ただおトイレがしたいだけ。
街中のあるトイレで不思議な現象が起こる。
数年前、多目的トイレが多目的すぎる目的で使われたことが話題となった。それは一つのきっかけでしかない。多目的すぎる目的で使う人は、前々からいたわけで…公園のトイレは夜になると鍵がかかる。昼間でも鍵がかかっていて入れないこともあった。
この広がりすぎている目的の中で、"ただトイレがしたい"というシンプルな目的を持つ人が埋もれている。
オストメイトを使う人も、ベッドを使う人も、子を連れた人も、男・女のトイレが使いにくい人も、目的は"トイレ"だ。
というか、トイレにわざわざトイレ以外の"多目的"を持って入らんやろ。臭いやん。
その他にも"本当にそこしか使えないのか"という人が使用する場合もある。たとえば、別の衣装に着替えるために多目的トイレに数名入り長い間使用すること、とか
中でなにやら食べている、とか。
それで本当にそこしか使えない人が一刻も争う状況にも関わらず、待たなきゃいけないという事態もある。
私の膀胱が緊迫な空気になってるときは、心の中でボックスステップしながら、脳内でトイレの神様とトイレの花子さんの歌が流れている。なんとも両極端な曲センスの脳内。トイレにはーそれはそれはきれいなーめーがーみ様が… と ほわほわほわほわ花子さーん…が交互にかかって後半はもう大渋滞を起こしてる。
そうしたなかで、そこのトイレには不思議な現象が起こった。
そこのトイレに入る場合に、インターフォンを押して係の人に「入りまーす」と伝えないと開かない仕組みとなった。終わった後も「終わりました」と伝えなければいけない。そのとき、係の人から返ってくる言葉が「お疲れ様でした。」だ。
オツカレサマデシタ…?
お疲れ様でしたって(笑)と介助者と笑ってみたものの、
なんとも不思議な会話だなぁ。
「終わりましたー」
「お疲れ様でしたー」
「ありがとうございましたー」
この会話がトイレで生まれるとは思わなかった。
そもそもこの会話いる?
向こう側に人がいなきゃいけないことで、この会話が生まれるわけだけど。こんなおかしな現実は決して本当に必要な人たちが作ったわけではない。
ほんのちょっと魔が差した人間が引き起こした出来事が、"弊害"になったのだ。困るのは本人ではなく本当に必要な人にとばっちりが向かう。
いやはや、いちいちトイレ入るのにインターフォンの向こう側の人に宣言する時代になったとは…
そして不本意な「お疲れ様でした」が出てくるとは…
なんともおかしな時代になったもんだ。
障害ある人のトイレ事情を知っている人なら、「お疲れ様でした」の言葉は、あぁー、そうだよねと分かると思う。
しかし、いち警備員?の人はおそらく「終わりましたー」の後の返事をどのように返していいか、分からず「お疲れ様でしたー」の言葉を選択したような感じだった。
インターフォンの向こう側の人もわざわざこのために「お疲れ様でした」を言うとは思っていないだろう。そしてお互いに本意ではないと思う。きっと「謎だなぁ」と思ってるよ。知らんけど。
お互いに謎のコミュニケーションが生まれる瞬間だった。
私は、ただ平和にトイレをしたいだけなんだ。
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