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2021.6.29.tue. 団子三兄弟の魂百まで。あわせて三百歳ってこと?

正直に言うと、「三つ子の魂百まで」の三つ子を双子につづく三兄弟だと思っていた時期がある。意味わからんし。我ながら呆れるが、似たようなことはいまも多々あるわけで。ほんと、魂って変わらないんだねー。えへ。

小学生の4年生ぐらいだったと思う。当時は一般的にふつーにソロバンを使って計算していたものだが、あるとき「電子計算機」なるものが現れた。で、世の中的にも一斉に「電卓(卓上電子計算機の略か?)」に移行した。それはもう、ぺんぺん草だって生えないくらいの勢いで広まって、いま、ソロバンを使っている人なんているのだろうか。

この前、実家にあったので使ってみたが、覚えてるもんだな。卓上のソロバンを左手で手前に傾けてチャっと珠をぜんぶ下に落としてから戻し、上の段の珠をチャラ―って右手の人差し指で払い、パチパチパチパチ……って足し算したら、ちゃんと覚えていた。まるで、じぶんとソロバンと指が一体になってる感覚。まさに三位一体、大げさじゃなく楽しい。それ以来ちょっとした計算ならソロバンでパチパチやっている。

で、魂百までの話。小学生の私はそのとき思ったのだ。「電卓をつくった人はすごいけれど、それを使うだけの私たちって、馬鹿になるな」って。いままでパチパチ指ではじいて(あるいは指だけ動かして暗算で)計算していたものが、ボタンを押すだけで答えが出るなんて、それ、信じていいの?

それで、電卓に慣れるまでしばらくは、電卓で計算して答えが出たら、ソロバンで確認するということをやっていた。そういえば、私のようなひとのために「小さな電卓付きのソロバン」というのもあったな。ふつーのソロバンの横に小さい電卓が付いてるやつ。はっきり言って美しくなかった。

キカイは信じられないということもあり、便利だけを求めてしまっていいのかなと、子どもながらに考えていた。「不便があってこそのありがたみ」っていうのはいまも思っていて、小学生から変わっていない。しかし、いちいちメンド―なやっちゃ。


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