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2021.7.19.mon.「みんなが言ってる」の「みんな」はどこに?

「そんなことやめたほうがいいってみんなが言ってるよ」なんて感じで、子どもの頃は何かにつけて「みんな」はよく登場したものだ。子どもなりに説得力をもたせる言葉として「みんなが言ってる」は多用されたのだろうか。

しかし、大人になっても「みんなが言ってる」論法で説教してくる人がいた。まだ私が二十代の頃のことだ。どんな時に言われたのか、覚えていないこともないが、ほぼ「うるせぇやい」っていうようなことだったな。

いったい「みんな」ってどこにいるのだ。「おーい、みんなぁ~~ノッテルかぁーい」と音楽フェスなんかでミュージシャンがステージから叫ぶ場合、「みんな」は会場にひしめいていて「おー」とか「キャー」とかちゃんと返してくれる。それから、たとえば世の中に起こっている問題に対しての署名活動なんかで「みんなの意見です」と提出したりする場合も「みんな」がどれほどなのか集まった署名の数でわかる。

しかし、かつて私にもの申した人たちが使った「みんなが言ってる」の「みんな」はどこにいるかもわからないのっぺらぼうだ。それに「みんな」は常に「正しい側」にいるような言い分だが、どんなに数が多くても「みんな」のほうが間違っていることだってあるかもしれない。

まだ若かった私には反論もうまくできなかったけれど、心の中では「みんなって、どこの誰だよ」と突っ込んでいた。まあ、そうやってなんだかんだ言われながらも、ここまで好きに生きてきちゃったけど。いまならじゃんじゃん言って返すのになあ。チッ じつに残念だ。

しかし、なんでこんな昔のことを思い出したのだろう。『だいどこメモ』に「みんなが言ってるのぎまん」とぴらっと書かれていたのだが、「ぎまん」は「欺瞞」。何か引っかかったことがあったのだろうな。

『だいどこメモ』は日々の気になったことや思いついたことなどをメモしておくものだが、この『ネコノス手帳』のお題にもなっている。最近ちょっと子どもの頃や昔の話題が多い気がする。芋づる式に思い出すせいか。振り返ることも大事だと思うけど、ひとつ前向きにいこうじゃないか。ねえ。

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