はじめましてで、ありのままを見せる人生。
新しい介助者が初めて私の介助に入るとき、引き継ぎというものがある。私がどういう介助を受けて、どのようなやり方なのかを、普段入っている介助者から引き継ぐ日を設けている。
その介助者同行のときに思うことがある。
多くは初対面か、一回会ったことがあるぐらいの面識なのだが、
介助のなかでお風呂介助というものがある。そこでいきなり裸のお付き合いが始まる。
私の介助の場合は、介助者にTシャツと短パンに着替えてもらい、頭と体を洗ってもらう、という内容だ。
それほどまだ関係性がないときに私は裸を見せることになる。
この時、
「初対面でなかなか裸を見せる人生ないんだろうな(笑)」と感じる。
裸を見せるということは、"ありのまま"を見せることになる。
小中高の間はとても恥ずかしかった。いきなり初対面の人に裸を見られることに抵抗があった。
"なんかすみません"という感じだった。
新しい介助者の同行が絶え間ない時期があった。その時は恥ずかしいと感じることすらなかった
ほかの人の視線がすごく気になっていた時期に、介助者から裸を見られることが嫌だった。嫌とは言えなかった。
お風呂に入りたいけど裸を見せたくないという葛藤があった。
そのことを今、解いたら自分の中の何かが壊れそうな気がしていた。
一方で、これはこういうもんなんだ、と思っている時期もあった。そう思っている自分も嫌だった。
一人暮らしを始めて少し考える時間ができたとき、これはなんなんだろう、と思うこともあった。
この観点でいるのもなんなんだろうと思っていた。
私はそういう人間である。
"これはこうなんだ"というのも、慣れるのも違うと私は思っている。(慣れた方が楽な場合もある。)
この裸になる=マイナスなモノという捉え方も植え付けられたものかもしれない。
知らず知らずの内に植え付けられた捉え方は、自分の生き方にブレーキをかけてしまうこともある。まっさらな状態で感じたとき、違う捉え方も見えると思う。
今も恥ずかしいと思うことがあるし、脱ぐ前に考えることもあれば、無心で脱ぐこともある。
ただ、今思うのは
これが私の生きる形だということだ。
もう少し時が経って、介助者同行のときに
"はじめましてで、ありのままの姿を魅せることができるってラッキー♪ "
という発想の転換ができたらいいなと思っている。
はじめましてで、ありのままを見せる人生。
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