みたいな事を書いてもらった。
一番苦手なやつやんって思った。

佐野あみさんにも
絆、助け合い、笑顔、ありがとう
と書かれた。

あかんねん
笑顔はしっくりせぇへんねん
笑い声の方がしっくりくるんじゃ~


どうも岸田家には
ボコボコにやられている(笑)


まぁ そんなこんなで
かれこれ15年 共存生活している。

たいていこんな感じの ビフォー

ちよっと笑顔も見えてきた アフター

おまけにみんなで記念撮影



まだまだこれからも
この共存生活は続くのだ。

あ~しんど。 終わります。
読んでいただいて
ありがとう ございます。
失礼します。











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