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2021.7.21.wed. 誰かの価値にのっかるか、じぶんだけのそれを見つけるか。

当然ながら私は後者である。なんでも価値があるかどうかだけで見てしまうのって、貧しいなあと思う。だから、じぶんだけの「好き」を見つけられたらそれはシアワセで豊かなことだと思う。

「金(ゴールド)」は、一般的にはというか世界的にも共通の価値として認められているのだと思うが、あれだってまだ名前もついていない頃の大昔、はじめに見つけた人は「なんかきれい」ってだけだったんじゃないだろうか。最初から価値があったわけではなくて。

そのうち誰もが「それいいね」「いいね、欲しいな、それ」「こっちの芋と交換しない? いやトウモロコシもつけるよ」っていうふうにだんだん価値が上がってきて、ずっと輝きが変わらないとか、錆びないんだぜとか、そういうことで金は世間一般に信頼のおける価値あるものになった。のかな。

そうすると、はじめの段階に戻って、戻らなくてもいいけど、中にはただ「金が好き」っていう人もいるのではないだろうか。世間の価値で判断するんじゃなく。じぶんの嗜好性として「好き」っていうの。

それは子どもが道で見つけた青い瓶のガラスのかけらとか、あるいはドングリやカマキリの卵とか、セミの抜け殻とかをクッキーの空き缶に大事にしまってるみたいに。そういう感覚で金が好きで、虎屋の箱にしまっておいて、ときどき取りだして眺めては喜んでる。それで予備校時代からの同じような趣味の友だちにだけそっと見せて「ね、すごくきれいでしょ」っていうの。ありえないか。

まあ、ふつー金が欲しい人はただきれいだからではなく「価値がある」と思うから欲しがるわけで、その金を噛んで見せたりもするようだ。しかし、それを手にするには「価値があるための条件」も必要なのではないか。条件を満たしていないのに金だ金だと大騒ぎして手に入れても、本物という気はしない。ただのメッキなんじゃないかとずーっと不安に思ってたりして。それはとても不幸なことだ。

幸い私には、世間の条件などカンケーない。私だけの大切なものは、他人から見たら「なんじゃいアレ」というものかも知れない。大きなお世話だが。あるいは壊れてしまってもう手元にはないが心に残っているものとか。ひとに自慢するようなものでもないし、だいたい見えないし。これだとメッキになりようがないのである。


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