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2021.7.10. 銭湯の怪談。カッコーン ♪
3年前の嵐の夜のこと、広い銭湯の洗い場には私一人だった。湯舟にはお湯があふれていて賑やかな音を立てているが、サウナにも外の露天にも誰もいない。これから嵐が来るというのに銭湯に行こうというもの好きもそういないということだ。
洗い場から湯気でぼんやりとしか見えない脱衣場にも人影は見えない。脱衣場を見渡せる番台はなく、着替え終わった人たちがくつろぐ休憩室の入口にある受付に変わっているので、おかみさんの姿も見えない。
洗い場にはカランの前にそれぞれ鏡があり、向かい合わせにつくられているから、じぶんの前の鏡を見ると遠くの鏡に自分が映っている。それで私しかいなくても、まったく一人きりという感じはしない。普段ならいいが、嵐の夜だし、鏡の中に知らない人が映っててもおかしくないかも、とちょっと落ち着かない。鏡の奥のほうに映る後姿は私だが、目の端に動くものは? それも私の鏡に映る姿だった。
顔を洗うのもシャンプーのときも目を閉じているあいだは気が気でない。湯気の向こうに髪の長い女の人がこちらを見ていたり、湯舟につかったら隣りに色白の女の人が入っていたらどうしよう。しずくが落ちて上を見たら天井に……しかし、いつものもーそーで終わったのであった。
しかし、ほんとうの銭湯の怪談といえるのは、一度だけある。それは嵐でもなく、無人でもなく、程よく5、6人のお客がいた日のことだ。私の行く時間帯はだいたい大昔のお嬢さんと昔のお嬢さんで7割、その他3割といった感じだ。ところがその日は一人、妙齢の、とても目を引く女性がいた。いままで見たことのない人だ。
目がパッチリと大きく、痩せ型で真っ赤なミニのワンピース。ちょっと盛り上げたロングヘアに、だいぶ盛り上がっているバスト。つい胸元に目がいってしまう。で、私は脱衣場から湯舟のある洗い場に入っていったのだが、しばらくしてふと気になり、あの女の人はどこにいるのかなと探すともなく見回すのだが姿はない。
気になりながらも、私が体を洗い湯舟につかり出るまで、その女性は現れなかった。さすがにオカシイなと思って、そこにいる人たちを一人ひとりチェックしていったのだが、見たことのない人は一人だけ。でもどう見てもあの目がパッチリでバストが盛り上がっていた女性とは似ても似つかない。
化粧というのは、まあたしかに「顔かたちを整えて化かす」だが、ほんとうにあの女性なのか? いまでも信じられないうっすら寒い話である。