ピアスを卒業する話
私にとってピアスは、重要なものだった。
ピアスはオシャレの一部というふうに思っている人もいる。
その感覚とは少し違っていた。
だった、というのは、"こだわり" "執着"が入っていたと思う。
私は中学を卒業した瞬間に、ピアスをあけた。最初は耳たぶに3つだったのだが、時が経つにつれて増えたり減ったりを繰り返して、今は、軟骨3つ、耳たぶ5つと穴があいている。
ピアスを小学校の時からずっとあけたかった。さすがにその時は母に「中学校を卒業したらいいよ」と言われた。「中学を卒業したら、絶対あけてやる!」という思いは消えなかった。
なぜこんなにも開けたかったのかというと、理由がいくつかあった。
・漫画「NANA」に憧れて、パンクファッションを好きになった。ピアスがいっぱいあいていて、かっこいいと思った。ロックを感じた。
・体が小さくて言語が不明瞭な私は、どうしても幼稚扱いをされがちだった。ピアスを開けたら少しは大人に見られるのではないか、と考えていた。
・自分を強く見せたかった。
などという理由だった。
あけた瞬間、かわいい❤️という気持ちが高まって、3つだけでは満足せず、増えていったのであった。
次第に、軟骨まで手を伸ばし、私の気持ちは「やっぱ軟骨あいてるのかわいいな❤️」となった。
この"かわいい"という気持ちは、今でも変わらない。
ピアスを極めている人に会うと興味持つし、惹かれる。
約10年間のピアス人生の"ピアス"は私の"こだわり"だった。
私はピアスを極めていたと思う。極めている、とはピアス(ボディピアス)の種類や部位、拡張に詳しい。当時は周りに極めている人がおらず、mixiのマイミクに聞いたのが懐かしい思い出だ。
私はよくも悪くも治癒力が高いらしく、ピアスを外すとすぐに塞がる人だった。だから、今あいているこの穴もそのうちすぐ塞がるだろう。
当時の私はピアスにこだわっていたため、ピアスを外すという選択肢はなかった。おばあちゃんになってもつけ続けようと思っていたのであった。
病院の検査でピアスを外す機会があるのだが、それが終わった後も、塞がらないように軟骨だけでもピアスをつけていた。
もはや囚われていた。
そんな私が、なぜ"ピアスの囚われ"から卒業することができたのか。
私がピアスをつけていたところで、私に対する対応は変わらなかった。幼稚扱いする人はするし、
人として見てくれる人は、1人の人として見てくれた。
そんなに人はピアスを見ていないことに気づいた。
ピアスに反応するのは、同じようにピアス好きか、極めている人だ。これも私は少数派だと思う。
表面的なものに変わりはない。
私の中で、外側に安心感を求めるのではなく、自分自身の内側に在るということが腑に落ちた。そのとき、安心感を生み出すことができるのだと気づいた。
老子の「知足者富」という言葉。
"足るを知る者は富む"
この"足るを知る"
十分に足りていることを知ること。
そして、"在る"ということを意識する。
点と点が繋がった。
ここ数年はそのピアスのこだわり、そして執着が薄れていた。
ピアスをしなくても焦らなくなっており、ゾワゾワ感もなくなっていた。
次第に「ピアスはもういっかな」という気持ちが芽生え始めていた。
そして、あっけなく金属アレルギーを発症したため、金属のピアスはつけられなくなってしまった。
自分の体もピアスは必要ないと認識しているのだ。
なんというタイミングなのだろう、と自分では思っている。
なんともできた仕組みである。
なんておもしろい出来事なのだろう。
長い間、囚われていた"ピアス"のなかに執着というものがあり、それを手放すことができたのだ。
宇宙の流れというのは最善である。
そして、自分自身もよくやったと思っている。
"卒業おめでとう"と自分自身に声をかける。
解放の瞬間であった。
ピアスにまったく関心のない人もいる。
はたまた、ピアスをあけて自分を変えたいという人もいる。
そして、ピアスにこだわりを持ち、アイデンティティの一部にしている人もいる。
たかがピアス、と思っているかもしれないが、このピアスというものが大きく人生に関わる人もいる。
これからは、気軽にオシャレの一部として見つめることになるだろう。
ひと区切りとしてここに記してみた。
そんなピアスのお話。