【共通テーマ】夏

この記事はスパンキーメンバー数人が同時に同じテーマで記事を更新するというコラボ企画に参加した記事になります。
今回のテーマは『夏』で、参加者は『ひこーき雲佐藤』『センサールマン山崎仕事人』『ボーカル』『単細胞』『クリスピーチーズ市川』『純情ポパイ昨今まれに見る山田』の6人です。

「夏の校庭」【小説】
 夏と言われて僕が連想するものと言えば、夏休み中の小学校の校庭だ。空には積乱雲が高くそびえ立ち、校庭には誰の姿も無くただ木立ちや遊具だけがその濃い影を地面に落としている。そしてもちろん、辺りにはあのけたたましいセミの鳴き声が響いている。
 僕は夏休み中のある日、何かの事情があってその校庭を訪れた。おそらく夏休みの宿題に必要な教材か何かを教室に置き忘れていたのだろう。その帰りに、ちょっと校庭を覗いて見たのだと思う。誰もいない夏休み中の校庭というものが、どんな感じがするものなのか確かめてみたかったのだ。案の定、校庭には誰の姿も無く、ただまぶしい夏の太陽に焼かれた砂があり、セミの泣き声が聞こえるばかりだった。僕がそろそろ帰ろうとしたとき、視界の隅に何かが映った。それは校庭の隅にあるベンチだった。プラスチック製の座席が付いた市民球場にあるようなベンチだ。そこに初老の男性が座っていたのだ。それは奇妙な光景だった。小学校の校庭に明らかに部外者と分かる人間が(少なくとも僕の知っている教師や父兄に思い当たる人はいなかった)、ひとりポツンと腰掛けている光景は何かしら不釣り合いな印象を僕に与えた。しかもさらに奇妙なことに、真夏の炎天下だというのにその初老の男は真っ白なスーツの上下を着て手にはステッキまで持っていたのだ。まるでケンタッキー・フライドチキンのカーネルサンダースみたいに。そして頭にはスーツと同じく真っ白な帽子を被っていた。
 小学校の校庭になぜそのような奇妙な人物が腰掛けているのかはよくわからなかったが、僕はあまり関わらない方がいいような気がしたのでそのまま背を向けて帰ろうと思った。しかし何かが僕の意識に引っ掛かった。よく見るとその初老の男は僕に向かって手招きしていたのだ。そしてなぜか僕はそれを無視することが出来なかった。
 近くまで寄って見るとその男は遠目に見たよりも老けて見えた。帽子から覗く髪もまた真っ白で、初老というより老齢に近かった。
「蝉の寿命が1週間というのは嘘だ。」
 唐突にその男性が言った。よく通るはっきりした声だった。僕は一瞬、その男性が誰に向けてその言葉を発しているのか分からなかった。というのも、その男性は真っ直ぐに正面を見据えたまま言葉を発していたからだった。しかしその場には僕とその老人しかおらず、とりあえずそれは僕に向けて発せられた言葉だと解釈するしか無いようだった。
「蝉の寿命が1週間しか無いというのは嘘だ。」
 僕が何と言っていいか分からず黙っていると、もう一度その老人は同じ内容の言葉を繰り返した。
「蝉は地上に出てからも1ヶ月程度は生きる。蝉の寿命が1週間というのは蝉の飼育が難しく、どうしても1、2週間で死なせてしまう子供が多いからだ。全く、子供というのはすぐに飽きるものだからな。と言って君も子供なわけだが。」
 やはり何と言って良いか分からず僕は黙っていた。
「仮に君がこれから1週間しか生きられないとして日々何をして過ごす?」
 今度は明確に僕に向けられた問いだった。しかし急にそんな事を聞かれても答えられるものではなかった。
「よく考えてみなさい。何年も土の中にいて地上に出て生きられるのは1週間しか無いという人生がどんなものなのか。それがどんな心持ちのするものなのか。その1週間で必死に何かを成し遂げるために頑張るも良し、1週間しか無い人生を心の底から楽しむも良し、それはその人自身の捉え方次第だ。しかしだね、あえて言わせてもらうならその1週間を輝かせるために費やされた、土の中での数年間もまた決して無駄なものでは無かったんじゃなかろうか。人生のうちで輝ける時間は短い。しかしその一瞬を輝かせるために費やされた人の目に触れない時間の中にこそ、その人の人間性、もっというなら人生そのものが凝縮されているんじゃなかろうか。君もひとつ、そこのところをよく考えてみてご覧。」
 とても小学生の僕に理解出来る内容とも思えなかったが、一応僕なりに考えてみることにした。その老人の目は今度は真っ直ぐに僕のことを見据えており、そこには呆けてしまったような様子は見て取れなかった。この老人は真剣に僕に問いかけているのだ。僕は目をつぶって真剣に考えてみた。
「セミと人の人生は似ているってこと?」
 ようやく僕が言葉を絞り出したとき、そこにはもう老人の姿はなかった。ただまぶしいばかりの真夏の太陽の光と、けたたましいセミの鳴き声が聞こえるばかりだった。どうして1週間だか1ヶ月だかの命を削るようにして、そんなに必死に鳴かなくてはならないのか。それは大人になった今でも分からない。そのあと僕はなんだかやり場のない気持ちを抱えたまま家に帰り、宿題に手をつける気分にもなれず部屋の中でただボンヤリ過ごしていたように思う。1週間しかない人生がどんな心持ちがするものなのか、その質問の答えを考え続けながら。
 30歳を過ぎた今、僕はものを創ること、ものを書くことを仕事とするため日々真剣にもがき続けている。セミがその命を削って鳴き続けるように。それが一つの成果として実を結ぶかどうかはわからない。それでもなお、声を枯らして鳴き続けている。あるいはまだ、僕の人生は土の中にあるのかも知れないが。
「人の目に触れない時間の中にこそ、その人の人間性、もっというなら人生そのものが凝縮されているんじゃなかろうか。君もひとつ、そこのところをよく考えてみてご覧。」
 あの真夏の小学校の校庭で出会った奇妙な老人の質問の答えを、僕は未だに探して続けている。

#スパンキー共通テーマ


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