満たされることのない承認欲求の答え合わせ
「予定にないスマホの利用」を昨日からやめてみている。その効果が凄い。
仕事を休んでいる、と言う前提は置いておいて、圧倒的に時間が生まれた。
ビジネス書を読む、心理学の勉強をする、簿記の資格勉強をする、小説を読む、エッセイを読む、ウォーキングする、筋トレする、アニメを観る、ドラマを観る、映画を観る、転職活動をする、などなど。
15分単位で時間を区切ってスケジュールを立てて順番にこなしていった。(映画などはどうしても2時間くらいかかるが)
自分はどうもタスクを短くても30分単位で区切る習慣があって、でもなかなか上手くいかなかった。30分は長い。集中力が続かない。
だから思い切って15分でタスクを切ってみるという実験をしている。
キリが悪くても15分でタイマーをセットする。そうすると、ダラけることが自分の中でなくなり、時間あたりの処理スピードが向上した。期限を切らずにダラダラやっていたから結果が出るのは当たり前だが。
休日にタスクを切るのはどうかと思ったが、タスクに分解する事で脳に余計な負担をかけなくて済んでいる気がする。なんとなく。
これらをする上で、真っ先にやめたのが、「予定にないスマホの利用」だ。何となくtwitterを眺めたりyoutubeを観たりする事を極端にやめてみた。
それによって今まで自分がどうネットに向き合ってきたかが理解できた気がする。
自分の考えや思いを世の中に発信する事は、「自分の考えを正当化したい」「承認されたい」「認めて欲しい」と言う気持ちの現れだと感じた。
いいねや、コメントを気にするのも全く同じ心理が背景にあると思う。自分の存在価値の肯定を他者の行動に委ねる、実に依存的な考えだな、と。
こういう考えをnoteに書くのもその延長線にあるのだろうな。
あくまで僕の現時点の感想であり、明日には変わっているかもしれない。でも昨日の自分にはなかった発想。
思えばネットが普及する前には、他者の頭の中を見る事などできなかった事を考えると、随分と「他人の考え」に支配されてしまったように思う。
ネットから離れることで、「社会から断絶された感覚」を早速味わっているわけだけど、これは元に戻っただけだと思う。
「ネットによって社会と繋がってる気分になっていた」だけで、生身の自分自身はずっとここにいる。
簡単に情報が手に入るようになった反面、簡単に情報の侵入を許してしまっている。
意識してデジタルをデトックスしないと、スマホに人生を乗っ取られてしまうなと危機感を覚えた。