2021.7.23.fri. もーそー系アナキスト、現実と向き合う。
まだ7月だというのに、鮮やかなオレンジに色づいて、うちのゴーヤは早くも秋を迎えている。葉っぱもなんかもうカサカサしてきてやる気ないのが見て取れる。やっぱり暑すぎるのかなぁ。
しかし、そんなことを言ったら、その隣に繁るローズマリーは文句も言わずもう5回は厳しい夏を乗り越えている。西日ががんがんあたっても、へっちゃらでガシガシ育っているし、花だって咲かせちゃうし。
ゴーヤの前に育てていたハゴロモジャスミンは元気に育っても夏にはカラカラになってしまう。気の毒で裏に植え直したら、いまは青々と育っている。それからゴーヤと一緒に買ってきた白いベゴニアも、陽に焼かれるだけなら元気に繁っていたのだけれど、土砂降り→カンカン照り→土砂降りをくり返しているうちにしらっちゃけてきて、ぐんにゃり。これはマズイと、裏に避難させた。
もう表はローズマリーだけにして、これ以上被害を出さないよう、植物くんはやめようかと考えているところだ。しかし、夏はこのように厳しいのだから、もう何をしたっておんなじだ、とあきらめてしまうのは嫌だ。もっと何かいいアイデアがないか、またまた悩むことになりそうだ。
内田樹氏もツイッターで書かれていた。「ほんとうのリアリズムは「未来を変えること」をめざします。現実を変えようとする構えのことを「リアリズム」と呼ぶのです。」と。これはまあ、7月18日の県知事選に関する内田氏のツイートなのだけれど、ホレボレとしたので紹介する。「構え」っていうあたりが武道家らしくてカッコイイ! 私はもーそー系ではあるがリアリストでいたいのだ。
「投票しても何も変わらない」とシニカルに口を歪めることが「リアリスティック」だと思っているんでしょうけれど、それは「リアル」の解釈が間違っていますよ。
それはリアリズムじゃなくて「事大主義」というんです。「長いものに巻かれる」という手垢のついた処世術に過ぎません。ほんとうのリアリズムは「未来を変えること」をめざします。現実を変えようとする構えのことを「リアリズム」と呼ぶのです。現実を変えようとしないのはただの無為です。(7.18 内田樹氏のツイートより)