自立、親と子の関係

熊谷晋一郎さんという、脳性まひの小児科医がいる。その方の講演会を聴く機会があった。講演テーマは、自立だった。熊谷さんの話の中で「自分の親の愛は縛り付ける愛だった。共依存関係だった。」という言葉があった。この言葉から私は、障害児の親はこのタイプが多いと考えていた。
余談だが、障害の有無に関係なく現代の親子関係は互いに依存していると考える。また、親が自分の子どもを所有物化していることも少なくはないだろう。
親が子離れできていない場合が多いかもしれない。
親離れ、子離れについては別の影響も考えられるが、今回は触れないでおく。

話を戻し、なぜ障害児の親は子どもの自立を阻むのだろうか。おそらく子どもが誕生したときに「この子を一生私が面倒を見なければいけない」と考えがちになる。表現が大げさかもしれないが多くの親はそのように考えるだろう。私の親も最初はそう考えていた。しかし、そう考える必要はない。親はいつまでも生きているわけではない、いつかは死ぬ。そうすると親亡き後、子どもはどう生きればよいのか。今までずっと親子の関係と学校との関係だけだった人がいきなり多くの人と関係を作ることは難しいだろう。熊谷さんは「なるべく多くの依存先を増やした方がいい」といっていた。ここでの依存先というのは「頼れるところ」という意味である。依存先を増やすことによって自分が頼りたいときにサポートしてくれる。自立というのは何もかも一人でやることではないと私は考える。

自立とはなんだろうか。

自分が困ったときに「こういうことで困っていてサポートして欲しい」と言えることが重要なのではないか。しかし、親が子どもの一人立ちを阻んでいることが多い。何もかも先回りをし、子どもに失敗させないようにする。そして、子どもがやりたいといったものも「危ないから」「迷惑になるから」などと、子どもからすると納得がいかない理由をつけ、やめさせられる。そうなると親や大人の目から隠れて子どもはやろうと試みる。しかし、障害のある子どもは、大人の目が多くあるためなかなか難しい。正直私は煩わしいと感じていた。他の子は隠れられるのに、私は家でも学校でも常に大人の目が届く状況で、授業でも居眠りすらできなかった。これもある意味、人権だといえる。だから私は、とにかく早く大人の目から離れたかったし、いかに隠れられるかを考えていた。唯一邪魔されないのは、友達と遊んでいるときだった。だから私は、友達と健全な遊びをしているように装えば大人は離れていくことを覚えた。このことから分かるように、私は大人や親という存在が鬱陶しかった。私の親は干渉しない親だが、やはりずっと一緒に暮らしている環境だと鬱陶しく感じるものだ。親子であれ一人の人間である。考え方が違うのは当然だ。しかし、親というものは自分の考えを押し付けてしまうこともある。そのときに、適度な関係性を保っていると対等な話し合いができると考える。これは私自身がそうである。なぜなら一緒の家にいると母親が介助することが多い。そうすると、気をつかい、言いたいことも言えなく、ろくにけんかもできない。けんかをすると口をきいてくれなくなり、介助を放置される可能性もある。今、家を出て親を離れると、お互いに程よい距離感を保てている。お互いに余計な気遣いがなくなった。親は親、子どもは子どもの人生がある。今はお互いにそれぞれの人生を謳歌している。子どもの立場だった私が言いたいことは、親のみなさんにもっと子離れする覚悟を持って欲しいということだ。あなたにはあなたの人生がある。親以外の関わり、頼る手を増やして欲しい。一人で抱え込まずに周りを頼って欲しい。そして、子どもを信じて見守っていただきたい。子どもは失敗から学ことがたくさんある。失敗を経験しないと自分で対処の仕方が分からない。いくら言葉で言っても、経験に勝るものはない。もし、子どもが間違えても「間違えちゃダメ」とは言わずに「間違えちゃったんだね。じゃあ、どうしたらできるようになるかな?」と子どもと一緒に考えて欲しい。子育てはとても大変だと聞く。私はまだ経験してないが、自分の子どもとは一人の人間として、関わっていきたいと思っている。
 親子や家族というものは、どうしても近すぎる関係であるため、お互いに「人間」ということを忘れてしまう。子どもも意思はあり、自己決定ができる。その声を聴きたいと考える。

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