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2021.10.2.sat. 野分も嵐も過去のもの。
東京は風もない静かな朝だ。ほんとうは今週をふり返ってみようかと考えていたのだが、急に気になったことがある。
「台風」という言葉。私が子どもの頃はあまり使わなかったような記憶があるのだ。また例によって私の記憶ではあるが。むかし我が家では「嵐」と呼んでいたように思う。私はまだ漢字がわからなかったから、感覚としてはひらがなで使っていたはずだ。「あらしが来るの?」というように。
それに、台風もそれほど多くなかったように思う。子どもで、親に守られているという安心感がそういう印象になるのかもしれない。それでも私の生まれる前の「キャサリン台風」とか「伊勢湾台風」なんて大きな被害が出た台風の名前が残っているのだから、「台風」という言葉は昔から使われていたのだろう。「颱風」のほうがいいけど。
「台風」だと1号2号というように呼ばれて勝手に生まれる迷惑な奴って感じだけど、「颱風」だと自然の営みの上に生まれるもので、人間は自然の前には無力だな、と思ってしまうような重みがある。
で、調べてみた。嵐は、ばくぜんと暴風や暴風雨のことだから、気象予報では使われない。一方、台風は《北太平洋西部の熱帯海上、北緯5~20度付近で発生し、最大風速が毎秒17.2メートル以上の熱帯低気圧》という規定がある。だから気象予報では、台風が使われる。
つまり、子どもの頃は現実的ではなかったというわけだな。ついでに言えば「野分き」とか「野分け」なんて美しい言葉もあるけど、そんな悠長なことを言ってる場合じゃないのがいまの日本ということか。地球レベルでそんなことになってるようだから、私も少し現実的にならなきゃだわね。