[ネコノス手帳 No.335] 2022.8.28.sun. そこに愛はあるのか。
野菜愛、その延長に果物があって桃愛。
区から送られてきた食料品に絶対的に不足していたものは生鮮品。そりゃそうだろう。日もちが第一だし仕方ないよね。というのも頭ではわかるが、体はめいっぱい拒絶しているんだな。なんてワガママなわたし。
おなじ乾きものなら、乾燥野菜を入れてほしかったなー。といまさらながら強く思う。
そして、缶詰めならば、お腹をこわしたり、風邪をひいたときに必ず登場した桃の缶詰めだろう。さくらももこの本のタイトルにもなってるくらいだ。中味は読んでないけど、病気=桃の缶詰めというのは、長い昭和世代の共通した認識ではないか。
それが、入っていたのはマンゴーの缶詰めだった。マンゴーじたいをどうこう言うつもりはないけれど、なぜ、桃の缶詰めじゃないんだよ、というのは正直な気持ちだ。マンゴー2缶なら、桃1缶のほうがわたしは嬉しい。
だからと言って、べつに桃の缶詰めが好きなわけではない。じゃあ何よ、と言ったら、そこに愛はあるのか、である。「おだいじにね」というメッセージが桃の缶詰めにはあるのだということよ。
マンゴーじゃダメなの。たとえレトルトやインスタント食品ばかりでも、その中にたった一つ、桃の缶詰めがあるだけで「早く良くなってね」というメッセージが含まれるのだ。それがなかったのはじつに残念なことである。
とはいえ、東京都はそれなりの量を送ってくれるだけありがたい。贅沢を言ったら他県の方に申し訳ないな。とも思いながら、生の桃の皮がきれいに剥けたことに満足の日曜日である。