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第30話 赤い花、咲き盛る (かつての投稿時テーマ 東北・北海道)

 北海道に、サラブレッド銀座と呼ばれる土地がある。
 雄大な草原が延々と広がり、馬達が点々と立ち居ながら草を食んでいる。
 日高山系の西に南北に延びる馬産地、浦河、静内を中心にそこから離れて行くに従って、牧場の規模は小さくなる。
 更に言えば、日高の山々を超えて十勝へ出れば尚の事。
 十勝地方の幕別という土地に、小さな牧場の跡がある。
 かつて、家族で細々と営まれていた牧場。
 牛と、僅かな数の競走馬を育てていた。
 牛で生計を立て、馬で夢を買っていた。
 そこが、私の生まれた所である。
 もっとも、私が小学校に行くか否かの頃に、祖父母は棄農し、父親は帯広に職を得た。
 私たちは街の片隅に住む者として暮らしたが、幕別の牧場は所有したままだった。
 理由は、単に売れなかっただけだ。
 もっとも、祖父母は売れない事に若干の安堵を覚えていた。
 祖父母にとっては、あの土地は夢を抱いていた場所であるし、僅かな期間でも夢の叶った土地だったのだから。
 祖父母は、折々に触れては、幕別へ通っていたし、父もそれを黙認していた。
 我が家も代がかわり、当主は私になっている。祖父母も、そして父も他界した。
 今でも、幕別の土地は我が家の所有のままだ。
 流石に、建物は取り壊して更地になっている。と言うよりは、壊れたので更地にしたのだが。
 牧場跡も今では荒れ野になっている。
 なんの跡形もない。
 奥に安置されていた馬頭観音すら、倒れ、朽ちている。
 私も、何年も足を向けていない土地だから、もう人跡未踏の様相を呈しているに違いない。
 もしかしたら、人の死体のひとつやふたつ打ち捨てられているかも知れない。
 そんな中、唯一、他とは違っている場所がある事を私は知っている。
 倒れた馬頭観音のすぐ左側。
 そこだけは、荒れていない。
 そこには、ひとつの墓標が立っている。
 その周囲、半径数メートルの場所だけは違っている。
 雪解の後、春から初春にかけてはクローバーが繁る。
 その後、雪が土地を閉ざすまで、彼岸花が咲き誇り続ける。
 この下には一つの馬体が眠っている。
 この牧場に夢を届けてくれた、唯一の馬が眠っている。
 この牧場の産駒で唯一二桁の勝利数を持つ彼女は、地道に走り続け、この牧場に唯一の中央重賞をもたらしてくれた。
 その土曜日の午後の様子を、祖父母はいつまでも懐かしがっていた。
 クローバーは、彼女が好物だった草。
 そして、彼岸花は彼女が好きだった花。美浦のトレーニングセンターの辺りには沢山自生していて、それを、いつまでもいつまでも、飽くことなく、彼女は眺めていたらしい。
この牧場の彼岸花は、彼女の里帰りと共にやってきたもの。
 心配されたけれど、ちゃんと根付いた。
 そして、今でも、毎年、ちゃんと花を咲かせている。
 彼女の身体のすぐ上で。


【蛇足的な補足】
競馬に詳しくない方のために。
中央競馬において土曜日の午後にある重賞レースのほとんどは「価値の低い重賞レース」という位置付けです。優勝賞金も決して高くありません。勝ったとしても競走馬を生産した牧場の名声が上がるようものでもありません。
ですが、この掌編に出てくる様な小さい牧場にとっては、そのような細やかな重賞レースでの勝利でも僥倖なのです。
馬の方も、何十回となくレースに出て、何年も地道に走って、その中で獲得したたった一回きりの幸運な重賞勝利なのです。余談ですが、幕別に生い立ちを持つ名牝馬にはトウメイがいます。この物語の牝馬のトウメイの何分の一にも満たない資質しか持てなかった馬です。

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