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2021.10.8.fri. ちょっとしたことに感動を覚えるのは、いつもの癖で。

ここに越してきてから6年が過ぎたが、いままででいちばんスッキリと片付いてるんじゃないかなと思い、部屋を見渡してはひとり悦に入っている。じぶんでも呆れるけど、モノは増えているというのに不思議だわ。

それはなぜだろうと考えてみると、じぶんにとって必要ないものがないからだと思う。といっても使えるもの役立つものだけがあるわけではない。むしろ、ヒトから見ればそれ必要? というようなものもかなり目立つ。ダルマさんとかね。でもそれは私にとっての無駄というか余裕というか心の遊び場。だから必要なものなのだ。

それから、この6年間で、この家のサイズに馴染んだということもありそうだ。さんざん家具をあっちへこっちへ動かして、じぶんの行動にあわせ、家具の配置と過ごしやすい空間を求め、腕や脚に痣をつくってきた。
まあ狭いなら狭いなりに、ちゃんとじぶんサイズになってきたってことなのだろう。

昨夜の地震でも、私は二階で寝る態勢のまま本を読んでいたのだが、迷うことなく隣りの部屋の机の下に滑り込んだ。昨日は明かりがついていたから問題なかったけれど、もし真っ暗でも、どのくらい行けば何があるというのがほぼじぶんサイズとして感覚的にわかっているというのは、いざという時に大事だなとつくづく思った。

それで地震にめげず読み終わったのが「『史記』と日本人」(平凡社2011年2月初版)安野光雅・半藤一利・中村愿による司馬遷と『史記』を中心に語られた鼎談。歴史上の人物や戦争、文学など話は多岐にわたり、私にとってはちんぷんかんぷんなこともあれど、この三方のお話はじつに面白かった。うっかり『史記』を読もうかと思ってしまうほどだ。

ローズマリーも感動的に伸びている。そろそろ剪定してあげないと。また友人にローズマリークリームをつくってもらえるかな。



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