純粋なロマンを謳うファンブック
「『○○』を読む」と書かれた表紙を見て、どんな内容か想像する。ちなみに著者は80歳代の大学名誉教授。
さしずめ、お偉い先生が、なにか昔の文章について、正しい解釈を開陳してくださるのだろう。きっと先生の在職中には、同じ内容の授業が何十年も続けられてきた。同じ教室、同じテキスト、同じ板書、同じ試験問題が、同じ曜日と時間で延々と繰り返される。ゼンマイ仕掛けの授業がそっくりそのまま記録されて本になったのかな。教室を舞台に、筆者は先生、読者である私は学生として、ご教示を賜る。
そんなふうに思った。
ところが、である。
これがとんでもなくお門違いの先入観だった。
読み始めてみると、筆者は教壇の上にはいなかった。
そもそも筆者と読者は、先生と学生の関係ではなかった。ここ(本の中)は教室ではなかったのだ。
本の中は彼の部屋、筆者と私は同級生だった。
遊びに行くと、棚から一冊の本を出してきた。隣合って座り、一緒にページをめくる。静かな口調で全体像を要約しているうち、徐々に熱を帯びてくる。次第に背景まで詳細に説明してくれる。
ああ、よほど好きなんだな、この本。
読んでいると、そんな感覚になる。
この本とは、『保育要領 - 幼児教育の手びき -』(以下、『保育要領』)。これが筆者の推しのアイドルといえよう。
もちろん筆者には多くの知識があり、本書に書かれた内容はおびただしい資料を史実と合わせて入念に読み解いたものだ。
しかし、本書から伝わる筆者の熱量は、推しのアイドルについて語る熱っぽさを帯びている。そしてその語り口は、「上から目線」の対極にある。自身の内面から感動があふれ出て、思わず表現してしまう、そんな、何かに夢中になっている同級生のような印象を与える。
筆者の荒井冽氏は、1939年生まれ。戦中・敗戦・戦後を肌で感じ、記憶している最後の世代だ。
1948年というと、太平洋戦争が終わって3年後、今から70数年前のこと。
当時の日本では、軍国主義による悲惨な戦争の時代から敗戦へ、そして急激に民主主義の考え方が入ってきた。デモクラシーの風がさわやかに流れ出したころだった。
筆者はこう語っている。
「当時の文部省がイニシアティブを取って世に送った『保育要領』という本は、終戦直後の数年間が生み出した幼子へのロマンそのものと言えるのではないだろうか。即ち、平和な日常生活を希求する人々の心に応える純粋な保育のロマンティズムであったと私は思う。」
それから70年あまり経った今に至るまで、幼児教育はさまざまな形で深められてきた。『保育要領』はそのスタートライン、日本で初めての「幼児教育のガイドブック」といえる。
これが日本の幼児保育のスタートであり、ここから歩みを進めた結果として、現在の保育があり、さらには将来の保育へと道のりは続く。
だからこそ、足元を固める意味を込めて、スタート地点をしっかりと確認してみよう。
本書には、筆者のそんな思いが込められている。
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