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2021.9.16.thu. そうだ、平田オリザがいたではないか。
世の中に《100円ショップ》ができたとき、まだこれほどデフレではなかったのだろう。こんなに安く売るなんて、いったい現場でつくってる人はマイナスで働いてるんじゃないかしら。私ならつくらないな。と思ったことをはっきり覚えている。
しかしいま、「100均」なんて呼ばれて、種類も膨大ですっかり私たちのまわりに定着しているけれど、当時はもっと「やっすい」感覚だったと思う。前にも書いたけれど、電卓が登場したとき、こんなの出来ちゃって、つくった人はすごいと思うけど、使う私たちはアホウになるな。と思った。小学生の頃だ。プラスチックの容器しかり、ケータイしかり、いちいち思い返せばそういうことの積み重ねでいまの社会が出来上がってるってわけか。
便利とかキレイとかそういう風潮はもういい加減どうにかならないものかなと思う。世間と少しずれて、あえて面倒なことをしたり、不便がいいな、なんて思ってきた私だけれど、当然のように100均だって利用するし、スマホだって持っている。
でも、「便利で快適で清潔な暮らし」って、理想なのかもしれないが、コマーシャルの世界みたいでどうも私は落ち着かない。そういう生活を送っている人がいたとして、災害時、肉体的にだけじゃなく、精神的にまいっちゃうんじゃないかとひとごとながら心配になる。
やっぱり、「生きる力」なんじゃないかなあ。じぶんで考えて工夫して、楽しむっていうのが理想なんだけど。そう思っていたときに、古本屋で見つけたこの本。そうだ、平田オリザがいたではないか。
『下り坂をそろそろと下る』
(平田オリザ著 講談社現代新書 2016)
日本の衰退という現実をはっきりと伝え(それがこのタイトルだ)、その上で各地の文化、教育や産業のユニークで頼もしい取り組みを紹介している。それらに広く携わってきた戯曲作家の平田オリザという人は、顔もちょっと似てるけど、日本の墨子と言われる中村哲氏と通じるところがある(昨日紹介した『墨子よみがえる』に付録で半藤一利との対談が載っている)。
現実を変えようとしているリアリストたちに力をもらう。こういう人がもっともっと増えていくといいなあ。