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この世界は教室ではない

世界はテレビ画面の中に映っている映像なので、それは教室ではない。

その画面を見ている者が選択をし直す、そこが教室。

要するに、世界という見られるものを見ている者のその場所(厳密には場所じゃないけど)が教室。

視聴覚室が教室で、スクリーン画面は教室ではない。

「世界が教室」と勘違いしたまま学んでしまうと結局、非二元から半二元、二元論にずるずるとおちていく。

なぜなら、私たちは正気に戻るためにテレビ画面(世界)に釘付け状態(同一化状態)から

テレビ画面を見ている【自分】に焦点を向け直す(心という教室に焦点を向け直す)レッスンをするべきなのだ。

あるレベルのスピリチュアルな視点では、この世界は教室だよね。

と考えるのは通過点として自然だけど、世界(テレビ画面)は結果で、原因じゃないので、原因のレベル(真の教室)で学び受け取っていかないと本当には学べない。

だから【世界は教室】という概念も、その上へ垂直に引き上げられて、世界は教室から眺められているバーチャル映像だったと納得していくことになる。

そこから見るとわかる。
それはすでに終わっていた、と。

一度も生じたことのない残像に焦点を向けていただけだった。

そこではすべてが祝福されている。
笑いの中で過去は忘れられた。

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