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私たちは、大胆に望むべき。
きっとこのまま生きていれば
いずれ到達できるかもね〜という
安全地帯の箱の中のゴール、、ではなくて
自分の想像を全然超えちゃって
全く予測不可能レベルの望みを大胆に望む必要がある。
私にとってそれは神を一番にすること。神に完全サレンダーすること。
すると必ず浄化は起こる。
起き続ける。
「のり子愛してるよ〜❤️」
って、フランセスが私を抱きしめながら言ってくれたことが2度あったのを最近思い出した。
彼女からもらった最後のメッセージは「Love you Noriko 😘」だった。
もちろん、私も愛してるよって返事したし、愛を与えられるのはとても嬉しいのだけど
同時に「え、私はあなたから直接的に具体的にそこまで愛される理由がない」っていう信念とフィーリングが心の奥底にあることに気がつく。痛々しさを感じる。
無価値感や罪悪感に触れる。
愛されていることを100%は受け入れられない、と心の奥底で常にすでに決断している。
愛されるのは当然で自然なのに
今も変わらず愛されて抱擁されているにも関わらず
「それを100%受け入れている」と言ったら嘘になる。
私は神の子ではない、罪深い分離した者だと信じて信じて信じ切ってる無意識の信念と決断に触れる、、痛々しさを感じる。
引き金はフランセスとの記憶と、現在においての真実なんだけど
それを思い出す前からずっと
フランセスと出会う前からずっとあった心の中のブロック。
光に触れれば触れるほど
すごく痛い。痛々しい。
今日は一日の半分は寝込んでいたほど
日常的にあっちでも、こっちでも
愛してるよ、愛してるよ、大好きって愛を与えられる日々が続く
与えられれば、与えられるほどに
心の奥の無価値感に触れる。
「私にはそんな価値がないんです」
と言い張りたがっている心の一部が顕になって剥き出しになっても
それを嫌わず、歓迎する。
そして、ひたすら自分を自分が慈しむ決断をしていく。
とにかく私には浄化が必要。
それと同時に
愛に対する抵抗が露わになって
光に消えていくことそのもの、神を求めさせてもらえることそのものに✨恩寵を感じる✨
聖霊のおかげさま🙏✨✨
ありがとうございます😌
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